じつは壮大な人類史・宇宙史が背景に〜松崎有理『山手線が転生して加速器になりました。』
ハードSFというよりも、もっと広範に「理系想像力の小説」と捉えたとき、いまの日本でもっとも前衛・先鋭をきわめているのは、前回この欄で取りあげた新刊短篇集『ムーンシャイン』の著者である円城塔だろう。それと対照的に、オーソドックスなアプローチ(つまり多くの読者が抵抗なく読める文章と小説構成)で、新しい内容(科学的題材においてもテーマ面でも)を取りあげ、コンスタントに新作を送りだしているのが、松崎有理だ。
本書は七篇を収録する短篇集。
「山手線が転生して加速器になりました。」は、そのタイトルどおりのユーモアSF。円形の路線である山手線を、素粒子研究のための実験装置リングコライダーに転用しようという、冗談のような計画の顛末を描く。運用上にメリットがあるというので、山手線には人工的な意識が与えられている。もっとも、鉄道だったときの記憶が根強く残っており、それがプロジェクトチームの面々の思惑とすれ違いを起こす。
山手線があまり駄々をこねるため、人間が説得しても埒があかないと、中央線が乗りだしてくる。
驚愕する山手線。なんと、中央線も加速器に転用されていたのだ。こちらは軌道がまっすぐなリニアコライダーだ。
このあたりのやりとりは抱腹絶倒。とは言え、これは松崎有理作品なので、鉄道を加速器にするというギャグ的思いつきのみで押しまくるのではない。都市に鉄道が不要となった経緯(全地球的な環境変化)と、それにともなう人間の新しい文化と習慣の子細が語られる。さらに、山手線たちがしらないうちに、人智のおよばぬ存在が地球へ侵攻しようとしていた。なんと、これは宇宙SFでもあったのだ。
じつは、人類史的な環境変化も異質な宇宙知性も、この作品だけではなく、本書に収録されているすべての作品に共通する設定なのだ。各篇は独立しているものの、ゆるやかなつながりのなかで、途轍もなく大きなスケールの宇宙史が立ちあがる。
「未来人観光客がいっこうにやってこない50の理由」は、タイムトラベルの不可能性をめぐる連載記事を書いているライター、真坂(まさか)マコトが、読者(賢い小学生)とやりとりするなかで適切な説明に苦慮したあげく、幼なじみの経済学者、行方(なめかた)ユクエにアドバイスを求める。ユクエは煙に巻くような言動をするのだが、本当のところ、それは韜晦などではなく、宇宙的な事象における経済の本質に根ざしているのだ。めくるめくロジックの一篇。
「不可能旅行社の冒険—-けっして行けない場所へ、お連れします」は、地質学、生物学、宇宙物理学、それぞれの分野を引退した三人(学生時代からのつきあい)が、仮想空間に出没しているさすらいの数学者(天才的、正体不明)、凄腕のデザイナー(こちらも正体不明、アバターはビーバー)とチームを組み、前代未聞の旅行体験を企画する。実際の旅行ではなく、仮想空間における没入感をもたらす新デバイス向けのコンテンツであり、高額賞金がかかったコンテストへの応募作である。コンテンツ実現へむけてのステップ、技術的ディテールは、さすがこの作者ならではの書きこみで面白い。しかし、物語はそれのみにとどまらず、チーム内の裏切りや、さらにその先の意外な展開と、読者をふりまわす屈曲に満ちている。
「山手線が加速器に転生して一年がすぎました。」は、その題名どおり「山手線が転生して加速器になりました。」の直接の続篇。ぐるぐるまわるリングコライダーの山手線、まっすぐ一本気なリニアコライダーの中央線に加え、宇宙に浮かぶ宇宙重力波望遠鏡(一辺一〇〇キロの正三角形)のリサコが登場する。おきゃんなリサコのふるまいが楽しい。
「ひとりぼっちの都会人」は、都市文化がすっかり滅びたのち、廃墟と化した東京都庁で、最後の晩餐が催される。客はただひとり東京に残ることを選択した男、シェフは絶海の孤島からアバターロボットでリモート料理をおこなう。そして、もうひとり、全住民が都内から撤退したときに、取りこぼされた少年がかかわってくる。寂寥感に覆われた作品。
「みんな、どこにいるんだ」は、地球外生命の存在をめぐるフェルミのパラドックスにちなむ題名からもわかるように、ファーストコンタクトを扱ったSF。人類が最初にコンタクトをする異質知性が、地球外生命ではなくタコ(海洋生物のタコである)だという点、さらにタコが人類より先に宇宙知性からコンタクトを受けていたという点が、事態をややこしくする。局所的に散発するコンタクト事件の証言を追ううちに、人類の起源にかかわる恐るべき仮説にまで物語は発展する。
「総論 経済学者の目からみた人類史」は、架空論文SF。「未来人観光客がいっこうにやってこない50の理由」に登場した行方ユクエの執筆という体裁で、汎宇宙的な経済理論と、人類史における貨幣の消失が綴られる。
本書巻末には付録として「作中年表」が掲げられている。宇宙開闢から宇宙終焉に至るまでの凄まじく長大なクロニクルだ。作品を読みながらこの年表を参照すると、興趣が倍増すること間違いなし。ただ、ネタバレに神経質なかたは、ひととおり読みおわったあとにしたほうがいいかもしれない。
(牧眞司)
- ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
- 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。