公共の敵

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I'll be here-社労士 李怜香(いー・よんひゃん)の多事多端な日常

今回は李怜香さんのブログ『I’ll be here-社労士 李怜香(いー・よんひゃん)の多事多端な日常』からご寄稿いただきました。

公共の敵

『公共の敵』というタイトルの韓国映画があるのだが、今回は映画の話ではない。
10年前に書いた記事の引用から。

オウム真理教(現アレフ)の信者が、転入先で地域住民の移転反対運動にあい、住民票の受理を拒否される、という事件が続いたころも、わたしは完全に信者側にたってことの推移を見ていた。地域住民から強い不信感、不安感が表明されれば、法の保護は、もう彼らには与えられないのだ。現段階では、裁判に信者側が勝っている地域もあるので、法の保護は期待できない、というわけでもないのだが、そのころは、そのニュースを見るたびに、恐怖でいっぱいになった。アレフ信者が怖いのではなく、地域住民が怖かったのである。

ところが、夫を含めて、わたしの周りのちゃんとした見識を持っていると思っていた人たちが、だれも口をそろえて「理屈はそうだろうけど、実際にオウムが近くに越してきたら怖いよ。住民の対応は無理もない」という意見だったので、わたしはますます落ち込んだ。

「恐怖される恐怖」 2002/02/22 『I’ll be here-社労士 李怜香(いー・よんひゃん)の多事多端な日常』
http://www.yhlee.org/diary/?date=20020222#p01

当時も今も、わたしがオウム真理教にシンパシーを抱く理由は特になく、東京に住んでいたころに、ちょうど彼らの選挙活動や、サリン事件があり、不気味さや恐怖を感じていたし、怒涛(どとう)のオウム報道にも接していたので、おおかたの日本人が当時オウムに対してもっていた感情を、わたしも共有していたと思う。

だからといって、どんなに不気味で、残虐な犯罪を犯した宗教団体の信者であったにしろ、教祖の家族であったにしろ、それだけの理由で住民票の受理をしない、というのは、行政の行動としては許されない。そんな裁量は自治体の窓口に認められていないし、これは重大な人権侵害である、という理路がみえなくなるわけではない。裁判の場にでれば、オウム信者側が勝つのは当然の話である。

しかし、当時、人権侵害という方向で、行政の対応を批判する報道や言論は、あったのかどうかわからないが、ほとんどわたしの目にははいってこなかった。

日本社会が“公共の敵”と認定したオウム真理教に対しては、法で縛られている行政でさえも、法を破ってなにをしても許され、それを批判する人はいない、という状況に震えあがったのだが、その恐怖を共有してくれる人はいなかった。

わたしの『Twitter』や『Facebook』を読んでくれている人は、朝鮮学校に対する高校無償化除外の問題や、補助金カットの問題に、わたしがいちいち反応しているのを見て、この人は朝鮮学校出身だからだろうと思っている人もいるかもしれない。わたしは、朝鮮学校には通ったことはないし、総連の活動にも参加していない。まして、北朝鮮シンパでもない。韓国のパスポートをもっていて、北朝鮮に帰国した近い親戚もいない。

もちろん、朝鮮学校には親しみを感じているし、民族教育の場として、在日朝鮮人全体の大切な財産であると考えているので、オウム真理教に対する感情とは雲泥の差だが、わたしが発する「朝鮮学校を守れ」という言葉は、朝鮮学校という場自体を大切にする気持ちからだけでているのではない。当時の中井拉致担当相が横やりをいれて、朝鮮学校が高校無償化の対象からはずされたとき、わたしが震かんした理由はほかにもある。

いままで、在日朝鮮人は法的にも日本人よりもずっと不利な立場に置かれてきたし、いまも置かれている。だがそこには必ず、“日本国籍がないから”という理由がつけられ、ほかの外国人も一律そのような扱いをされてきた。そして、法律上も根拠を持ったものであった(その法律自体に問題があるのだが、とりあえず、ここではその話は置いておく)。

