続々・片瀬久美子がなにを間違えているか

続々・片瀬久美子がなにを間違えているか

今回はメカAGさんのブログ『疑似科学ニュース』からご寄稿いただきました。

続々・片瀬久美子がなにを間違えているか

また、「問題は片瀬久美子がLNT説はALARAに反し、閾値説こそがALARAに沿うものだと考えている点」という指摘についても、ガジェット通信の編集部で過去の私の発言や著作にそれを言明しているものがあるのか確認をして下さい。

「ガジェット通信に掲載された「LNT説とALARAの関係に関する勘違い」という記事について」 2013年06月01日 『Kataseのブログ』
http://ameblo.jp/harubird/entry-11542746899.html

これに答えてみる。閾値説派がLNT説を否定したがる理由のひとつに、「集団線量」がある。今更述べるまでもないが一応繰り返しておくと、LNT説というのは、どんな僅かな放射線でも僅かなりに有害であるというものだ。

ここから集団線量という考えが導かれる。一人一人の発癌率の上昇はわずかであっても、大量の人数を対象とすれば、癌を発症する人数は増える。一人の人間の発癌率が1%だとしても、1万人なら100人が癌になるという理屈だ。

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たとえば鉄砲の弾が飛び交う戦場で、1日に1%の確率で被弾するとする。戦場に人間が1人しかいなければ、1%の被弾はそれほど気にするリスクではないかもしれない。しかしその戦場に1万人の人間がいれば、1日に100人はほぼ確実に被弾することになる。

先に行っておくと、基本的に俺はこの考え方は正しいと思っている。というよりもLNT説を肯定するなら、理論的に集団線量が導かれるわけで、自動的に肯定せざるを得ない。

LNT説を否定したい人は、このことを否定したい。言ってみれば10%以下の被弾率なら、無害だという主張だ。10%以下は無害なら、戦場に1万人いようと、10万人いようと、被弾する人数は0になる。

ALARAというのはいわば1%ぐらいのリスクならゼロと同じじゃんという考え方だ。戦場にあえて行くのは理由があるはずで、その理由(メリット)に比べれば1%の確率で被弾するリスクはゼロとみなしていい、と。

しかしALARAの考え方をするかしないかには関係なく、その戦場に1万人の人間がいれば、100人程度被弾する。これにALARAを適用するなら、1万人の人間のうち100人程度の被弾は許容範囲である、となる。

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LNT説の真偽と集団線量の真偽は理論的には等価だ。LNT説を肯定するなら集団線量も肯定しなければならない。集団線量を否定したいならLNT説も否定せざるを得ない。

集団線量を否定するには一定以下の放射線は無害だと主張しなければならない。すなわちこれは閾値説。

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さて、下記は片瀬久美子が書いた文章だ。

こうして設定されたLNTモデルは、放射線防護のための大まかな指標としてどの程度の危険があるかを見積もり、例えば避難するかどうか等の判断のよりどころにする目的で使われます。

しかし、このモデルによって算出された集団内の死亡数は、ごく低い線量の範囲では健康影響が不明瞭なので正確さに欠けており、特に個々の人がガンで死亡する危険性を見積もるための目的で数字を出して使うのには適していません。

放射線の健康影響をめぐる誤解 片瀬久美子 | 復興アリーナ WEBRONZA×SYNODOS
http://fukkou-arena.jp/academic/放射線の健康影響をめぐる誤解 片瀬久美子/

つまりLNT説にもとづく集団線量による死亡数の算出は不適切だと主張している。これは集団線量の否定であり、すなわちLNT説の否定、すなわち閾値説なのだ。

LNT説は肯定するが(つまり閾値説を否定するが)、集団線量についてだけは認めないというのは、理論的にありえない。片瀬久美子は低線量における集団線量にもとづく死亡者数の算出は不適切だといっているのだから、これは閾値説を唱えているに等しい。

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もっとも、低線量における集団線量については、ICRPも曖昧な態度をとっているから、片瀬久美子だけがそう主張しているわけではない。

LNTモデルの適用の仕方については、原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)と国際放射線防護委員会(ICRP)から次の様な方針が出されています。

