田中義剛さんを嘲笑(ちょうしょう)する奴を、俺(おれ)は断じて許さない

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がむしゃらにやっている人は、カッコ悪いと思う反面すごいと思います。いろんなものをかなぐり捨てて、何かに取り組めているかというと、そうじゃない自分の方が、本当はずっとカッコ悪い。今回はRRDさんのブログ『NOW HERE』からご寄稿いただきました。

田中義剛さんを嘲笑(ちょうしょう)する奴を、俺(おれ)は断じて許さない
俺(おれ)が洋楽に興味を持ち始めたのは中学3年の1985年だった。ほぼ同時に知ったシンディ・ローパーとウーパー・ルーパーの区別すら付かない中学生だった。その後遺症で、俺(おれ)はいまだについシンディ・ルーパーと言うことがある。

文字通りの厨房(ちゅうぼう)だった俺(おれ)は、中学生にとってはメインカルチャーだった深夜ラジオにハマることになる。

深夜ラジオと言えば全国的には『オールナイトニッポン』ということになるんだろうが、こと北海道においては0時からの『アタックヤング』が絶大な人気を誇っていた。

パーソナリティは70年代の深夜放送の残り香を漂わせる落ち着いた局アナに、バラエティ路線を打ち出す微妙なタレントが混じるような感じ。後に局アナ枠も木村洋二アナとか明石英一郎アナとかバラエティ化が進んでいくけど、俺(おれ)が聞き始めたころは猶木裕子アナとか堺菜穂子アナの時代。

そんなタレント枠の火曜日に、不自然な田舎色を前面に打ち出した怪しいお兄さんがいた。「俺(おれ)は音楽で一山当てて牧場をやりてえんだ」ってさかんに言ってた。酪農の夢も何べんとなくラジオで語っていた。

熱くも語れるし、笑いも取れる、そしてなにより歌が聞かせる、今で言うとストリートミュージシャンとかインディーズとか言われる自主制作に近い形でレコードを作ってた歌手、アコースティック・ロックンローラーを自称していた田中義剛だ。

『トライアゲイン』とかすごいよ。
http://www.ongen.net/free/trial_download.php?id=tr0000024534&file_id=fl0000000001&stream_flag=1

なにせ「飛びぬけろその壁 灰色の雲が重く押し寄せ」だぜ?
なにせ「飛びぬけろその壁 明日につないだ夢を奪う」だぜ?
なにせ「裏切りと欲望の中で いつか心すさみ臆病(おくびょう)になろうとも」だぜ?
そうきて「トライアゲイン!」の連呼だもん。中学生熱狂もんだろ?

「トライアゲイン 明日が見えるまで」
「トライアゲイン 真実を求め」
「トライアゲイン 未来に羽ばたくために」
一事が万事、この調子。

曲のタイトルを見るだけでもストレート過ぎてひっくり返るよ。
つーか、まんま『KEEP STRAIGHT』ってアルバム作ってるし。
※アルバム『KEEP STRAIGHT』 / 田中義剛 (EMIミュージック・ジャパン 1988年)

「get back! 拳(こぶし)上げて叫んだころに 自分の言葉で生きてたはずさ」とか
http://www.ongen.net/free/trial_download.php?id=tr0000024539&file_id=fl0000000001&stream_flag=1
※アルバム『明日(あす)への叫び』より「暗闇(くらやみ)をぶっ飛ばせ」 / 田中義剛 (EMIミュージック・ジャパン 1987年)

「自由なんて孤独さ なんにも出来ないことさ ちっぽけな自分なんて 砕け散ってしまえ」とか
http://www.ongen.net/free/trial_download.php?id=tr0000024543&file_id=fl0000000001&stream_flag=1
※アルバム『明日(あす)への叫び』より「ノーサイド」 / 田中義剛 (EMIミュージック・ジャパン 1987年)

好きだったなー。つーか今でも好きだけど。

「地平線」とか、名曲だろ、これ。
http://www.ongen.net/free/trial_download.php?id=tr0000024554&file_id=fl0000000001&stream_flag=1
※アルバム『KEEP STRAIGHT』より「地平線」 / 田中義剛 (EMIミュージック・ジャパン 1988年)

で、客5人くらいしか来ないようなライブ(という言葉は存在しなかった時代)をやりながら、ひたすらチャンスを待ってたわけだ。これが意外な形でブレイクする。

日曜夜9時のフジテレビに『花王名人劇場』という枠があって、単発のバラエティ企画をよくやってたんだけど、ここで青森のなまり芸人が突如ブレイクした。具体的には吉幾三とか青森放送のディレクター兼タレントだった伊奈かっぺいとか、その辺と一緒に淡谷のり子をからかったりしてた。