ところが、朝鮮学校への一連の問題については、そのような法的な根拠もなく、“北朝鮮との関わり”という点、つまり、朝鮮人だけが標的とされているのだ。これは、いままでの差別とはまったく性質の違うものであり、当初は“攻撃”という言葉で考えていたが、この記事を見たとき、友人が“迫害”という言葉を使っていて、わたしもそれがふさわしいのではないかと感じるようになってきた。

市長は「大阪府、大阪市では拉致問題は許さない。不法国家である北朝鮮が正常な国になるまで付き合いは一切しないという意思をはっきり示していきたい」と強調。自身が府知事時代に打ち出した朝鮮学校に対する補助金支給要件の厳格化を上げ「全国の自治体でやればできる。これぐらい国が何で指示を出せないのか」と指摘した。

集会に先立ち橋下市長は松原仁拉致問題担当相と会談。松原氏は朝鮮学校の補助金厳格化について「他の都道府県も大阪の先例に大きく学ぶべきだ」と評価した。

「橋下市長が拉致問題で「不法国家である北と付き合いは一切しないという意思示せ」 政府に注文」 2012/02/05 『MSN産経ニュース』
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120205/plc12020517010004-n1.htm

彼らが朝鮮学校を迫害することで拉致問題が解決するなんて思っているわけもなく、要するに国内向けの「拉致解決のためにがんばってますよ~」というパフォーマンスである。

彼らのやるべきことは、朝鮮民主主義人民共和国と国家対国家の交渉をすること(なので、大阪府や大阪市にはあまり関係ない)と、国内に拉致の実行犯がいるのなら、捕まえて処罰すること(これも地方自治体の仕事ではない)で、どっちもまともにできていないので、こういうお門違いの方向に走っているわけである。

そういう批判自体は、わたしの周りでもたくさん聞こえてくる。わたしが簡単に書くより、ずっときちんと論理的に書いている人もたくさんいる。

だが、それは彼らには届かない。彼らを支持する多くの日本人にも届かない。拉致事件以降、北朝鮮は狂気の独裁国家として“見世物小屋”的な報道の材料となり続け、日本社会はとっくのむかしに“公共の敵”として認定しているからである。いったんそうなってしまえば、そこにゆかりがあると思われた人や団体には、なにをしても日本社会では許されるのである。

そして、彼らは、確実に勝てる相手しか、相手にしない。

在日朝鮮人でオールドカマーといわれる人々は、日本の人口の0.5%もいない。民団は同胞の危機に対して立ち上がるどころか、日本政府といっしょになって朝鮮学校無償化除外を言っている体たらく。さらに朝鮮学校自体も一学年の生徒が数人というところが多く、このようは攻撃がなくても、実際潰れかかっているような現状である。

人数だけの問題ではなく「北朝鮮? 日本にミサイル打ち込んでくるんでしょ? コワイよねぇ」と思っている日本人は朝鮮人がなにをされようが無関心であるから、反撃されたって別に大したことはない。

政治や行政にそのようなフリーハンドが与えられていること自体、わたしは恐ろしくてしかたがないし、そういう手法を得意としている橋下が国政を虎視眈々(こしたんたん)とうかがっていると考えただけで、ほんとうにゆううつだ。

たいていの日本人には朝鮮人がどうなろうとあまり関係ないのかもしれないが、公務員が“公共の敵”とされているというパラドキシカルな状況をみても、次はいったい誰にお鉢がまわってくるのか、それは自分ではないのか、という恐怖は。。。感じるほうがおかしいんだろうかねぇ。

長文を書いてみたものの、理解される自信はなく、虚しさが増すばかりである。

執筆: この記事は李怜香さんのブログ『I’ll be here-社労士 李怜香(いー・よんひゃん)の多事多端な日常』からご寄稿いただきました。

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