後述するようにICRPはLNT説を否定しているわけではないのだが、百歩譲って仮にそうだとしても、片瀬久美子が否定していることには変わりない。

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ではICRPはどう主張しているのか?低線量におけるLNT説の有効性が実証されていないのは事実。また低線量の影響自体が小さいのだから、相対的に他の要因による誤差も大きいことは考えられる。

一方で集団線量による死者数を算出すると、それは社会的影響が無視できない。たとえば地震予知を行なって、もし地震が起きなかった場合、予知を行ったことの社会的混乱と、実際に地震が起きた時の被害を考えると、安易に地震予知の結果を発表するのはどうかという話になる。

集団線量についても、この地域の住人は将来癌になる確率が高いと発表することの社会的影響(たとえばその地域の人と結婚を避けるとか)を考えれば、発表すればいいというものでもないだろう。そういうことには慎重にならざるをえない。

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ICRPが低線量における集団線量について、奥歯に物が挟まったような言い回しをするのはこういうことなのだ。ICRPがLNT説を「防護のための基準だ」というのも、予防するのには有益だろうが、すでに浴びてしまった住人の発癌率を計算するのは、社会的影響を考えれば、マイナスの方が大きいかもしれない。

なにしろもう運命は決まってしまったのだから、自分の発癌率がこれだけ上昇しましたと教えてもらうことが、嬉しいことなのか。結婚や就職に不利になるのではないか。そういう意味で「防ぐ」ための基準であって、すでに浴びてしまった人の発癌率を安易に計算して発表するのは、「ICRPの委員会としては」適切でないということ。それは各国の政府に任される政治的判断なのだ。

上記の記事に引用されている

特に,大集団に対する微量の被ばくがもたらす集団実効線量に基づくそのような計算は,意図されたことがなく,生物学的にも統計学的にも非常に不確かであり,推定値が本来の文脈を離れて引用されるという繰り返されるべきでないような多くの警告が予想される。このような計算はこの防護量の誤った使用法である

の「本来の文脈を離れ」というのもそういうこと。

 A) この地域に長くいると癌にかかる率がこれだけ上昇するので、立ち入らないでください。

これは有益な情報だろう。

 B) あなたはこれだけ放射線を浴びたので、癌になる確率がこれだけ上昇しました。

こういう情報を聞いて嬉しいだろうか? 覚悟ができて嬉しい人もいるかもしれないが…。

 C) あの人たちはこれだけ放射線を浴びてるので、癌で死ぬ確率がこんなに高いです。

こうなるともはや、当人にとって不利益の方が大きいだろう。発癌率の計算は防護のためにだけ使うべきというのは、こういうこと。正しいからこそ公表すべきでない情報もある。

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ということでLNT説にもとづく集団線量については、(不確実性は大きいかもしれないが)科学的には基本的に正しい。しかし社会的影響を考えれば、それを算出して公表するのは慎重であるべきということ。

それを一部だけ切り離して「ICRPはこう言っている」というから、ICRPはLNT説を否定しているかのように解釈する人が後を絶たない。俺が片瀬久美子に対して「一部だけ取り出している」と批判したのはこういうこと。

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この後片瀬久美子の記事はALARAの話になるのだが、なぜ集団線量の話からいきなりALARAの話になるのかわからない。片瀬久美子は最初の頃もいきなりALARAの話を始めたんだよね。

LNT仮説によって癌死者数を算出する事について、この疑似科学ニュース は誤解している様です。「公的機関の公式発表としてそういう試算を発表すべきかというと、控えるべきだろうという話」ではなく、一般的な適用の注意として指摘がされています。

http://twitter.com/kumikokatase/status/338639007762219008

線形閾値なし( linear no-threshold: LNT )モデルについてのありがちな誤解についての解説はこちらに書きました。 http://bit.ly/157cvLv  そしてICRPは、LNTモデルはALARAの原則と組み合わせて使うことを推奨しています。

http://twitter.com/kumikokatase/status/338639578984509440

公的機関うんぬんは上記の集団線量の話だから、まったく構図は同じ。片瀬久美子はなぜか集団線量の話をするとALARAで反論(?)してくる。集団線量とALARAは直接はなんの関係もないと思うんだけどね。ALARAはむしろ個人の被曝についての考え方だろう。それがなぜ集団線量の話にでてくるのか。

