藤代冥砂 小説「はじまりの痕」 #34 love is not tourism




人生は、不特定多数の断片の集積だというのは、おそらく間違いない。断片それ自体には意味はなく、それらを任意に編むことで物語が生まれる。同じ事象も、編み方次第によっては悲劇にもなるし、喜劇にもなる。そして人間は、自分の無意識の好みによって、自ら選択した物語を生きる。
こうしたすでに流布した平凡な考えも、時には人を慰める。自分の意思によって現状が導かれたとすることで、納得できることは多々ある。それが不幸や不運な事例でも、自分の責任に回収することで、人生に多々あるトラブルを消化しやすくなる。
不幸の堂々巡りに陥る時は、責任の所在が複数にあって原因が特定できないことで引き起こされる。だが、ひとたびそれらが自分のせいだとするならば、仕方ないことだと割と短期的に認めることができる。これは面倒な人生をふんわり生きるためのコツだ。全ては自分の選択の果てである。不特定多数の断片は、自分の選択によって導かれた小さな結果の集積となる。小さな結果を、自分の好みに編み上げたものを時々解体して、無意味な断片に戻すことで、物語の重層的な重みから解放され、人生の軽みを楽しむことができる。人生に意味などない。断片の集積できしかない。それは色気のないつまらない事実だが、これ以外に事実はない。

 
35歳の水は、カンザスにいるフィアンセに14時間の時差以上の遠さを感じ始めて居る。
去年の2月に友人カップルを介した夕食の席で出会い、すぐに付き合い、同じ年の7月にはプロポーズされた水は、セバスチャンという繊細な響きとはしっくりこない巨体のヒスパニック系アメリカ兵の申し出を、満面の笑顔で受け入れた。
水は、プロポーズを受けたあとで、首里の実家にセバスチャンを連れて行き、両親と3人の兄弟に紹介した。セバスチャンは裏表のない明るく社交的な人間で、異国の地で見つけたフィアンセの家族に対しても、まったく緊張も気おくれも見せず、等身大の自分自身を誠実に見せることに成功した。
最初はどちらかと言えば、娘の国際結婚に快く思っていなかった両親も、セバスチャンの人好きのする性格に及第点を与えないわけにはいかなかった。沖縄からほとんど出たことのない両親にとって、娘が内地の男と付き合うことさえ抵抗があったのに、国際結婚となると彼らの理解を大幅に超えていて、どう判断してよかわからないのが本音だった。そして、一応は娘の結婚を認めはしたものの、腹の底では、破談を期待もしていた。

 
2月に出会い、7月にプロポーズしたセバスチャンは、水を本心から愛していた。その気持ちをアメリカに転勤する前にどうしても形にしておきたかった。なぜなら当分会えなくなることが分かっていたからだ。それはダコタへの転勤による距離の隔たりのためでなく、コロナによる出入国の制限のことであった。
とはいえ、それは去年の7月の時点でのマイナスの可能性で、つまり、それから1年半も本当に会えなくなるとは思っていなかった。





セバスチャンは、今年の8月に除隊して特に職に就くことなく、地元のカンザスに戻った。兵隊という仕事に向いていないことは、はじめから分かりきっていたし、体躯に恵まれているとはいえ、それをそのまま兵隊という職に当てはめることに、恥ずかしさすら感じていた。
除隊して3ヶ月目ともなると、さすがに時間を持て余しはじめ、地元の旧友や兄弟からいくつかの就職先を紹介してもらったが、なんとく気乗りがしないまま、来年でいいやと先送りしていた。
それでも、日本語のオンラインレッスンを受け始めたことは、水との関係に現実味を失わせないための行動といってよかった。実際に彼女と過ごした期間は5ヶ月余りなのだが、その頃は恋愛の一番いい時期ともいえ、その時の感触を1年半も引っ張っていることに、だんだん衰えの兆しも感じ始めていた。だからこそ、現実味を日々感じる仕掛けが欲しかった。
日本語を習い始めたことを水に伝えると、じゃあ、わたしもさらに英語を勉強するという返事がきた。それは別の場所からトンネルを掘り始めて、どこかの地中で貫通するのに似ているなとセバスチャンは言いたかったが、水にそれがうまく伝えられなかった。だが、伝わらなくてよかったと直後にセバスチャンは思った。地中を掘り進めているなんて知ったら、この現実の困難さに具体的にハードなイメージを与えかねない。辛い時は、それは辛いといぅストーリーを自分で作っているからよ、とマッシュルームオムレツが得意なおばあちゃんがよく言っていたことを思い出し、セバスチャンはその時も、これはただの断片に過ぎない、その断片を悲劇に仕立てるべきではないと、自分に言い聞かせた。
セバスチャンは3年過ごした沖縄での生活を今でもよく思い出す。北谷のバーでは、アメリカ人目当ての日本人の女の子たちがたくさんいたが、セバスチャンはそういう子達には目もくれず、半年付き合った香港人のガールフレンド以外とは、特に親しくなった人はいなかった。
最初に出会った時、水は高校生にみえたが、実際は34歳だと知って驚いた。確かに小柄で、童顔なのだが、34歳には全く見えなかった。自分はといえば、30歳なのに、日本人の中に入ると、40代後半の風貌に見えることに、セバスチャンはなんだか恥ずかしかった。190センチ100キロの体は、どこに行っても目立ち、158センチの水と並ぶと、なにか交通事故のような衝撃を周囲に与えていることも、いつも恥ずかしかった。


