『童貞。をプロデュース』強要問題の“黙殺された12年”を振り返る 加賀賢三氏インタビュー<2019年12月12日追記あり>
『童貞。をプロデュース』上映の裏側
加賀氏が撮影した松江監督とのやりとり
▲『童貞。をプロデュース』松江哲明氏の欺瞞(YouTube)より
――『第1回ガンダーラ映画祭』が終わった後のことを聞かせてください。
『第1回ガンダーラ映画祭』が終わった後、ある日、松江さんから、「(『童貞。をプロデュース』の)上映が決まったから」という電話がありました。当然、ぼくは「嫌です」と言ったんですが、「決まったから。よろしく」の一言で終わりました。つまり、事後報告です。そこから、直井さん(直井卓俊氏)や、当時のシネマ・ロサ支配人の勝村(俊之)さんを紹介されました。いつの間にか上映が決まっていて、「なんじゃそら」って話です。ただ、当時のぼくには劇場に電話をかけて、「ぼくに確認なしで進められている話なんで、上映しないでください」と抗議する発想はありませんでした。そうこうしているうちにどんどん人を紹介されて、人づてに「直井さんは宣伝にすごいお金をかけていて、自腹を切っている」といった話も聞きました。
――誰が言ったかは覚えていない?
誰に聞かされたかは定かではないです。勝村さんも悪い人とは思えなかったですし、みんな、「面白かったよ!」「一緒に頑張って盛り上げようね!」と言ってくれますし……「みんな、悪気もなく協力してくれているんだろうな」と思うと、何も言えなくなっていきました。だんだんと、外堀を埋められるような感覚です。上映が始まってからは、「実は、ぼくは嫌なんです」という話を、直井さんや勝村さんにはしました。今だったら、上映される前に拒否したと思いますが、当時のぼくは弱かったんだと思います。ただ、そこで距離を置くことも出来なかった。自分の知らないところで上映されるのは気持ちが悪いし、観に来た人の中で、誰かがわかってくれるかもしれない。そういう期待のようなものが、ぼくの中にはまだありました。
――『ガンダーラ映画祭』とは違うと思った?
はい。『ガンダーラ映画祭』は松江さんの知り合いばかりだし、露悪的なものも「過激で面白いね」と言う人が多いだろうと思っていました。でも、一般公開したら変わるんじゃないかと。そこでぼくも自分のことを言いたいと思ったので、イベントにも出演しました。だから、消極的ではありますが、1年目の上映に協力していたのは事実です。お客さんと顔をつき合わせたいと思ったんです。「面白かったよ」と言って下さるお客さんに「この作品はクソなんで観ないで下さい」とは言えないですが、わかってくれる人にはちゃんと話をしたかった。
――シネマ・ロサでの上映が始まる前に、興行収入の分配や、上映の権利の話などは出なかったんでしょうか?
そういう話は全くなかったです。ぼくが入った時には上映が決まっていたので、完全に外野扱いです。
――最初のロサでの上映期間中は、トラブルはなかったのでしょうか?
1年目のロサでの上映が始まってしばらくした後、劇場の楽屋で「DVD化のオファーが来ているらしい」という話を関係者から聞きました。DVDになるとずっと残ってしまうので、ぼくは「それだけは絶対にさせちゃいけない、引き下がれない」と思いました。だから、ロサの劇場前で話し合いをしたんです。松江さんと、直井さん、梅ちゃんもいたと思います。そこで、「DVD化の話が進んでると聞いたんですけど、どうなってるんですか?」と聞いたら、松江さんは「いや、話そうと思ったんだよ」と。最初は落ち着いて話をしていんたんですが、松江さんはだんだんと高圧的になって、「お前がどう言おうと関係ない」というような会話になりました。そこで松江さんが、「こいつ、殴っていいですか?」と言っていたのを覚えています。ぼくは「DVD化するようなら、本気で訴えますから」という話もしたんですが、最終的には「ふざけんなよ」「話が違うじゃねえか」と口論になりました。その時の話し合いがどう終わったのかは覚えていませんが、オチがつかないままだったと思います。
――その後は?
その後、『童貞。をプロデュース』の上映期間中にも、松江さん直井さんとはDVD化の件で話し合いを続けていたんですが、松江さんには「もうお前とは話したくない」と言われて、途中からメールをしても返信が来ない状況になりました。電話も着信拒否されるようになって、直井さんが窓口になりました。
――直井さんとは、どんな話をされたのでしょうか?