片瀬久美子はこの辺なんか勘違いしてると思うんだよね。ALARAを根拠に集団線量が不適切だとされているわけではないのだから。で、「自分が何を言ってるのかわかってないんじゃないの?」と言ったわけ。なんか片瀬久美子の頭のなかでは

 「LNT説の肯定」+「ALARAの肯定」→「集団線量の否定」

みたいな構図になってんですかね。集団線量を否定するにはLNT説を否定しなければならず、それは閾値説を肯定するということ。

 「LNT説の否定」=「閾値説の肯定」→「集団線量の否定」

となる。

 「LNT説の肯定」=「閾値説の否定」→「集団線量の否定」

これはありえない。

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おそらくこの点が

 俺「片瀬久美子は閾値説を主張している」
 片瀬久美子「自分(片瀬久美子)は閾値説を主張したことはない」

という認識のズレなのだろう。上述のように集団線量を否定するには、LNT説を否定し、閾値説を肯定しなければならない。片瀬久美子は集団線量を否定している(もしくは否定したい)ようだから、俺はそれは閾値説の肯定を意味すると指摘した。

ところが片瀬久美子としては、閾値説を否定しなくても、LNT説+ALARAで集団線量を否定できるという考えなのだろう。したがって自分(片瀬久美子)は集団線量を否定しているが、閾値説を肯定していないというスタンスのようだ。

それなのに俺に「片瀬久美子は閾値説を肯定している」と指摘されたので、「そんなことは言っていない」と激怒したと思われる。しかしその齟齬はすでに述べたようにLNT説+ALARAで集団線量を否定できるという片瀬久美子の誤った認識のためなのだ。

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余談だけど検索しててたまたま見つけたのだが、twitterで片瀬久美子を擁護しているbuveryのブログ、なにやら凄まじいね。

『低線量被曝x巨大な人口』の手法の『予測』で分かるのは、『死亡者数』を増やしたいという政治的もくろみだけ

「LNT仮説は、大規模低度被曝の推測の役に立たない」 2011年05月18日 『buveryの日記』
http://d.hatena.ne.jp/buvery/20110518#1305681656

集団線量は陰謀らしい。また集団線量は検証できないから科学ではないと主張しているが、これこそ科学というものをわかっていない。実際に検証できないことはたくさんある。ビッグバンとかの宇宙開闢の謎を研究するのは、この人にとっては科学ではないのだろうか。

現在我々が知っている科学の法則が、特に理由がない限り、宇宙開闢時でも成り立つとして考えるのが科学だ。むろん成り立たない法則もある。しかしそれは「成り立たない」ことがそれなりの信憑性で証明されなければならない。科学の考え方というのはそういうものだ。

低線量における影響も、LNT説が成り立たないという積極的な証明がないかぎり、たとえ実証できなくてもLNT説が成り立つと考えるのが科学。閾値説派はLNT説が成り立たないことを示す実験データを上げてはいるが、LNT説を突き崩すほど有力なものは出てきていないというのが、現在の妥当な考え。

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追記2013-06-02

『実証できなくてもLNT説が成り立つと考えるのが科学。』この人は馬鹿ですね。低線量においては、LNTも閾値ありも『両方とも間違っていると示すことはできない』。それも原理的に。だから、一方が科学なら残りも科学。これは排他ではない。

http://twitter.com/buvery/status/341076387240742913

なにを言ってるのかよくわからないが、LNT説も閾値説も科学だよ?俺もそう言ってるはず。しかしどちらが妥当な説かといえば、LNT説だと言っている。天動説も地動説も科学。でも現在は地動説が妥当と考えられている。閾値説というのは、そもそもLNT説で説明不可能な事柄を説明するために生まれた。

