冒険を求めて、北海道移住歴18年。森のパン屋が語る幸せの秘訣は
北海道・岩見沢の中山間地・美流渡(みると)でパン屋を営む中川さん一家が、この地に移住したのは18年前。東京から札幌を経て、あえて“過疎地での不便な暮らし”を選んだ理由とは? 同じ地域への移住を予定している筆者が、妻の文江さんに想いを聞いた。
里山のような風景を見てひと目ぼれ
中川達也さん・文江さん夫妻は、わたしの移住の大先輩にあたる。来春、岩見沢の市街地から車で30分ほどの美流渡に、わが家は引越しを計画中なのだ。今回、妻の文江さんからじっくり話を聞く機会に恵まれ、「移住後の暮らし」や「夫婦の役割分担」など、自分が直面している課題を乗り越えるヒントをたくさんもらうことができた。
美流渡は、もとは炭鉱街として栄え、かつては1万人以上が住んでいた地区。昭和40年代の閉山に伴い、急速に過疎化。中川さんが移住した18年前に、すでに人口は大きく減少し、商店もたった数軒となっていた。
「パン屋をやりたくて場所を探していたら、友人が美流渡を薦めてくれました。北海道というと平らで広大な大地が続くイメージがありますが、ここは里山のような風景。まるで民話の世界のような懐かしさを感じ、ひと目ぼれしました」【画像1】文江さんは看護師、達也さんはNTT職員として東京で働いていたが、達也さんが会社に希望を出し、文江さんのふるさとでもある札幌へ転勤。その後、美流渡へ移住した(写真撮影/來嶋路子)
いまのわたしにもできる冒険がある。それが移住の動機
このとき中川さん夫妻は2人の息子と札幌で暮らしていた。20代のころ東京で仕事をしていたが、夫妻には「ペンションを開いてみたい」という夢があった。夢に近づく第一歩として札幌へ移り住んだものの、ペンションブームはしだいに下火に。夢が遠のいていくように感じることもあったが、札幌でのサラリーマン生活は快適で、そこに安住していたという。しかし、30代になったあるとき夫妻は、自分たちの暮らしを変えたいと思うようになった。そのきっかけの一つは、文江さんが好きだった、あるテレビ番組だった。
「『電波少年』で、タレントがヒッチハイクで世界中を旅するコーナーが大好きでした。いまのわたしにもできる冒険があるんじゃないかと思うようになったんです」
当時の社会状況も文江さんの心を動かした。90年代末は、北海道拓殖銀行が破たんし将来に不安を抱く人々が増えた時代。こうした状況のなかで「息子たちには会社がつぶれても生きていける人になってほしい」と思ったという。
新たなチャレンジをしたいと一念発起し、達也さんは会社を辞めてパン屋で修行をつむことにした。その後開業する場所を探していたところ、美流渡に出あったのだった。
美流渡にひと目惚れしてからの行動は早かった。すぐに町会長らに「ここに住みたい」という想いをぶつけ、あまり使われていなかった集会所を譲り受けることができた。築60年以上で、壁がはがれ天井が崩れていた部分もあったが、この状況を見て文江さんはときめいた。「これからどんなふうにも変えていける」という可能性を感じたそう。達也さんと文江さんの父とで半年かけて改修し、パン屋「ミルトコッペ」をオープンさせた。【画像2】ミルトコッペのパンは薪を使ってレンガ窯で焼く。住宅街では煙の問題があるため、あえて不便な立地にパン屋をオープンさせたそう(左:画像提供/ミルトコッペ、右:写真撮影/來嶋路子)
移住後の生計はどうやって立てた? 文江さんの暮らしの工夫
家は見つかったが、パン屋を軌道にのせるには、ある程度の時間が必要。貯金を崩したくなかったという文江さんは生活費を稼ぐため、札幌へ働きに出ることにした。美流渡から札幌へは車で約1時間と通勤圏内。以前に看護師をしていたスキルを活かして介護事業を行う企業の運営に携わった。しばらくして看護学校の予備校講師への誘いがあり、昼は会社で夜は学校で働くようになった。
忙しい毎日だったが、文江さんは暮らしの工夫も欠かさなかった。会社のフレックス制度を利用して1週間のうち週4日勤務とし、週の1日は友人のスーパーでも働き始めた。このとき賃金の代わりに、賞味期限が近くなった食品や残った野菜をもらう約束を取りつけ、1週間分の食事のほとんどをまかなった。また、住居にお風呂がなかったため、古くから地元にあった温泉を、町からの補助を受け銭湯料金で利用。不便なことも多かったが、「毎日が冒険。それがとにかく楽しかった。昔の経験がいまの自分をはげましてくれている」と文江さん。息子たちもたくましく成長していった。
妻が外で働き、夫が家事を。型にはまらない夫婦の役割
