義父の葬儀で“まさかの一言”を放った義母──私が見た本性とは
※本記事はFUNDO編集部へ寄せられた体験談を元に作成しています。
実際の個人情報の特定を避けるため、一部フィクションおよび編集を加えております。
本記事は、本音がぽろり…驚愕の義母との本性を描いた、実話ベースの体験談です。
投稿者は、都市在住の20代女性・Kさん。
今日は、義父の葬儀で私が体験した、信じられない“義母の本性”についてお話しします。
普段は優しい顔をしていた義母。
でも、葬儀という厳粛な場で放たれた、あまりに衝撃的な一言に、私は耳を疑いました。
そして私は、その瞬間から「家族としての付き合い方」を見直すことになったのです──。
★1話完結で描かれる、義母の発言をめぐる衝撃の物語です★
普段の義母は“しっかり者の良妻”だった

義父はとても温厚な人で、家族思いの方でした。
義母と二人三脚で家庭を支え、近所でも「仲良し夫婦」として知られていました。
義母も明るくて、家事も介護もこなす“理想の妻”に見えていました。
私は「こんな風に年を重ねられたら素敵だな」と思っていたくらいです。
そんな義父が、病気で亡くなったのは春先のことでした。
葬儀当日、張りつめた空気の中で…
葬儀の日、私は喪服を着て義実家へ向かいました。
義母は義父の遺影のそばで静かに座っていて、目は真っ赤。
「やっぱりお義母さん、辛いんだな…」
そう思っていた矢先、親族控室で何気なく交わされた一言が、すべてをひっくり返しました。
「あ〜これで、自由になれるわ」──その場が凍りついた

親族が集まる控室。少し気が緩んだ空気の中で、義母はふと笑いながら言いました。
「は〜……これでやっと、自由になれるわ〜。
40年、よく頑張ったと思うわよ私。ほんと、大変だったんだから!」
その場にいた全員が、時が止まったように固まりました。
義母は、まるで「長年の束縛から解き放たれた」とでも言わんばかりの口調。
しかも、その発言には涙も悲しみも一切感じられない。
私は、あまりのことに背筋がぞっとしました。
義姉がポロッと漏らした本音

控室を出たあと、義姉(夫の姉)と二人になったとき、私は思わず言ってしまいました。
「さっきのお義母さんの発言……ちょっとショックでした」
すると義姉は、ため息まじりにこう言ったのです。
「……まぁね。昔からお母さん、ずっと言ってたの。“この人がいなければ好きなことできるのに”って。
結婚してから、家事も介護も“全部自分の犠牲”って思ってたみたいよ」
私は言葉を失いました。
義父がどんなに優しくても、義母にとっては「足かせ」でしかなかったのかもしれない。
そう思うと、なんだか義父が気の毒に思えてきました。
義母の“解放”宣言は止まらなかった
その後の精進落としの席でも、義母の暴走は止まりませんでした。
「これからは旅行も行けるし、朝ごはんだって自分のペースでいいの。
もう、朝から味噌汁作らなくてもいいって思うだけで、嬉しくて!」
親族の中には苦笑する人もいましたが、私は笑えませんでした。
義父の遺影の前で、そんなことを言える神経に、ただただ驚くばかりでした。
私の中で、義母の見方が変わった瞬間
義父を失った悲しみよりも、「これで自由になれる」という義母の“本音”。
それを聞いた私は、義母に対する尊敬の気持ちを完全に失いました。
もちろん、長年の苦労があったのかもしれません。
でも、せめて今だけは“感謝と敬意”を見せるべきではないかと、私は思ってしまうのです。
まとめ:人の“本音”は予想できない
★ 普段どんなに“良い人”に見えても、本性は思わぬところで出る
★「言っていいことと悪いこと」は、場をわきまえるべき
★ 悲しみの場で放たれた軽率な言葉は、一生記憶に残る
義父が静かに旅立った日、
私は“義母という人間を、まったく理解していなかった”ことに気づかされました。
その日以来、私は義母との距離を、しっかりと引くようにしています。

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