しかしそもそもLNT説で説明不可能な事柄というのが、ノイズに紛れて観測しにくい。ありそうでもあり、なさそうでもある。ノイズスレスレに現れる。疑似科学の典型的パターン。もちろんこの先閾値説の方が妥当という証拠が出てくれば別だが、現状はLNT説が十分リードして有力。

喩えですから、細かいことを言えば必ず合わないわけで。LNTの本質的な問題は、低線量域でのDDREFの不確定性をICRPが言っている以上、閾値ありと論理的には同じことです。ただ、閾値やDDREFが不確定だから、LNTで(DDREFも)決めうちしている。

http://twitter.com/buvery/status/341085409557749760

DDREFについては、話が面倒になるだけだから触れていない。低線量の影響についてははっきりわかっていないのは事実。しかし現状の第一近似としてはLNT説は十分有効。そもそも放射線の影響をたった一つの数値で表そうというのだから、限界はある。その中でどういう判断をしていくかであり、LNT説が妥当と考えられている。

特にICRPの場合は、努めて政治的なことから離れようとしていますね。この馬鹿の壁のような人が『LNTは科学的、ALARAは政治的』なんて言っていますが、両方とも防護方針として採用しているのであって、LNTが低線量域まで科学で証明される日は未来永劫ありません。

http://twitter.com/buvery/status/341087117428011008

政治的に離れようとしているというのは同感だが、それは「委員会は~しないことにした」という言葉に現れている。ICRP自身はそういう政治的な面には立ち入らないという意思表示。あなたのいう方向とはちょっと違う。

LNT説は科学であり、人間の価値感に影響されない。温度計と同じ。ALARAは人間の価値観による判断。リスクとメリットを天秤にかけること。防護方針うんぬんは本文で述べた。あなたは科学の位置づけと使い方がわかっていない。

あなたが示してくれたドキュメント読んで感じたのも同じ事。基本的な科学の考え方を身に着けていないのに、情報だけをかき集めるたって感じで、情報同士が有機的に結合していない。

でも、科学でないからといって、まったく適当に趣味で決めているわけではありません。防護方針にはそれなりの理屈があって、こういう方針が良いと言っているのであって、原発を推進・反対とかのレベルで政治的なことを言っているわけではありません。

http://twitter.com/buvery/status/341086489486176256

なんかあなたは「政治」と言う言葉も、変な意味で使っているね。「それなりの理由」というのが、メリットとデメリットのバランスであって、それ科学ではないということ。政治という言葉から原発推進・反原発しか思い浮かばないことに、イメージの貧困さを感じる。

もう一つ、こういう方針が必要になるのは、例えば、事故になってから『放射能がー』『低線量被曝がー』と議論していれば間に合わないからです。だから、ICRP111などこれが妥当な方針だと示されていることは、相当な時間の短縮になる。

http://twitter.com/buvery/status/341087973867155456

もちろんICRPの「政治的な」基準は有益だ。単にそれは科学ではなく政治の分野というだけのこと。なんか「政治」=「無益」みたいな思い込みがあるのかな。

『実証できないので保守的にLNT(仮)説が成り立つとして規制値を定めた』と書かれてますね

http://twitter.com/Ikaushi/status/341089927460708352

基本的に科学というのはそういうものだ。月にロケットを飛ばしても、月の付近で地球と同じ物理法則が成り立つかは、飛ばしてみなければわからないわけで。成り立つだろうという予測でロケットを飛ばすわけだ。もしかしたら月はハリボテで、ダンボールでできてるかもしれない。でもそういう可能性は低いと考えるのが科学。

というか、そもそも「科学で実証されてないなら危険がない」みたいな話になってるのはどういうこと?我々の現状の科学で証明できなくても、存在する危険は存在するだろう。目の前のモンスターが目をつぶれば消えてなくなるみたいな。人間が認めようが認めまいが、存在する危険は存在するし、存在しない危険は存在しない。その中で精一杯、予測しましょうというのが、科学のあるべき姿だと思うけどね。嫌なものは100%証明されない限り認めないという姿勢は、はたして得なのかね。

