『童貞。をプロデュース』強要問題の“黙殺された12年”を振り返る 加賀賢三氏インタビュー<2019年12月12日追記あり>

なぜ、10周年記念上映に登壇したのか?

▲『童貞。をプロデュース』10周年記念上映舞台挨拶後、登壇者と別の方向から帰る加賀氏

――10周年記念上映(2017年8月25日)の舞台挨拶まで、松江さんや直井さんとは何もなかった?

SEALDsが国会前でデモをやった日(2015年8月30日)、そこに参加しようと思ったわけではないんですが、何が起きているのか自分の目で確かめようと思いました。彼らに共感することころは特になかったのですが、当時はあまり報道されていなかったことなので。国会前に撮影しに行ったら、そこにたまたま松江さんがいました。梅ちゃんから、松江さんが結婚したということは聞いていたので、ぼくは「結婚おめでとうございます」と言いました。松江さんが「子どもが生まれるんだ」と言うので、「そうですか。おめでとうございます」とも言ったと思います。その場は、それっきりだったんですけど。

――言い争いにはならなかったんですね。

相手を嫌っていても、それくらいは言うじゃないですか。松江さんを許したわけではないですけど、それくらいのことはちゃんとしたい。どんなに因縁がある敵でも、それくらいの気持ちは持っていたいというか。アンビバレンツな感情なんですけど。例えば、鈴木貫太郎(第42代内閣総理大臣)も、当時のルーズベルト米大統領の死に際して弔辞を述べたわけで。

――なるほど。

松江さんは、そのやりとりを「ほとぼりが冷めた」と解釈したのかもしれません。2017年の7月ごろ、梅ちゃんから「松江さんが『加賀くんに登壇して欲しい』って言ってる」と連絡がありました。ぼくは「じゃあ、登壇します」と。その後、松江さんから電話もかかって来ていたんですけど、話すことはないと思っていたので無視していました。その間、梅ちゃんには、鬼のように電話がかかってきていたらしいです。松江さんからのショートメールを見せてもらうと、「『山田孝之でも、もっとちゃんと連絡がとれるぞ。お前は山田孝之より忙しいのか?』って加賀に言っとけ」みたいなことが書いてありました。

――何事もなかったかのような感じですね。

ぼくが登壇することはロサのホームページに出ていましたし、連絡を取りたかったみたいです。10周年記念上映の日は怖かったので、梅ちゃんと合流してから劇場入りしました。その時には、梅ちゃんに「今日は喧嘩しに来た。迷惑かけるかも知れないけど、ごめんね」と伝えました。梅ちゃんは「めんどくさいから、やめてよ~」って言ってましたが。だから、当日何かをするということは、彼は知っていました。

――加賀さんが“やる”と決めたのは、いつのことですか?

やると決めたのは、(梅澤氏から)連絡を受けて、登壇することが決まった時です。その時には、事件化しないと問題提起にならないだろうと思っていました。言葉だけで伝えようとしても、どうにもならないだろう、と。ある意味、炎上させないといけないとは思っていました。

――暴力的ですし、支持されない可能性もある方法ですよね。その覚悟はあった?

覚悟というほどのものではないですけど、『童貞。をプロデュース』はそれだけ暴力的な作品だと思っているので。殴る蹴るの暴力ではないですが、強要は行われているし、それをコミックリリーフとして消費することも暴力的なことだと思います。もちろん、ぼくが舞台挨拶でやったことは、やっちゃいけないことだということは、よくわかっています。ただ、“それ”がどういうことなのかを、観た人に目に見える形で伝えたかった。今思えばバカバカしい話ですが、「伝えなきゃいけない」という使命感のようなものはありました。

――単なる復讐ではなかった?

