『facebook』の古い悪習に僕らがNo! と言う理由

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しっぽのブログ

今回は尾野政樹さんのブログ『しっぽのブログ』から許可を得て転載させていただきました(編集部注:一部省略しております)。

『facebook』の古い悪習に僕らがNo! と言う理由
『facebook』が、実名っぽくない人のアカウントを停止 *1 していてちょっと話題になっている。

*1:「Facebook、春の垢BAN祭りが始まったよ!」 『togetter』
http://togetter.com/li/98417

日本の一般ユーザーのハンドルネームと、『facebook』の実名主義とについてちょっと書いてみるよ。日本は匿名主義だから、実名主義はそぐわないというのは、随分議論された話だ。でも、僕が主張したいのはそうじゃない。まず日本は匿名主義ではなく通名主義だ(そもそも、匿名掲示板というのは今や海外にも巨大なものがあるし、それは日本での使われ方とほぼ同じでしょ)。そして「実名主義は日本にそぐわない」ではなく「実名主義は僕らが勝ち得た権利を台無しにするので反対するべきだ」ということだ。

海の向こうから『facebook』が来る前から、日本で実名主義議論は何度も語りつくされてきた。
『1ch.tv』をつくった清水康司氏から、最近では勝間和代氏が実名主義を主張した(ちなみに『1ch.tv』は消滅し、勝間和代氏は最近この問題についてはトーンダウンしているかも)。
彼ら彼女らはたぶん善意からこういった主張をしていて、その気持ちは分からないことでもない。でもしっかり議論すれば、匿名・通名主義は、自身のアイデンティティをどう扱えるかという“自由”の問題であることが分かる。

実名主義は実名しか認めない。匿名・通名主義は、実名を使うかどうか選択の権利が与えられる。正しい議論ができるとか誹謗(ひぼう)中傷が減るとか、確かにいい話ではあるが、インターネットからこの自由を奪いとってまですることではない。

実名にはセキュリティ的な問題もある。ネットストーカーは日本では大きな問題とされるし、みんなプライバシーにも敏感だ。自分の個人情報をネットに書き込まないように、と教える学校もある。自分で自分の身を守ることができるか、そのリスクを負えるかどうかを判断して、実名を選択できる。この自由は幾度となくはく奪の危機にあったけども、何とか乗り切ることができた(韓国や中国 *4 みたいになっていた可能性だってあった)。僕たちがインターネット上で勝ち取った権利だ。

4:「韓国は「インターネット監視国」、北朝鮮、中国は「インターネットの敵」」 2010/03/14 『Searchina』
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0314&f=national_0314_004.shtml

ところが、そこへ海外から来た黒船は、江戸時代にもたらしたような新しいものではなく、過ぎ去ったはずの古い風習を持ち込んできた。『facebook』は「実名だから信頼できる」とうたっているようだが、このうたい文句は、代理店など企業に対してのメリットを説明したものだ。
ユーザーにとっては“実名だから危険”なサービスだ。今のところ利用層や人数の関係上あまり問題になっていないが、『mixi』や『モバゲー』が通ってきた問題を起こすことは想像に難くないだろう(はっきり言って何の対策もしていないしね)。それ以上に、僕らの自由とか権利とか、概念的な物を脅かす可能性がある。

重要なことだけど、『facebook』には責任がある
「“facebook”のサービスなんだから実名主義はfacebookの勝手だ」という意見もあるだろうけど、1つ想像してみてほしい。例えば『Google』が、何かevilな……例えば、検索結果に対して、お金を払った企業にとって有利な検閲をかけるとしよう。「まあ“Google”の勝手だから仕方ないね、他を使うよ」とあっさり対応するわけにはいかないほど、『Google』はインターネットそのものに大きく食い込みすぎている。大きな力を持つものは、それに責任が発生する。そして『facebook』は世界では既にその責任を発生させているし、日本でもそうなる立場を狙えるかもしれない。

念のため書いておくと、僕は『facebook』のシステム的な部分は好きだし、技術的には感動も覚える。個人ユーザーとして見れば、最先端が惜しげもなくつぎ込まれた素晴らしいサービスだし、クリエイターとして見れば、可能性のある大きなプラットフォームだ。

でも、『facebook』の実名主義には3点の問題がある。
1点目は上に書いた、自由の否定。2点目は日本の文化の否定。最後はマイノリティの排除だ。

日本の文化について。
昔から、人生の節目で、新しい名前を付けるのは日本の文化であり、風習だった。今でも日本の実社会では、通名の使用が珍しくない。本名を公にしないまま大きな功績を残す人も多く、例えばほとんどの芸能人・作家・漫画家、日本の伝統芸能である歌舞伎や落語も通名を使う。一部は本名を非公開情報として扱っている。

また、例えば普通会社員の営業職であっても、通名を使っている人もいる。僕の知る限りで、6・7人はそういう人がいて、3人は結婚による旧姓の使用、残りは営業上の理由からだ(読みづらい・印象に残りにくい本名を変えたり、以前使っていたペンネームを引き継いでいたり)。