水とセバスチャンはメッセージのやり取りを日々欠かさなかった。1年半もの間、毎日だ。これはお互いにすごいことだと思っていた。そしてお互いにルーティンに疲れてもいたのだが、どちらも緩めようとは口にしなかった。その暗黙の決まり事には嫌気を感じていたが、実際メッセージを受け取ると、その瞬間に心が軽くなるのをお互いに感じ、必要としていた。
日本は観光客に国境を閉し、アメリカはワクチン接種を義務づけていて、ワクチンに否定的な2人は、思いよりも身体への悪影響を重くみることに意見が一致していた。なので、ワクチン接種が不要のメキシコで会おうかという話が最近出始めていた。水はできたら早いうちにセバスチャンの家族と面会したいと願っていた。だが実際にメキシコで会うとなると、セバスチャンの家族総出でメキシコ旅行を楽しんでもらうことになり、その分の旅費を持つことはちょっと避けたいと思っていた。結婚の資金をそれに当てるのは得策ではないとセバスチャンは考えた。





水は、近頃子供を産みたいと強く願うようになっていた。彼女の昔を知る旧友からは、水がそんな気になることに驚き、そして喜んだ。水の頭には高齢出産という言葉が去年からずっと離れずにあった。言うまでもなく、出産とは現実である。恋愛が、雲のような流れゆくものだとしたら、出産はまさに地面に四肢を突っ張って行う現実的な行為だ。近頃は四十代半ばでの出産も珍しくなくなっていると聞くが、やはりできるだけ、それこそ半年でも早く出産をしたいと水は強く願うようになっていた。
そんな話題を友人と行ったタイ料理のランチの後で水が人ごとのように喋っていると、友人は、来年で関係が動かなかったら別れた方がいいと判決を下すような口調で言った。
それは水が心のどこかで薄々感じていた焦燥感の先にある答えであった。友人は、腑に落ちた表情を見せる水に、さらに恋愛の一時性と出産後の育児の継続性と大変さについて饒舌に語った。彼女曰く、出会って、プロポーズを受けて、別れまでの期間が5ヶ月というのが気になる。恋愛の一番盛り上がってる時に離れ離れになって、いわば更新されないドラマのストーリーを永遠見続けているのは脆いと言うのだ。5ヶ月と1年半。会っている時よりも会っていない時の方が遥かに長く、2人の恋愛にかけるエネルギーは、もうすでに使い切られようとしていて、その後にすぐに育児が始まるなんて、苦労だけを買って出ているようなもので、きついよ、と友人は真剣な眼差しで水に訴えた。水は、バツ2の友人の言葉をどう受け取っていいのか迷った。こう言っては悪いが、バツ2になった流れと、自分のストーリーとは重ならないような気がしたのだ。とはいえ、友人の言葉は響いた。
さらに悪いことに、今になって水の両親が結婚に大反対しはじめたのだ。
というのも、両親の経営するコンビニのパートさんに霊感の強い人がいるらしく、どうやらその人が両親の背後に兵隊の悪い霊が見えると言うのだ。ある日、急に呼び出されて、両親にそんなことを伝えられ、半ば怒りながらアメリカ人なんかと結婚なんてありえない、絶対日本人にしてくれ、いや、沖縄の人が一番などと言い出したのだ。
水は、兵隊の霊の話は、両親の作り話ではないかと勘ぐったが、そうは言えなかった。なにしろ保守的な両親の理想は、首里の人と結婚してくれたら、それが何よりもの親孝行だと子供の頃から刷り込みにぬかりがなかったタイプだ。水が中部のコザに引っ越したのも、職場が近いというのは建前で、そんな両親と首里から離れたかったことの方が大きかった。

