始まりと終わりに向けて進む物語〜エヴァ・ドーラン『終着点』
ミステリーとしての正体が表れてからが本番である。
イギリス作家エヴァ・ドーランが二〇一八年に発表した長篇『終着点』(玉木亨訳/創元推理文庫)は、「それはこうして始まる」という章で始まり、「それはこうして終わる」という章で終わるという構成になっている。
なんだかとても当たり前のことを書いたような気がするので補足する。「それはこうして始まる」では時計の針が二〇一八年三月六日の現在に設定されている。本書の語り手は二人いて、一人がエラ・リオダンという二十代の女性だ。エラはロンドンはテムズ川を望む位置にある集合住宅の一室にいる。彼女のかたわらには一人の男性が死んで、倒れているのである。やがてモリー・フェイダーという六十歳の女性がやってきて、呆然としている彼女を発見する。このモリーが二人目の語り手だ。
エラは倒れている男性を一度も見たことがない相手だと言い、事故だと弁解する。襲いかかられ、身を守るためにやむなく殺したのだ。その言葉を信じたモリーは、エラと共に死体を運び、エレベーター・シャフトの中に死体を遺棄する。ただし、エラが何かを隠していることをモリーは気づいていた。
こうして始まる小説である。エラとモリー、それぞれの視点の章が交互に置かれて話は進んでいく。ただし、エラの語りは時間を遡っていき、モリーは順行する。
先にモリーの視点について書くと、彼女は過去に過激な行動をとったこともある社会運動家で、エラの導師に近い女性である。エラに愛情を感じているモリーは彼女を護ろうとするのだが、一方で隠蔽工作という罪を犯したことに怯えてもいる。死体が発見され、警察の捜査が始まると、彼女は心情的にどんどん追いつめられていくのだ。犯罪小説の、警察の影に怯える犯人役を彼女が担っている。エラは間違いなく自分が殺したのが誰かを知っているはずで、それが誰なのか、なぜ言わないのかという謎がモリーの中に疑心暗鬼を育てていく。
エラの章は、そのモリーの疑問に対する回答を示し、さらにそれ以上のことを付け加える形で進行する。物語の初めで彼女が、集合住宅の再開発を阻止するためのクラウドファンディングに参画していることが明かされる。立ち退かされる住民たちを支援するためのものだ。そこから始まって、彼女が二〇一八年三月六日までどんな日々を送ってきたかが、過去一年間を遡る形で綴られていく。逆回しなのでおもしろい効果が生じている。ある箇所でエラは腕を骨折している。男性から暴行を受けた結果なのだが、それがどういうもので、誰にされたのかは最初は明かされない。後段で過去のことが書かれて、初めて判明するのである。次第に霧が晴れていくように見える感覚がある。
過去と未来、一八〇度違った方向に行く物語が合流するのが「それはこうして終わる」の章なのである。構成がすべて、と言ってもいい作品ではあるが、読みどころはいろいろある。ミステリーとしての興趣は、エラの嘘にある。上でも書いたように、彼女は自分が殺したとされる男性が誰だかを一切言及しない。そして過去に遡る章では、死者に相当すると思われる男性が複数登場してくるのである。あいつも怪しいし、あいつも殺されても仕方のないクズだと感じる。そんな具合に候補者が絞り込めなくなるので、情報が増えても真相は闇の中に隠れていってしまうのである。
この構成、パット・マガーではないか。マガーは一九四〇年代に活動を開始した作家で、『被害者を捜せ!』(創元推理文庫)などのプロットのひねりで読ませる長篇で知られる。同作は題名通り、犯人ではなくて被害者は誰だったのかを考えさせる作品で、そうした趣向の最高傑作が『七人のおば』(創元推理文庫)だ。まず手紙形式で語り手の七人いるおばのうち、誰かが夫を毒殺したということが知らされる。肝腎の名前が書かれていないため、語り手は、それが七人のうち誰だったかを過去の記憶を元に推理していくのである。過去の出来事に関する記述が現在の出来事についての手がかりになっていく、という『終着点』の構成と共通する部分が多い。
もう一つの読みどころは、エラとモリーの年齢を超えた女性同士の共感が物語の軸になっている点である。エラはけっこうひどい体験をしてきた女性で、それだからこそモリーの庇護欲がくすぐられるという面もある。社会においては女性は連帯して生き抜かなければならない、という考え方が次第に強くなる中で生まれた小説だろう。発表年である二〇一八年はme too運動の盛り上がりがあった時期で、その中で構想は生まれたものと見られる。ドーソンが選んだのはいかにもミステリー的な処理の仕方で、そういう書き方をするのか、と少し驚かされた。
書けるところはぎりぎりここまで。あまり情報を出しすぎないほうがいい小説なので、あとはご自分で読んで確かめていただきたい。文庫には登場人物表もないのだが、これはつけたほうがよかったと思う。最近の創元推理文庫、登場人物表をなくしすぎ。非日本人の登場人物は名前だって覚えにくい、という読者はまだ一定数いるはずだ。属性はなくてもいいので、せめて名前だけでも紹介すべきである。今後のため一考を願いたい。
(杉江松恋)
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