『千日の瑠璃』256日目——私は食事だ。(丸山健二小説連載)
私は食事だ。
少年世一と太った物乞いがうたかた湖畔でこれ見よがしにとる、豪勢な食事だ。「さあ、たんと食おうや」と物乞いが言ったときには、世一はすでに手を出していた。私はその辺の小料理屋や食堂やパン屋の裏口で拾い集められた物ではなかった。また、誰かに恵んでもらった物でもなければ、盗んできた物でもなかった。入手の方法はまともだった。
物乞いは私のために貯金をはたいたのだ。彼は「おれだってこういうもんを持ってんだぞ」と言って、郵便貯金の通帳と安物の印鑑を世一に見せた。しかし、世一にはそれが何なのか理解できなかった。世一は、買い集められた十数種類の弁当で構成されている私に、割り箸と素手で交互に挑んできた。物乞いは言った。「別に誕生日とか何とかじゃねえんだよ」と言い、「たまには身銭を切ってこういう真似をしてみたいのさ」と言った。
それから物乞いは、勝手に上座と決めた場所にでんと坐り直し、全身全霊を傾けて食べる世一をおかずにして自分も食べ始めた。食べながら彼は、野良犬に徹し切れない己れを卑下したり自慢したりし、前後不統一な、ただ長ったらしいだけの身の上話をした。世一が聞いていないのを承知で、べらべらと喋った。そして彼は限界まで食べ、招いた客も満腹したとみるや、私に向って「おめえなんかのために苦労するなんて真っぴらだ!」と怒鳴り、余った弁当を全部湖へ投げ棄てた。
(6・13・火)
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