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『天動説も地動説も科学。でも現在は地動説が妥当と考えられている。』http://www.asks.jp/community/nebula3/153060.html …  何を言っているのか。座標系を太陽に置いても地球においてももどちらも矛盾なく物理法則を書き表せる。ただ、地動説の方が説明が簡単になるだけのこと。

http://twitter.com/buvery/status/341187360458952704

よく本にそう書いてあるけれど、実際には天体の観測精度が上がった現在では、天動説で説明するのは無理。というか反論する点が陳腐。

低線量域で閾値がある仮説はそれなりの根拠がある。特に低線量・低強度被曝(1?Sv/h程度以下)では、人間において発癌の増加が認められていない疫学の結果が出ている。今の福島の例に比較的近い、ノールウェーのサミの疫学でも、発癌の上昇は認められていない。

http://twitter.com/buvery/status/341188262293020672

なにもあなたに列挙してもらうまでもなく、閾値説を支持するデータは無数にある。しかしそれでもLNT説を覆すには力不足というのが、現状の妥当な判断。UFOが存在する証拠だって無数にあるよね。池田信夫が「閾値説を支持する論文がこんなに多い!」とか言ってたけれど、数では決まらない。

UFOだと非現実的すぎるというなら常温核融合とかどうだろう?まっとうな科学の世界では否定されているけれど、いまも存在すると信じて実験をし、現代の科学では説明できなエネルギーの上昇が検出されたと発表している人たちがいる。たぶん試料に含まれる不純物とか実験のミスだと思うのだけどね。

こんなことLNT説 vs 閾値説の論争で腐るほど語られつくされているわけで、ここで俺とあなたがそれを繰り返すのは不毛。俺も過去にずいぶん語ってきたしね。

「ホルミシス関係記事」『疑似科学ニュース』
http://nebula3.asks.jp/49255.html

あなたもあなたの立場で語ってきたのだろう?お互い繰り返しても不毛だろう。

原爆の瞬間被曝においても、100mSv程度まで発癌の上昇は認められていないし、寿命の短縮効果だと、200mSv程度まで短縮しない。この効果は、閾値ありでもなしでも同様に説明できる。効果が小さいからどちらが間違っているとは言えない。だから、LNTは科学ではなく防護方針になっている。

http://twitter.com/buvery/status/341189229533069312

これについても、上で述べたようにたった一つの数値で放射線のリスクを表すことに限界がある。昔の天気予報はあまり当たらなかった。だからといって天気予報をなくしてしまえということにはならない。

ICRPの防護方針は3つあって、閾値なし線形説(LNT)とALARA(合理的な限り線量を低減する)と線量限度(DOSE CONSTRAINT) この三つ。ただし、現存被曝状況では、線量限度のかわりに、参照レベルを用いる。

http://twitter.com/buvery/status/341189775409168384

『DDREFについては、話が面倒になるだけだから触れていない。』 ICRPはLNTではあるが、DDREFを使っているから、完全なLNTではない。それに触れずに集団線量が不確定であることを示すことはできない。最初から無理な議論ですね。

http://twitter.com/buvery/status/341190540932575234

DDREFだってまだ海のものとも山のものともはっきりしないじゃん。現状の科学の限界なのだから仕方ない。しかしそれは現状の科学の精度の問題なのであって、存在するリスクは存在するし、存在しないリスクは存在しない。あなたの言い方だと、きっちり予測できるようにならない限り、リスクは存在しないってことになるよね。現状では精度の悪い近似しかできないのだから、それを予測に使うしかないじゃん。

『LNT説は科学であり、人間の価値感に影響されない。』 防護の立場から言えば当然価値観に影響される。閾値があるという説でも良いが、閾値は不確定で、線形でないと仮定すると、線量を単純に時間積分することができなくなるので線量限度を出せない。

http://twitter.com/buvery/status/341191186087809026

閾値説の問題は、閾値説を主張する人の間でも、その閾値がバラバラなこと。閾値説を主張する人間の間でも統一したモデルが作れないのに、LNT説に対抗できるわけないじゃん。とりあえず仮説であっても現象をある程度一貫して説明可能なモデルを作らないことには、LNT説には対抗できない。

