霊が”見える兄と聞こえる妹”の奮闘記〜三國青葉『損料屋見鬼控え 2』
いわゆる”見える人”と”見えない人”がいるとすれば、私は完全に後者だ。霊感などなくてほんとうによかったと思う。霊が見えたりしたらこわいから。
しかしながら、私と同等以上にこわがりと見受けられる主人公・又十郎は”見える人”である。そして、血のつながらない妹の天音は”聞こえる人”。又十郎は17歳で、両国橘町で損料屋を営む巴屋の跡取り息子だ(損料屋とは、現代でいうところのレンタルショップ。江戸時代にそんな職業があったというのも、初めて知ったこと。ご存じでない方も多いと思うので、ぜひ職業小説的な部分もお楽しみいただけたらと思います)。かたや10歳の天音は、江戸には珍しい冬の落雷によって両親と3人の姉を亡くし、巴屋に引き取られてきた。又十郎の母で巴屋の実質的な権限を持つお勝と、天音の母・お時は親友だったという縁がある。ちなみに、又十郎の父・平助は、元浪人で入り婿だ。又十郎は妹ができたことがうれしくてたまらないのだが、天音が自分に対してはいまだよそよそしい態度なのが目下の悩み。一方の天音、自分の気持ちを素直に表現できないタイプであるのは、自他ともに認めるところ。恋愛要素を含まないジレジレ展開は、このシリーズ第2巻においても続行中である。
そんな兄妹コンビがさまざまな謎を解くようになった経緯については、第1巻『損料屋見鬼控え 1』をお読みいただきたい。そして本書もまた、”見える兄と聞こえる妹”としてさらに知られるようになってきた彼らが、引き続き事件の解決に当たっていく連作短編集。たとえば「第一話 藪入り」では、天音が巴屋に持ち込まれた刀から「太一、頼む」という声を聞く。心配する天音を安心させようと、又十郎はその刀の元の持ち主である竹細工師・太一の家を訪れる。そこには、畳に正座して又十郎に頭を下げたり拝んだりする30過ぎくらいの男がいた。その男が太一だろうと見当をつけ、言葉を交わそうとするものの向こうは無言のまま。と、いきなり背後から声がかかったため驚いて又十郎が振り向くと、立っていたのは小柄でがっちりしたぎょろ目の男。怪しまれた又十郎が家の中の太一に助けを求めると、ぎょろ目の男が「太一は俺」と名乗り…。
「見鬼」とは、霊が見える能力のことだそう。又十郎も天音も心優しく、自分が幽霊として姿を見たり、物から声を聞いたりした人々の無念をなんとか晴らそうと奮闘するタイプ。時代小説というと義理や人情といったキーワードは定番のようなものかと思うが、彼らが他者のために行動する姿には胸を打つものがある。特に天音は、自分もまだ子どもの身であるうえ、自分の家族を失って間もないつらい状態だというのに。本書ではとうとう天音が、亡くなった家族たちの思いと向き合うことになる。
世の中にはつらいことがたくさんある。でも、幸せなこともやっぱりたくさんある。血のつながった家族がいなくても、新しい家族関係を築いていくことは可能だし、どんな間柄であっても支え合っていけたらいい。江戸の世に生きていた人々と時代は隔たっているけれども、心の持ちようは重なるところも多いに違いない。又十郎や天音のひたむきさに学びたいと思った。
著者の三國青葉さんは、2012年に第24回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞した「朝の容花」を、『かおばな憑依帖』と改題しデビュー。時代小説だけでなく、現代ものの著書も。青葉作品ビギナーのみなさん(松井含む)、これから一緒に追いかけましょうよ!
(松井ゆかり)
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