その後、ミルトコッペは当時はまだ珍しかった移住者であったことや、パンのおいしさから新聞やテレビで取り上げられ話題になった。注文の電話がひっきりなしにかかり、予約が半年先まで埋まることもあった。一時は、たくさんのパンをつくろうとしたが、これでは「いいパンはつくれない」と感じた。ミルトコッペのパンは、すべて手作業で天然酵母を使い生地を12時間熟成させ、レンガ釜でじっくりと焼き上げる。儲けなくてもいい、自分たちの手でつくれる範囲でパンをつくろうと決めた。パン屋の収入だけで暮らしていくのは難しかったが、文江さんが働いていたことが、納得のいくパンづくりをする環境を支えた。
「夫はパンづくりと家事、子育てを。わたしは外に働きに出て、PTAや町会の活動に参加したり。通常の家庭とは逆ですが、わが家の場合は夫が家で子育をしてくれたことで、上手くいったと思います」
文江さんによると、男性が家を空けて働き詰めになると、よほど意識しないと子どもとの距離は広がりやすくなってしまうこともあるという。しかし、美流渡のような自然のなかでは、除雪作業や薪割りなどで男手は欠かせない。率先して暮らしをつくる父の姿を息子2人は間近で見て、一緒に手伝うなかで育っていったという。
「父親が外で働くと収入は上がるかもしれませんが、父子の貴重な時間はお金には代えられません」
“お金を稼ぐ”だけではない生き方を貫いて
文江さんが大切にしているのは、自分なりの“幸せの尺度”をもつことだ。仕事においても稼ぐよりも、やりたいという気持ちに素直に従う。現在文江さんは、リンパの流れを良くし健康を促進させる「リンパドレナージュセラピスト」として活躍している。これが自分の天職と語る彼女は、これまでのやってきた仕事のすべてが、いまに生きているという。
「わたしはあらかじめ自分で目標を設定せずに、人に『やってみない?』と誘われるままに仕事をしてきただけ。それが、わらしべ長者みたいに、だんだんスキルアップしていって、トータルな視点で人の体と健康について見る目が培われていきました」
11年前に岩見沢でセラピストの仕事を開始。口コミで噂が広がり、都会でも施術をしてほしいという知人の要望に応えようと横浜にサロンをつくった(現在は恵比寿)。これまでと同様、結果的(わらしべ長者的?)に都会と田舎の二拠点生活が始まった。【画像3】現在、サロンは美流渡と恵比寿にあり、写真は美流渡。恵比寿には毎月10日間滞在。予約がつねにいっぱいで現在3カ月待ち。リンパの流れを良くする施術だけでなく健康に関するアドバイスも(写真撮影/來嶋路子)
田舎と都会をつなぐ橋渡し。それが自分の役目なのかもしれない
いま、文江さんは都会と美流渡をつなぐ橋渡しを担っている。美流渡のロッジで健康や移住をはじめ、自然豊かなこの場を楽しむためのさまざまなイベントを友人たちとともに開催し、都会に住む大勢の人が毎年ここを訪れている。すでに夫婦1組と女性1人が移住をしており、都会を離れた暮らしへと人々を導くことが自分の役割なのかもしれないと文江さんは思い始めている。
「どんなことを自分がこれからやっていくのか、自分でも想像がつかないんです(笑)。いまでも冒険をしているようなワクワク感がありますね」
この“わらしべ長者的人生”は、なかなか真似できるものではない。運が良かったと言ってしまうのは簡単だが、本当にそうなのだろうか? 文江さんにいまの人生があるのは、決して偶然ではないのでは?と尋ねると、日ごろ、彼女が大切にしていることを教えてくれた。
「どんな仕事でも中途半端にせずに一生懸命やること。うそをつく人間にならないこと。人の縁を大切にすること。いつもそう思ってきましたね」
これからわたしも美流渡で自然に囲まれた暮らしを実践するつもりだ。じつはわが家も夫婦の役割が逆転しており、そこも文江さんと重なる。ただ、彼女のように、どんなことでも楽しむ境地には、まだいたっていないのが現状だ。けれども今回話を聞いたことで、日々を懸命に生きることが明日へとつながる、そう確信できた。シンプルなことだが、移住ライフを楽しむ秘訣がそこにあるように思えてならない。 【画像4】中川さん夫妻は、昨年夏にミルトコッペの斜め向かいにあった、数年間空き家になっていた大きなログハウスに住まいを移した。裏には森が広がり、バーベキュー場もあることから、人々の集いの場となっている(写真撮影/來嶋路子)【画像5】田舎暮らしに憧れる人がどんな第一歩を踏み出したら良いのかを聞いてみたところ……。「まずは興味のある土地に行ってみることですね。そして旅の予定を入れずに、滞在してみては?」と文江さん(写真撮影/來嶋路子)●取材協力
・ミルトコッペ
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