大手メディアに波紋を起こした小沢氏ネット出演
今回はkyoさんのブログ『永田町異聞』からご寄稿いただきました。
大手メディアに波紋を起こした小沢氏ネット出演
小沢一郎氏がインターネット動画サイト『ニコニコ生放送』(以下ニコ生)の番組 * に出演し、90分にわたってジャーナリストや識者らの質問に答えた。
*: 「小沢一郎ネット会見〜みなさんの質問にすべて答えます!」 ※『ニコニコ生放送』 タイムシフト視聴で見ることができます。
http://live.nicovideo.jp/watch/lv31110371
そのスタジオに、大手テレビ局のクルーらがつめかけて収録し、ニュースとして全国放映した。日経新聞は「小沢氏が公開の場で発言する場に選んだのは『ニコニコ動画』の番組だった」と書いた。
筆者にはメディア界の新しい胎動を予感させる出来事に思える。
それにしても、出演、取材に応じてもらえない大手メディアにすれば、小沢氏のネット出演は面白かろうはずがない。昨夜の『報道ステーション』では、キャスターとコメンテーターとの間で奇妙な会話が交わされていた。
古舘伊知郎氏 「どうでしょうかね、一色さん」
一色清氏 「ネットでは小沢さんは人気がありますからそちらを選んだんでしょうね」
小沢氏は『ニコ生』の番組で、こう語っていた。
「意見も反論も言える仕組みなので、多くの人に分かってもらえると思って出演要請を快く引き受けた」
ノーカット、編集なしで、たっぷりしゃべらせてくれるネット番組に、小沢氏は信頼を置いているのであろう。それを、「ネットで人気がありますから」と、メディアの特性への言及抜きにコメントせざるをえないのは、テレビに出演させてもらっている一色氏としても苦しいところだ。
大テレビ局の報道番組では近ごろますます、政治家がまとまった意見を披瀝(ひれき)する機会が減っている。過剰な編集と脚色、いたずらに自分の意見を主張する大物キャスター、司会者と、そのお気に入りコメンテーター。ごった煮の映像とコメントのなかで、いきおい、小泉親子のような“ワンフレーズ”ばかりが視聴者の記憶に残り、ポピュリズムといわれる政治と言論の衰退現象が蔓延(まんえん)する。
しかし、視聴者の感情に訴えるテレビ報道番組の手法が、ネット人口の増加とともに、いずれ行き詰ることは、昨日の等身大の小沢ネットインタビューと、『報道ステーション』の内容を引き比べ、その甚だしいイメージの乖離(かいり)を見れば、容易に想像できるだろう。
わざわざ、カメラに追われるように仏頂面で国会内を早足で歩く小沢氏の映像を流したあとで、『ニコ生』での発言の一部、すなわち国会招致に応じないという場面だけを切り取って、「国会の決定に従う」という約束と違うではないかという話にもっていく。
そして、古舘氏と一色氏が、「国会での説明は必要だ」とうなずきあい、国会の審議を前に進めるために小沢氏に自覚を持ってほしいという趣旨のことさえ言う。補正予算の審議と小沢氏の国会招致は別の問題であることくらいだれにでも分かる。党利党略の駆けひきで国会招致が持ち出されていることも多くの国民が知っている。
それでも、マスメディアでは「元秘書ら3人が起訴された小沢氏の政治的・道義的責任は重大で、議員辞職にも値する」(産経新聞社説)という言説がまかり通っている。このような報道の姿勢にも、説明責任を求めたい。元秘書ら3人が、東京地検特捜部の強引な捜査により、ささいな政治資金収支報告書の記載の仕方をめぐってほとんど無理やり、逮捕、起訴されたことは、ことの経緯をしっかりたどっているジャーナリストなら当然、承知しているはずだ。
特捜が“本丸”としてねらったゼネコンからの裏献金は、どこからつついても、何の証拠も出ず、空振りに終わっている。政治資金収支報告書の記載ルールは、きわめて曖昧(あいまい)である。おそらく検察がその気になればどんな政治家の報告書からも疑問点を見つけ出すことができるだろう。
そうしたものを別件逮捕の口実に使って3人を逮捕し、恣意的(しいてき)に供述を引き出して小沢という大物を釣り上げようと企図したのが検察の内実である。政界の最高実力者への乾坤一擲(けんこんいってき)の大勝負に出ながら、やむなく検察が小沢氏を不起訴とした厳然たる事実。それは、とりもなおさず、捜査の見当違いを検察自身が認めたことにほかならない。同時にそれは、小沢氏にからむ“政治とカネ”の物語が、メディアがつくりあげた虚構に過ぎないという証明でもあった。
マスコミ各社は、あたかも小沢氏がゼネコンの談合に“天の声”を出し、裏献金をもらっていたかのごとく騒ぎ立てた。ところがいまや、“天の声”という言葉はすっかり鳴りを潜めている。裁判所が西松建設事件における大久保元秘書の公判で“天の声”を否定したからである。“天の声”も、“裏献金”もなく、残ったのは“表の金”の動きをどのように収支報告書へ記載すべきかという問題だけとなった。マスメディアは、裏献金を検察が立証できないことがわかると、追及の矛先を“虚偽記載”に変えたが、これも根拠がきわめて薄弱だ。
そこで自己を正当化するためにこんどは、“元秘書3人の逮捕”という外形的事実によって、“政治的・道義的責任は重大”とこじつけ、検察審査会が強制起訴の決定をしたことをこれ幸いに、小沢氏をお白洲(しらす)に引っ張り出そうと躍起になっている。
大阪地検特捜部の村木えん罪事件でマスメディアは検察の片棒をかついだが、実際のところ、小沢氏と元秘書らに対する東京地検特捜部の暴走ぶりにも、疑問をいだく記者は少なくない。それでも、小沢擁護論を書く記者は社内的に干され、テレビで検察審査会批判をしようものなら識者、ジャーナリストは番組を降ろされる。
小沢氏が強制起訴されても無罪になる公算が強いのを知っているだけに、マスメディアは無罪判決後も“灰色”のままにして、自己正当化を貫かねばならないと考えている。そして、その方法としていちばん効果的なのは国会での証人喚問に小沢氏を引きずり出すことである。
証人喚問は本来、疑惑を向けられた人の弁明の場でもあるべきだが、実際には一方的な追及、いわば魔女裁判における異端審問のようになってしまう。法廷のように検事と弁護士が対立する弁論を展開するわけではない。その場で宣誓をして、尋問の矢を浴びせられるだけで、疑惑紛々たる悪党のイメージが固定化するだろう。しかも、その場での説明は、当然のことながら、記者会見で説明したことと大差ないはずであり、怪しみの眼で見る人には、いつまでも“白”と認定してもらえない。
つまり、たとえ強制起訴されて裁判で無罪となっても、元秘書ら三人が“白”と認められない限り、マスメディアお得意の“政治的・道義的”には“灰色”のままとなる。“灰色”であるかぎり、マスメディアはいつまでも政治的・道義的責任を唱えて、“説明責任”を求めることができ、小沢報道では、村木事件のように敗者とならずにすむという寸法だ。小沢バッシングを繰り返してきたことへの大きな免罪符を確保できるわけである。
ロッキードやリクルートなど、大規模な贈収賄が想定された事件とは明らかに異なるささいな案件で、政治的糾弾パフォーマンスに過ぎない国会招致を執拗(しつよう)に後押しする理由は、つまるところ、そのあたりにあるのではないか。
執筆: この記事はkyoさんのブログ『永田町異聞』からご寄稿いただきました。
文責: ガジェット通信
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