これをきっかけに『俺(お)ら東京さ行ぐだ』がヒットした吉幾三を頼って上京、紆余曲折(うよきょくせつ)ありながらいよいよ歌手としてもメジャーデビューすることになった。それがいきなり作詞作曲人任せの演歌だもんなー。当然売れずに歌手廃業。

ところがビートたけしのフライデー事件をきっかけにオールナイトニッポンのパーソナリティをオーディションで勝ち取り、『笑っていいとも!』レギュラーを経てバラエティタレントとして活躍するわけだ。

その大きな一山を当てた活躍を俺(おれ)はうれしく見てた。大好きだった義剛さんの音楽が二度と聞けなくなったとしても、だ。

そんなバラエティタレントとして絶頂期を迎えていた1994年、義剛さんが牧場を手に入れたという小さな芸能ニュースに接した。それまですっかり忘れていた「俺(おれ)は音楽で一山当てて牧場をやりてえんだ」という、ラジオから流れてきていた言葉を思い出した。

音楽じゃなかったけど、一山当てて小さな牧場を買った。

当時の酪農は牛乳や牛肉の輸入自由化で壊滅的な打撃を受けていた。酪農家の離農、時には自殺が北海道では社会問題にもなっていた。酪農なんか新規参入してうまく行くなんて思ってなかった。義剛さんはタレントとして莫大(ばくだい)な収入があるし、観光牧場として、あるいは趣味の牧場として運営していくんだろうと思ってた。

ところがだ。

時折伝わってくる近況が、義剛さんの死に物狂いの挑戦をうかがわせるものだった。試行錯誤のチーズ作りに私財と借金のすべてを投じて自己破産寸前まで追い込まれたりしてた。もし土地に価値があったら、売却廃業に追い込まれていたところだった。そんな死線を渡ってきてまで、牧場経営という夢にまい進する姿に俺(おれ)は心打たれる以上のものを感じたんだ。

義剛さんは決して聖人じゃない。女癖が悪いなんて話は昔からラジオのネタでうかがい知れることだし、スマートとはいえないビジネス手法も、なんの保障もないチャレンジをしてる中小企業家としては当然のこと。カントリー娘。みたいなダボハゼに見える企画にも食いついてたっけな。夢のためにみっともなく食らいついていく姿は神々しいとさえ思う。義剛さんは牧場を守るためにいろんなものに手を出して失敗してきた。その姿も俺(おれ)は見てる。

カチョカヴァロチーズがヒットしたときには、函館の金森倉庫にも花畑牧場の直営店があったもんなー。撤退したけど。名義貸し同然のケーキ類を全国販売した時には、静岡のアピタで売れ残りの山を目の当たりにして、自分のことのように心が痛んだ。
そうやってスクラップ&ビルドのように挑戦と撤退を繰り返してきた。

そしてやっと当てた生キャラメル。

決して義剛さんの花畑牧場のがオリジナルでも、特に優れているわけでもないのは百も承知。そして誰にでも手作りできるもの。だからこそ取った売り逃げの戦略。行けるところまで行って、見切ったところで即撤収。至極当然のことだし、この事態も想定のことだろう。

痛いニュース(ノ∀`):【生キャラメル】 ついにハジケた田中義剛の花畑牧場バブル…東京の4店舗が閉店・札幌の工場も閉鎖
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1340277.html

義剛さんは夢だった牧場を、人生をかけて手にして、人生をかけて守っている。だからこそ俺(おれ)は心から尊敬するし、尊敬する起業家を聞かれたときに田中義剛の名を胸を張って口に出来る。たとえそのことで損をしても、だ。

そういうわけで俺(おれ)は、義剛さんほどの覚悟もないくせに偉そうな能書きを垂れている人たちを、断じて許すことが出来ない。
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化けの皮がはがれたゆうこっちゃ。コレでもドゾー⇒ http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20081225/322019/ 「生といいつつ,ものすごく加熱しているのである。じゃあ,何が生なのか。さっぱり分からない」

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「デンジャーゾーン」
http://www.ongen.net/free/trial_download.php?id=tr0000024537&file_id=fl0000000001&stream_flag=1
※アルバム『明日(あす)への叫び』より「デンジャーゾーン」 / 田中義剛 (EMIミュージック・ジャパン 1987年)

試聴だけじゃ聞けないけど、この曲のサビは「転がりながら 傷つきながら 明日への叫び」中二病全開の歌を歌ってたころと今と何も変わってない。音楽でこそ歌わなくなったけど、生き方で歌ってくれてる。

執筆: この記事はRRDさんのブログ『NOW HERE』より寄稿いただきました。
文責: ガジェット通信

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