だから、防護の基準を作るためには、LNTでないと実際上困る。これは科学で決まることではなくて、線量限度を決める必要があるから、逆算して防護方針はLNTであると言っているだけのこと。実際、ICRP99でLNTは科学的に矛盾する例もあるが、慎重な立場からLNTを採用すると言っている。

http://twitter.com/buvery/status/341191813220143105

何度も言うように、もしLNT説が箸にも棒にも掛からない様な科学的に信頼性のない説だったら、防護の基準として採用されたと思う?もしLNT説が科学的な妥当性がないなら、説得力がないじゃん。あなたのいうのは言葉尻を捉えたただの屁理屈。そういう考えができない時点で、科学的センスがなく、むしろ疑似科学的な思考。

なんかあなたは完璧でないと「科学」とは認めないようだね。でも完璧なものなんてないと思うけどね。そこそこの妥当性があるからそれを利用しているわけで。それが科学というもの。不完全だからこそ科学は発展の余地がある。

たとえば地球と月の距離もむかしはあまり精度よく測れなかった。それでもいろいろ工夫してなるべく高い精度を求めた。いまはアポロ宇宙船が月に置いてきた反射板にレーザーを当ててかなり正確に測れるようになったが、それだって低い精度の計測データを駆使してなんとかロケットを飛ばしたからこそ、より正確な値を計測できるようになったわけで、こうして徐々に高めていくしかない。

ロケットなんて大げさなことでなくても、たとえば流体の予測とか、現在も複雑で完全にはよくわかってないよね。だからコンピュータシミュレーションとかを駆使するわけだけど。精度の高い予測をするにはスーパーコンピュータが必要。それも際限がない。コンピュータが使えない時代は一生懸命風洞実験をしたり経験と勘を駆使していたわけだ。でもコンピュータシミュレーションがない時代でも飛行機は飛んでたよね。制度が悪いなりにも一応それなりに有効だったということ。

あとの、あれかなー、これかなー式の個人的グダグダ感想はどうでもよい。防護の方針をどのように考えているのか、理解していないことしか分からない。

http://twitter.com/buvery/status/341193200045813761

なんかあなたは防護方針に関して語りたいようだけれど、俺としてはあまり興味ないんだけどね。だってそれはケースバイケースで現場で決めていくしかないじゃん。その時ICRPの基準があれば、その拠り所になるという程度の話。あなたがなにを語ろうと自由だけれどね。防護方針だからLNT説は科学じゃないというのは、逆立ちした屁理屈。繰り返しになるが科学的に妥当性があるから防護方針の支えにもなっているわけで。論法が疑似科学っぽい。陰謀論だよね。

ICRPなんか存在しなくても、そんな人間の事情と関係なく、存在するリスクは存在するし、存在しないリスクは存在しない。あなたの話を効いてるとまるでICRPが「リスクなんてありません」と決定すれば、本当にリスクがなくなるかのようだ。ICRPは創造主か?と。ICRPのしょせんは人間が運営している機関に過ぎない。それなりに権威があり判断のよりどころになるというだけ。それをICRPの報告書を神の言葉が書かれた聖書を解釈するかごとく扱うのはおかしい。

LNTを強調する人がALARAを無視すると、異常な主張になるのには理由がある。ALARAは、放射線のリスクと他のリスクを落ち着いて理性的に比較しましょう、ということだけれど、LNTだけを強調する人は、放射線のリスクのために他のリスクを全部犠牲にせよと主張するから。

http://twitter.com/buvery/status/341194095919767552

これこそあなたがLNT説を正しく理解していない証拠だね。LNT説というのは、何度も繰り返しているが温度計のようなもの。人間の価値観とは関係なく存在する。「どんなリスクも許容できない」というのは、LNT説ではない。「どんなリスクも許容できない」と考える人が逆に「科学でリスクないことを証明してほしい」と願うわけだよ。ALARAはLNT説でこそ有効な考え。閾値説ならALARAはいらないよね?

