日本人というだけでは日本で仕事が得られない

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必要な能力さえあれば、どんな国でも働ける強い人材がこれからの世界の中で生き残るために必要なのでしょうか。労働力もボーダレス。弱い者は生き残れないのかな。今回はタケルンバさんのブログ『タケルンバ卿日記』からご寄稿いただきました。

日本人というだけでは日本で仕事が得られない
新年早々気になる動き。
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「日本人従業員の海外勤務だけでなく、現地従業員の日本勤務も積極的に行う」
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ユニクロ「民族大移動」 年内に数百人を海外勤務に、本部は全員経験 – 『MSN産経ニュース』 2010.1.4 より引用
http://sankei.jp.msn.com/economy/business/100104/biz1001041935036-n1.htm

労働力の大移動。

「どこで作ったか」より「何を作ったか」を優先する生産の国際化を推し進めると、どこかで「どこの人に売らせるか」より「どんな人に売らせるか」になっていくんだよな。販売の国際化につながっていく。それは店舗の海外出店とかには限らず、結局は人材の国際化ということになるわけで。「良い商品ならどこで作っても構わない」「より価値のあるものを追い求める」という話を人材に適用するだけ。「良い人材ならどこの人でも構わない」「より価値のある人を追い求める」ということだわな。

まあこの段階の情報だと、「いやいや、日本の雇用を守るために、早めに日本の人材を海外に出して育成するんです」という観点もある。好意的に解釈すればね。ただ、逆に解釈すれば、「早めに日本の人材を競争にさらして、海外の人材と比較して劣る人材はどんどん切っていき、人材の底上げを」という見方もできるわけで。「人材もまた商品である」という経営者的な発想をすれば、そういう考え方もアリだわな。

要はユニクロとしては“売れる人材”を如何に確保するかという話なわけで、それが日本人である必要はない。「国産であれ中国産であれ、良いものは良い」的な発想をすれば、それが自然な結論というか。日本でのスタッフにしても、要は日本で売れるスタッフであれば国籍とかは問題じゃないわけだし(ビザとかそういう諸問題はあるけども)。表面的に残る最終的な問題って、結局は地域性の問題なわけだし。言語・風習・文化。そういったことでしょ。そういう理解があるかどうかでしょ。

ということは、そこにさえ合わせられる人材であれば、どこの人でも構わないよね。日本語がしゃべれて、日本特有の文化とか風習とか、商慣習とか。そういう理解がある人材であれば、国籍なんてどうでもいいよね。海外で勤務する人間にしても、それが日本人であるかどうかより、現地でより売れる人材であり、同時に日本の本社とコミュニケーションがとれるならば、別にどこの人でもいいよね。より能力があって、より安い賃金で働いてくれる人の方がいいよね。こんな方面にユニクロが舵(かじ)を切ったと考えることはできるわな。

原油高と同じくらい深刻な「ホワイトカラーの仕事破壊」 – 『アンカテ』 2009-12-19
http://d.hatena.ne.jp/essa/20091219/p1

小売の現場でもいよいよこういう流れなのかな。国際的に人材を評価する。商品と同様に。そういう端緒なのかな。

「日本人である」というだけでは、日本で職を得るに有利な条件じゃなくなるのかも。そこにさらなるプラスアルファがないと。日本という世界における一地域にのみ対応する条件だもんな。果たして「日本人である=日本に強い」という条件が、世界の労働市場的にどれだけ魅力的なものなのかを考える時期にきたのかもしれん。

「日本人=日本語ができる」この程度の単なるスキルという理解の方がいいのかも。「日本向けの仕事ができます」というだけというか。もうそれだけで差別化できない。

日本で日本人というだけで仕事を得られる時代はもう終わるんだろうな。きっと。

執筆: この記事はタケルンバさんのブログ『タケルンバ卿日記』より寄稿いただきました。
文責: ガジェット通信

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