だから、インターネットによって敷居の下がった、創作活動・芸能活動を行う人らが(つまり、全ての人が)自分の通名を作るのはとても自然な流れだし、そういう通名社会は比較的うまく回ってきた。

『facebook』は芸名での登録を認めると聞くけど、ではハンドルネームとの違いは何なのだろうか?
もちろん小中学生が自分につけた“†禁唄☆黒猫天使†”みたいな名前なんかは、すぐに捨てられることが予想できるけど、でもそういう名前と“明石家 さんま”までは、ずーっと地続きの場所にある。同人作家は? 地方の売れていないロックバンドは? 駆け出しの小説家は? 噺家(はなしか)の弟子は? お坊さんは? 誰が境界を判断するのだろう?
日本人に何も考えず世界に合わせて実名を使えと迫るのは、規模は違えど、イスラム教徒の女性に顔を出して写真を載せろと言うのと同じく、文化の無視と無理解だ。

そしてマイノリティの排除について。
実名を使えない人もいる。日本は未だに恥の社会だ。事業に失敗して暴力団に追われたり、清算した犯罪の過去がある人たちもいるし、本人ではなく家族のせいでそういう立場にいる人もいる。トランスジェンダーで、女性名・男性名を変えていたり、様々な理由で親の名字を名乗りたくない人もいる。
そして、大多数のそれほど深刻ではない理由の通名が、その数でもって、彼らを守ってきた。日本では積極的に実名を問われたり、実名を使わない理由を求められたりもしない(一部の週刊誌や、礼儀を知らないご近所さんは別かもしれないけどね)。

『facebook』は無自覚に彼らを排除しようとしている。白人だけが使用できるレストランのように“実名を使用できる人だけが入れるサービス”という形でだ。

どこかに線引きが必要なのは分かっている。例えばレストランで、泥酔した人や、騒ぎ立てる人をお断りするのは必要なことだ。だけども、今の『facebook』が戸籍名もしくは、テレビに出てる芸名しか認めないのであれば、その基準はあまりに不合理な位置に引かれている。僕らは、自分が排除される側でもそうでなくても、マイノリティの味方をしなきゃならない。

最後に。
『facebook』にとって日本があまり重要な場所ではないことは分かっている。ローカライズも色々おかしいしね。メールにある“敬具 Facebookチーム”とかさ(日本人スタッフがいるなら、だれか突っ込みを入れてあげなよ……)。だから『Facebook』は決して書かないことだろうけど「日本人が使わないってなら、企業から出資させるだけさせてそのまま撤退しても問題ないよ」って思っているかもしれないということも分かってる。

だけども、その昔、人々が本人のどうにもならない血や家に社会的地位や職業を縛られていて、そこから多くの人の努力でもって解放されたのと同じく、僕らは実名やそれに伴う世間のしがらみから解放されようとしている。遅れているのは彼らだ。日本の通名主義は、特にインターネット上のそれは、世界から1歩進んだ新しい方法で、とても貴重なものだから、日本人みんなが『facebook』を実名利用することで得られる利益よりも、てんびんにかけて得るものだと思う。

2度目になるけど、『facebook』自体はいいサービスだ(最高の、かどうかは分からないけども)。これからも僕は利用すると思う。でも通名(特に日本語名に見えないハンドルネーム)を使った利用は主張していきたいと思うし、そういう利用をしようと頑張るほかの人を支持していきたい。長くて拙い文章を読んでくれてありがとう。

追記。
黒人には黒人も入れるレストラン(『mixi』・ファンページ)があるんだから、そっち使ったらいいのにって意見をいくつかもらった。僕の文章が長すぎて分かりづらくて、意図が全然伝わらなかったことに、反省しているところ。

追記2。
『facebook』と他のSNSの何が違うのか? という疑問はもっともだ。つまり、他のSNSはそれぞれの特色として、一定の人を排除しているだろう、ということ。

これは実社会の差別の問題でも同じ疑問が投げかけられる。女性だけのレストランはいいのか? 国籍に投票が結びついているのはいいのか? 一定の金額を持っていないと借りられないマンションは? この答えは、つまり「どの程度公共性を求められているか?」と「区別の理由が合理的か」ということに依存する。明確に答えをだせる問題ではないけども、ただ、僕は『facebook』は日本ではあまり実感ないけど、世界では一定の公共性を求められる規模になっていると思うし、日本でもそうなるだろうと思っている。
例えば、『facebook』を利用しないと受けられないサービスが増えたり、就職に『facebook』を利用するようになれば、いちSNSの問題としては片付かないだろう。そして、理由の合理性だけど、今の『facebook』の区別の理由は明確でないうえに、非合理だ。安全性や信頼性に関しても、偽名を考えればむしろ逆ではないかとすら思っている。

この2点は議論の中核で、ここをどう考えるかで結論が変わってくる。そこへの異論は当然だと思うし、みんなで意見を交わしあいたいところだ。

執筆: この記事は尾野政樹さんのブログ『しっぽのブログ』から許可を得て転載させていただきました。

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