10代の頃の友人との再会〜尾崎英子『たこせんと蜻蛉玉』

10代の頃の友人との再会〜尾崎英子『たこせんと蜻蛉玉』

 時間の流れ方って、人によって違っているような気がしてならない。もちろんそんなことはないわけだが、例えば同年代の人が勉強もがんばって仕事でも成果を上げていることを知ったとき。この人は密度の濃い時間を過ごしてきたんだなあと圧倒される。私は受験もうまくいかず、会社員としてもたいした結果を出せなかったが、当時は時間をフルに使っていたつもりだったのに。あるいは、自分がずっと覚えていた思い出を、相手はきれいさっぱり忘れているようなとき。向こうにとっては、いちいち覚えている必要もないできごとのひとつに過ぎなかったのかと思い知らされる。

 主人公の宇多津早織はシングルマザーとして、小学5年生の息子・柊を育てている。夫だった槙さんとは5年前に死別。死因は癌だったのだが実は再発で、最初に見つかった25歳のときに一度手術をしていたことを、早織は槙さんが亡くなった後に知った。「命にかかわる大事なことをずっと知らされていなかった」「信用されていなかった」という思いはしこりとなり、早織は一周忌を待つことなく籍を抜いて、柊と新しい土地での生活を始めた。

 空想がちな柊にはネムくんという友だちがいる。現実の存在ではない、いわゆるイマジナリーフレンドだ。柊は1か月ほど前から学校を休むようになっていた。事情を聞き出そうとしても、柊からはっきりとした返事が返ってくることはない。一度なんとか登校させたものの1時間目で学校を脱走してしまってからは、早織も無理強いすることはなくなった。

 人間ドックで要再検査となった早織が病院で会計を待っていたとき、「ウタ」とあだ名で呼びかけられる。声をかけてきたのは、入院着を着た高校時代の同級生・雨谷。ふたりは大学入学で上京するまで、淡路島の進学校に通っていた。再会が少々ぎこちないのは、恋のライバルのような関係だった過去があるから。彼女たちが心を寄せていたのは、飛び抜けて絵がうまい沢井文也。同じクラスで同じ美術部の3人の関係は緊張感を伴ったものだったが、ある日その均衡が大きく崩れる事件が起きて…。

 私が残酷だなと思ったのは、早織の心にずっとわだかまり続けてきたことが、ある登場人物にとっては完全に過去のエピソードになっていたという描写だった。つまるところ、早織が思っていたほどには、相手は重要と捉えていなかったということだ。こういうのって、まったく珍しいことではない。だからこそよけいに、忘れられずにいた早織はつらいのではないかと思う。若い頃にはささいなことでも心が傷つけられた。友だちの何気ない発言についてくよくよ考えて、眠れない夜を過ごした経験のない者が果たして存在するだろうか。であるならばしかし、自分の言葉も鋭い凶器となっていたかもしれないともいえる。”自分だけがつらくて、自分の方が圧倒的に正しい”と思い込みがちだった若かりし頃を思い出すと、私自身恥ずかしくてそれこそ眠れなくなる。

 本書は家族小説としても恋愛小説としても興味深いけれど、個人的に最も印象的だったのは友情小説としての側面だった。どちらかというと地味女子だった早織とクラスの一軍的立ち位置だった雨谷が、時を経て距離が縮まったのには真実味を感じるし、縮まりすぎないところはもっとリアルだ。10代の頃にはたくさんの失敗があり、人間関係でうまくいかないようなこともしばしば経験するものである。それでも早織と雨谷は、落ち着いて過去を振り返ったり、現在抱えている悩みについて語り合えたりするまでになった。柊が雨谷に対しては自分の不登校の理由を語ったのも、母親とある種の親密さを共有している相手だと見抜いたからではないか。

 歳をとって、うまくやれるようになることもあれば、逆に難しくなることもある。凹んだりもするけれど、人生は完璧ではないということに対して折り合えるようになるのが大人のよいところだ。そしてそれは、若い頃に苦しんだり傷ついたりした経験があってこそたどり着ける境地ではないかと思う。尾崎作品を読むといつも、”人生いいことばかりじゃないけど、捨てたものでもない”と励まされる。

(松井ゆかり)

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