訴訟の話もしたので、ぼくを説得したかったんでしょう。ある日、直井さんから連絡があって、中野のタコス屋で話をすることになりました。ぼくと梅ちゃんと直井さんの3人で話をしたのを覚えています。直井さんには、「(DVD化は)嫌です。ここは譲れないです。それでも進めるなら、訴えるというのは変わらないです」と伝えました。そうしたら、直井さんは「何でお前にそんなことを言う権利があるんだ」というようなことを言い始めたんです。ぼくは、直井さんはまだ事情を話せばわかってくれるだろうと思っていたので、「この映画を作る前に、松江さんと『必ず相談する』と約束してます。ぼくの許可を得てやるということだったので、ここは引き下がれないです。DVDは残るものですし」と説明しました。すると、直井さんはバンッと机と叩いて、「そんなの知らねえよ!それは松江さんと君との話だろ。俺は知らねえ!」と、店に響き渡るくらいの大声で怒鳴りました。後にも先にも、直井さんがそんなにキレるところを見たのは、その時だけです。内心では、「この人は何を言ってるんだ?」と呆れていました。
――その話し合いは、決着したのでしょうか?
いいえ。その頃には、ぼくは弁護士さんにも何度か相談していました。弁護士さんには「性的暴行の線では難しいかもしれない」と言われました。当時は、男性が性暴力の被害者として認められにくかったからです。ただ、「著作権について争えば、楽勝」と、具体的な裁判の進め方も教えてもらいました。その話は、直井さんには伝えていません。
――なるほど。タコス屋での話し合いの後は?
その後、直井さんから「出演料を10万円払います」という内容のメールが送られてきました。ぼくは「これを受け取ったら、なし崩し的にDVD化を進められてしまう」と思ったので、「(興行収入から)どんな内訳で10万円に決まったんですか?」とか、著作権についても確認する文面をメールで返したんですが、結局返事はありませんでした。そこからしばらく時間が経って、『ゆうばり国際映画祭2008』に参加したときに、現地で直井さんに会うことがありました。「この前の“内訳”の話はどうなりましたか?」と聞いたんですが、直井さんは、「東京帰ったら連絡するよ。必ず連絡するから」と言って、逃げるように去っていきました。案の定ですが、東京に帰っても連絡はありませんでした。そこから、直井さんも音信不通になって、松江さん側とは完全にチャンネルがなくなりました。
『童貞。をプロデュース』1周年記念上映直前の松江監督と加賀氏のやりとり(YouTube)https://youtu.be/yrh-E6KQbPM
――そこからは?
2年目の上映が始まる直前に、たまたま、阿佐ヶ谷ロフトで『童貞。をプロデュース』の上映チラシを見つけたので、松江さんに連絡を取ろうと思いました。ただ、ぼくの電話は着信拒否されているし、非通知の電話もとってもらえない。だから、友達の電話を借りて連絡しました。電話には出たんですが、松江さんは「悪いけど俺は加賀と話をしたくないから」「俺とお前とで話をしても埒あかないからやめよう」と取り合ってくれませんでした。それでも食い下がって、ぼくが「『童貞。をプロデュース』の上映をやめて下さい」と言っても、「嫌です。そんな権利ありませんから」「だってお前、相談しても話を聞かないだろ?」「うるさいよ。(『童貞。をプロデュース』は)大きく言うとひとりで作ったよ、俺が作ったんだよ」と。結局、ここでも物別れに終わりました。このやりとりは撮影して、YouTubeにアップしています。
――2年目(2008年8月23日の『童貞。をプロデュース』公開1周年記念上映以降)からも、松江さんと直井さんは毎年『童貞。をプロデュース』を色んなところで上映していたんですよね。その間、加賀さんはどうしていたんですか?
2年目は、梅ちゃん経由で上映があることは知らされていました。シネマ・ロサでの上映のときには、池袋の駅前で「穴奴隷」の弾き語りをやりました。『童貞。をプロデュース』を観終わった人が、「加賀が登壇していないのは、なぜなんだろう?」と、足を止めてくれるだろうと思ったんです。実際、何人かは立ち止って話を聞いてくれました。そういう人たち一人ひとりに、あの映画に問題があることを説明する。まわりくどいですが、そういうことをやりました。
――3年目以降は?
3年目には、もう何も連絡がなかったと思います。上映していることも知らない状態。どこかでやっていたのを後から知る、という感じです。こちらも、ずっと情報を追いかけているわけではないので……。
――諦めてしまったということですか?
諦めてしまったのかもしれません。どうにもできないというか……裁判に持ち込めばいいんでしょうけど、それで手に入るものはお金だけだと思うし、本当の名誉回復にはならない。民事で解決しても、問題点をわかってもらえないと意味がないと思いました。
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