原田マハ短編集『黒い絵』から目を逸らせない!
原田マハ氏の小説は、誰もが知るような名画に、通常とは違った角度から光を当てて見せてくれる。一枚の絵画に対する膨大な知識と愛から生まれたフィクションには、毎回心を掴まれてきた。この短編集も、ほとんどが美術品に関わる人々を主人公にしているが、今までの作品とはかなりテイストが違う。不安、嫉妬、執着、恐怖……。絵画や仏像や壁画をめぐって、「黒い」感情を抱く登場人物たちが描かれる。
「指」の主人公は、大学院で日本美術史を研究している女性。年上で肩書きがよく家庭のある男とつきあうのが趣味で、現在は所属する研究室の指導者と不倫をしているが、いろいろな意味で満足はしていない。奈良・平安時代の彫刻を専門とする主人公は、彼を誘って奈良の室生寺に来ている。釈迦如来坐像の美しい中指に刺激された後、旅館の食堂で働く青年の若鮎のような指に惹かれてしまう。満たされない欲望が見せる一瞬の夢のようなものが、映像を見せられているように、エロティックでリアルだ。
「キアーラ」の主人公は、イタリアでフレスコ画修復の修行をしていた経験のある日本人女性。修復家は廃業し日本で暮らす主人公のところに、かつて地震で崩壊した聖フランチェスコ大聖堂の修復現場で出会った不思議な能力のある少女から、見せたいものがあると連絡がある。主人公はなぜ、人生をかけて選んだはずの修復家への道を断念したのか。大人になった少女が、主人公に見せたかったものは何か。読み進めるほどに衝撃的で、心が苦しくなる。
最後に掲載されるのは「向日葵奇譚」。著者が繰り返し書いてきたゴッホをテーマにしている。主人公は、ゴッホを題材にした演劇作品を執筆中の脚本家だ。主役を演じる俳優は「役に入っちゃうと、何をしでかすかわからない」と自分で言うような憑依系の天才役者である。脚本を書き終えた後、主人公はある写真を手に入れる。写っているのは、ゴッホの後ろ姿だという。狂気じみた自画像とは違う印象の姿を見て、主人公はある決意をする。売れない画家のままこの世を去ったゴッホは、本当はどんな人物だったのか。登場人物たちと一緒に考えてしまった。
美術作品とはなんだろうと、改めて考えている。魂を込めて創作する者がいて、それを支える者、後世に遺そうとする者がいる。創られてから長い時間が経っても、その作品は愛され、欲望を刺激し、大切に保存される。鑑賞する人間は、創作した者の人生や歴史に思いを馳せ、自由に想像を膨らませる。長い年月の間に生まれる思いは、直球の情熱や愛情だけであるはずはない。
表に出せない欲望、人に言えない秘密、作品の世界に取り入れられてしまうような恐怖……。その生々しさと、登場する美術作品の迫力にゾクッとしながらも、目を逸らすことができない。
(高頭佐和子)
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