 
来年で動かなかったら別れた方がいい。そう友達に言われたとセバスチャンに冗談ぽくメッセージをしようかと思ったが、途中まで書いてから削除した。多分冗談ではなくて、自分の本心が少し混じっている気がしたし、その波紋は、案外2人の心の深いところまで及そうなのが分かったからだ。
本来ならフィアンセビザを取得して、悠々とアメリカ滞在をしている予定だった水は、自分の恋愛と結婚が病原菌と政府の対応というものに左右される事態になるとは考えてもみなかった。これに近いのがあるとすれば、やはり戦争だろう。
LOVE IS NOT TOURSIM これを毎日のように検索する時期はすでに過ぎてしまったけれど、出産のリミットのことを考えると、セバスチャンと別の相手のどちらが大事なのか、正直分からなくなる。
水は、セバスチャンと沖縄を離れる前日にデートした浜比嘉島へ先週の休みに1人で行ってみた。11月の島は観光客も少なくて、あの時と違ってビーチは開放されてはいたが、誰もいなかった。
今度この島に来る時は、水と僕は結婚しているはずだ、というセバスチャンの言葉を思い出し、水は1人で来たことを後悔した。なぜ、もっと早く気づかなかったのだろう。このことはセバスチャンに内緒にしておこう、そう思いかけて水は、こんなふうに内緒の出来事が少しずつ増えていくのだろうと、ため息をついた。
カンザスには海がないんだよ。島から去ろうと車に乗ってエンジンをかける前に、セバスチャンが独り言のように感情をこめずに口にしたその言葉。今となれば、なんだか不思議な言葉のように思えた。水は、彼が言ったように英語でその言葉を口にした。なんだか感傷的な響きがあるなと思った。NO SEAとNOが入るからだろうか。
水は、日本語で返歌のようにこう呟いてからエンジンをかけた。
沖縄には、君がいないんだよ。




#1 裏の森
#2 漱石の怒り
#3 娘との約束
#4 裸を撮られる時に、百合は
#5 モルディブの泡
#6 WALKER
#7 あの日のジャブ
#8 夏休みよ永遠に
#9 ノーリプライ
#10 19, 17
#11 S池の恋人
#12 歩け歩けおじさん
#13 セルフビルド
#14 瀬戸の時間
#15 コロナウイルスと祈り
#16 コロナウイルスと祈り2
#17 ブロメリア
#18 サガリバナ
#19 武蔵関から上石神井へ
#20 岩波文庫と彼女
#21 大輔のホットドッグ
#22 北で手を振る人たち
#23 マスク越しの恋
#24 南極の石 日本の空
#25 縄文の初恋
#26 志織のキャップ
#27 岸を旅する人
#28 うなぎと蕎麦
#29 その部分の皮膚
#30 ZEN-は黒いのか
#31 ブラジリアン柔術
#32 貴様も猫である
#33 君の終わりのはじまり


藤代冥砂
1967年千葉県生まれ。被写体は、女、聖地、旅、自然をメインとし、エンターテイメントとアートの間を行き来する作風で知られる。写真集『RIDE RIDE RIDE』、『もう、家に帰ろう』、『58HIPS』など作品集多数。「新潮ムック月刊シリーズ」で第34回講談社出版文化賞写真部門受賞。昨年BOOKMARC(原宿)で開催された、東京クラブシーン、そして藤代の写真家としてのキャリア黎明期をとらえた写真集『90Nights』は多方面で注目を浴びた。小説家として「誰も死なない恋愛小説」(幻冬舎文庫)、「ドライブ」(宝島文庫)などがある
 
 

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