松江さんに対する即物的な怒りは、あまりなかったです。復讐劇はあくまで“横軸”であって、ぼくが伝えたい“縦軸”は、ああいう作品を消費するリテラシーというか、感覚です。もちろん、当時ぼくが傷ついたということも、伝えたい、伝えなきゃいけないことでしたが。

――「暴力的な作品を楽しむこと」自体について考えて欲しい、ということですか。

そうです。ぼくは、それを考えることで『童貞。をプロデュース』が本当の意味でのエンターテインメントになると思ったんです。奥行きのある、テーマ性のあるものになるんじゃないかと。ただ暴力的で、弱いものが七転八倒するのを笑う、そういうポルノ的で即物的な快楽ではなくて、テーマを持った作品になるんじゃないかな、と。

――加賀さんが「AVへの出演強要」と比較して話を始めたときに、客席から少なくない笑い声が聞こえたのが、とてもショックでした。あのとき、加賀さんの主張は観客にとって「笑っていいもの」だった。

それは、12年前もそうでした。ぼくは真面目なことを言っているつもりなんですが、舞台上では笑いとして消費されてしまう。その状況を変えたいと思って、やったことです。例えば、戦争プロパガンダとして作られた映画は、戦時中はそのままプロパガンダとして存在していました。でも、今は学校などで平和教育の教材として使われているわけじゃないですか。戦後に「戦争はよくないもの」という認識が共有されて、ぼくらの意識が変わったから、作品そのものの意味も変化したんだと思います。だから、『童貞。をプロデュース』も、同じように変えることが出来るんじゃないか、と。

――なるほど。

ぼくは、『童貞。をプロデュース』を上映中止にしてほしいと思ってはいませんでした。むしろ、あの舞台挨拶でエクスキューズをつけたことで、その後の1週間でお客さんが作品をどう観るのか?そういう部分に期待していました。ただ笑いとして消費されていたものが、痛みを知って観てもらうことで、意味が変わるんじゃないか、と。ほとんどの人には伝わらなかったかもしれませんが、あの事件の後、ぼく自身は、これまで見えていなかった枝葉が出来たと思っています。何をどこに言ってもひっかからない状態だったのが、ものを考えるきっかけになった。自分を知るきっかけになったんです。それまでは、自分が正しかったのか、間違っているのかも独りで考えるしかなかった。自分からの景色しか見えなかったんです。

――舞台挨拶後のことも聞かせてください。

舞台挨拶後に壇上から降りたら、当時(2007年前後)のロサの支配人だった勝村さんが追いかけてきて、「加賀くん。10年間ためてきた思いを全部言えたね。おめでとう!」と、声を掛けられました。

――他人事みたいですね。

ぼくは「ちょっとずれてるけど、熱い人なんだな」と、素直に受け取りました。その後、ロサの責任者らしき方も来て、「ちょっと、楽屋で話をしましょう」と言われました。松江さんの手口は知っているので、壇上と同じように「いままでそうやって話して、ダメだったじゃないですか。裏では絶対に話しません」とお断りしましたが。それから、楽屋にカバンを置いてきてしまっていたので、梅ちゃんに取りに行ってもらいました。劇場を出たところで待っていたんですが、そこにたむろしていたお客さん何人かに話しかけられました。反応は概ね好意的だったと思います。そこで、舞台挨拶の一部始終を動画に撮っていた佐藤さんという方にお会いしました。「今日撮った動画を(YouTubeに)アップロードしていいですか?」と聞かれたので、「ぼくはいいですよ。その代わり、自己責任でお願いします」と伝えました。

――その後は?

劇場前にいた人たちの中にドキュメンタリーを勉強している学生や友人もいたので、彼らとコンビニでビールを買って、一緒に池袋西口公園で呑みながら話をしました。みんなは「とんでもないことになった」みたいな話をしていんたんですが、スマホを見ていたひとりが「(『童貞。をプロデュース』が)上映中止になったらしいよ」と言い出して、するとなぜか自然に「おめでとう!」みたいな拍手が沸き起こりました。ぼくは上映中止になって欲しかったわけではないんですけどね。それから何人かと公園の噴水に飛び込んで泳いだりして、といって高揚感といえるほど爽やかなものでもなく、色々と疲れて「破れかぶれ」に近い心情だったと思います。対照的に周りは結構盛り上がっていました。もう終電は過ぎていたので、みんなでタクシーに分乗して新宿の知り合いのバーに行って……その頃にはもうSNSが静かにですがざわつきはじめていました。早くもアップロードされていたYouTubeの動画を誰かが見つけて、店のテレビにキャストしてみんなで見たのを覚えています。恥ずかしかったです。同時に胸のつかえがようやく取れたような、そんな安心感もありました。その日は、そんな感じで帰りました。

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