あと集団線量の話にALARAを持ち込んじゃだめだよ?集団線量を否定したいならストレートに閾値説をとるしかない。ALARAは役に立たない。しいていえばLNT説に基づいて求めた集団線量の結果に対してALARAを適用するのが正しい。原発事故が起きると○万人が癌になるけど、それぐらい許容範囲だよね、と。それを「低線量だから犠牲者は出ない」と言い張るのは、現実に背を向けている。

どうもあなたはどうしても客観性(科学)と主観(人間の価値観)を分離して考えられないようだ。LNT説が正しいと考える中に、さらにALARAにしたがって政治的方針を決めましょうという人たちと、どんなリスクもゼロでなきゃ嫌だと考える人がいる。LNT説が算出するリスクに対して、ゼロじゃないから嫌だという人たちと、この程度なら許容範囲と考えようという人たち。

で、「ゼロじゃないと嫌だ」というのも「この程度なら許容範囲だ」というのも、これは人間の価値観の話であって、科学の領分ではなく政治の領分。でそれについては政治的な話だからここでは述べない。俺は原発推進派だからALARAの考えだけどね。でもそれは別な話。まずは科学と科学でないものを分けて考えることが大事。あなたにはそれができていない。

LNT説が低線量では誤差が大きくなるというのは、温度計が低温だと精度が悪くなるようなもの。でもそういう温度計しかないんだから、我慢してそれを使うしかないじゃん。完璧な精度でない温度計なんか捨ててしまえというのは、失うものが大きすぎ。

リスクを理性的に比較するのをやめれば、結論が理性的でなくなるのは、最初から約束されているようなもの。

http://twitter.com/buvery/status/341194272290267136

意味がよくわからないが「リスクを理性的に比較する」というのは、リスクとメリットを比較するということだよね。リスクの方は発癌率として科学で算出できる。しかしメリットというのは人間の価値観(原発ができて電気が安くなっていいな~とか)なのだから、それは科学ではない。その比較が理性的か感情的かに関係なく、それは人間の主観(政治)に属するもの。合理性と科学は同じではないよ?合理性というのは科学よりも広い。つまり合理的であっても科学ではないものがたくさんある。あなたはそういうことをいろいろごっちゃにしている。

   *   *   *

追記2013-06-03

『LNT説が箸にも棒にも掛からない様な科学的に信頼性のない説だったら、防護の基準として採用されたと思う?』馬鹿の壁の続きですが、LNTと閾値ありは低線量ではどちらも成り立つのだから、閾値ありを採用することもできる。

http://twitter.com/buvery/status/341367635461677058

その場合に採用する閾値説というのは、誰が主張する閾値説を採用するの?それはそれなりにコンセンサスがとれているものなの?俺にはそうは見えないんだけど?

疑似科学の世界でも「相対性理論は間違っていた」と主張する人は多いが、その主張はまちまちだよね。そう主張する研究者の間で共通のモデルが作れていない。指揮系統が整った正規軍に対して、統一された勢力のない個々のゲリラが散発的に戦いを仕掛けているだけ。閾値説もそう見える。

防護方針としてどちらを採用するのかは、人間が判断して決めています。この人は、放射線の被曝自体でリスクが自動的に決まるように思っているが、それはリスクが結果として出てきて初めて実証されうる。ところが10mSv/年程度以下の福島のような場合、はっきりとした結論はおそらくでない。

http://twitter.com/buvery/status/341368400540471296

人間の科学が実証に成功しようがしまいが、リスクの有無は人間とは無関係に決まるだろうに。人間が森を見つけて地図に載せる前から森は存在するわけで。

実証されない数字を言ったところで、宗教と同じで、しょうがないわけだね。

http://twitter.com/buvery/status/341368747610759170

実証という意味も科学という意味も取り違えているね。たとえば放送局からラジオ放送を流す。ラジオから音楽が聞こえてくる。放送局の電波が届いていることが観測されるわけだ。その横で強力な妨害電波を流す。ラジオの音楽はノイズに埋もれて聞き取れなくなってしまう。

この状態だけを観測すれば放送局から放送が行われているかどうかも判断できない。しかし聞き取れない(ノイズと分離ができない)だけで、放送局からの電波は変わらずにラジオに届いている、と考えるのが科学。ノイズの影響を取り除くことができないのは、技術の限界に過ぎない。

部屋に自分と猛獣がいる。部屋の明かりを消せばとりあえず暗くて猛獣の存在は確認できなくなる。しかし明かりを消す前は猛獣はいたし、それが突然消え去るというのも考えにくい。なので猛獣が見えなくても依然として猛獣はいると考えるのが科学。もちろん「猛獣は明かりを消すと、別の場所に音もなく瞬間移動する」ということがそれなりの信憑性で証明されれば別だけどね。

   *   *   *

追記のところをきちんと理解するのは難しいなぁ

http://twitter.com/mo0210/status/341381628238639105

難しいだろうねぇ。でも難しさに挑戦してみたら?

ALARAは政治でもないし科学でもない。ある一つの考え方。政治か科学かという問題設定をすること自体無意味だし、無用な混乱の原因の一つ。

http://twitter.com/mo0210/status/341374873639219201

一連のエントリでは、科学でない人間の主観にもとづく合理的判断を政治と呼んでいる。そもそも問題設定などしていないし。説明のために名前がないと不便だから使っているだけのこと。最初のエントリから順に読めばわかるはずなのだが、まあ随分エントリも増えたから、途中のエントリしか読んでない人にはわかりにくいかもね。

なんだ「俺様の閾値有りってのはこういう意味だ」という言い訳が始まったのか。あほらし。詭弁の一種http://iwatam-server.sakura.ne.jp/software/giron/giron/ar01s09.html …→メカAG氏の言い訳 これは集団線量の否定であり、すなわちLNT説の否定、すなわち閾値説なのだ

http://twitter.com/Yuhki_Nakatake/status/341399790971662338

言い訳もなにも、最初からそういう話なのは一連のエントリとその追記部分を順番に読んでいけばわかること。

大石先生に天動説や地動説の違いを理解してご覧、という勇気は私にはありません。w こういうのを釈迦に説法というのだと思います。RT @mo0210: 追記のところをきちんと理解するのは難しいなぁ

http://twitter.com/buvery/status/341402723708715008

まずは相手の主張の中身を理解しなきゃ、正しいか正しくないか判断できないんじゃないの?相手の主張はこういうことである。そして間違っている箇所は突き詰めればこの箇所である、と指摘しなければ。俺の記事はそんな手間をかけるに値しないというなら、それでいいと思うよ。でも「難しい」というのは、理解しようとしたからじゃないの?だったら「もう少し頑張ってみては?」と言ったまでのこと。

(脱線しますが)そもそも、地動説というのは天動説では説明できない観測事実がでてきちゃったので唱えられ始めた、ということもあるので。決定的だったのが望遠鏡による観測により、所謂ガリレオ衛星が木星の周囲を移動(公転)していたことをガリレオが見つけたこと。

http://twitter.com/mo0210/status/341403302447181824

まあそういう部分にしか意見を述べられないってのもどうかと思うけどね。小説の挿絵のイラストが気に入らないと言ってるようなもの。

これまでの議論の流れ

関連するエントリーを時間順にご紹介します(編集部)

菊池誠も放射線についてはトンデモ(メカAG氏)
http://nebula3.asks.jp/137420.html [リンク]

放射線の健康影響をめぐる誤解(片瀬氏)
http://synodos.jp/science/1568/3 [リンク]

LNT説とALARAの関係に関する勘違い(メカAG氏)
https://getnews.jp/archives/350653 [リンク]

ガジェット通信に掲載された「LNT説とALARAの関係に関する勘違い」という記事について(片瀬氏)
http://ameblo.jp/harubird/entry-11542746899.html [リンク]

片瀬久美子がなにを間違えているか(メカAG氏)
http://nebula3.asks.jp/152402.html [リンク]

続・片瀬久美子がなにを間違えているか(メカAG氏)
http://nebula3.asks.jp/152722.html [リンク]

続々・片瀬久美子がなにを間違えているか(メカAG氏)
http://nebula3.asks.jp/153060.html [リンク]

執筆: この記事はメカAGさんのブログ『疑似科学ニュース』からご寄稿いただきました。

寄稿いただいた記事は2013年06月03日時点のものです。

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