「SIで得るものはあるのか?」
今回はokachimachiorzさんのブログ『急がば回れ、選ぶなら近道』からご寄稿いただきました。
「SIで得るものはあるのか?」
おそらくここ10年以上、日本各地で自問自答された問いでありまして。かくいう自分もその一人であります。デスマの度に、ここまでやる意味はあるのか?赤字の度に、そこまでやる意味はあったのか? 思わなかった人はいないはずです。特にここ数年は、見るもの聞くもの、酷いプロジェクトが自分の周りでも多く、「いいから、そのまま回れ右」という行動パターンの機械学習全開です。(遠い目)
他方、「構築をやらないと確実に実装力は落ちる」こういう声もあるでしょう。これもまた真実ではあります。特に、SIの中身丸投げモードのスイッチが入りっぱなしで液漏れ寸前なところは、もはや経験不足を通り越して「リバース・プロキシーって何をするんだっけ?」って真顔で聞くPMの方もいらっしゃる状態もありまして。実際にやらないとわからない、ということは普通におきます。特にアーキテクチャやインフラ周りは、そうなってしまいます。
まず、ユーザーさんサイドから言うと「ないと困る」というが実情でしょう。まぁこの際、そういう声は置いておいて、実際にITベンダーから見たSIの意味・意義を棚卸しておきたいので、今します。自分的に。とにかく個人的な意見ですよ。いいですね。
1 何のためにやるのか?これは明確で「食べる」ためです。
ITで商売をやればわかりますが、一番簡単に売上の額を稼ぐのはSIです。んで一番難しいのがソフトウェア。一時期、売上額を延ばす容易さは、ハードウェアが一番でしたが、さすがに今では状況が違います。(尚、コンサルも人月商売という意味ではSIと同じです。稼働率だけが基準ですね。)
何のために稼ぐか、というと人員を維持するためです。売上がないと人件費が払えません。あとは建前とはいえ、右肩あがりを維持しないと駄目ですからね。増収を維持するのであれば、やはりSIになります。
ところがコスト圧力が上がるため、外注やオフショアに切り替えていきます。社内人件費の削減です。売上を取ったあとで、利益を確保しようとすると中の人間を可能な限り使わないという方向に倒すようになります。
このあたりで、矛盾が発生し始めます。そもそも自分が食うための仕事で自分が食えなくなるという状態になっています。ただし、売上は維持しなければいけないので、タコ足自転車操業になります。これが加速度的にぐるぐる回り出し、炎上し始めます。挙げ句に、大道芸人宜しく派手に火をふく珍妙な大八車で高速道路を爆走する羽目になってしまうわけです。しかもかなり必死に。一体なにをやっているのか?と。
ま、もう無理があるわけです。食うためにやるというのは正しいと思います。であれば、それは徹底すべきです。少なくともタコ足になっている段階で「食うため」という理屈は建前としてすら機能していません。要は「食べるためのSI」をやる意味はありません。
2 それでもやる意味はあるのか?
とすれば、これはもう明確に、技術水準の維持といった「売上の確保以外の目的」が必要です。食えないSIをどうするのか?ということに直面するのであれば、後付けではない明確な意志が必要ということです。これは実際に仕事をとる営業・構築するSE・責任をとるべき経営陣すべてに言えることです。
2-1 営業の主張
「このお客さんは大事だから赤字だろうとなんだろうとやるべきである。」
ご高説はごもっともな通り。誰からお金をもらっているのか?ちゃんと考えてみましょうという意見。一つ一つの取引ではなくトータルで考え、赤字の案件・黒字の案件を合わせて、長い付き合いをすべきという意見は正論です。新規顧客の獲得は、既存顧客の維持の3倍のコストがかかる、というのは営業の常識です。多少なりとも取引があるのであれば、無理はある程度、承知して話を前に進めるべきです。これはこれでわかります。
・・・では、そのPrjは、事前の見積もりのコストでそもそも収まるものなのですか?運用やランニングまで見て、お金の交渉をしていますか?無理に売上を取りにいって、できもしないコミットをして、挙げ句に赤字で炎上で、それはSEが悪い、と言い切れますか?まずは、自分たちは何ができて、何ができないのか?ということをちゃんと把握した上で、必要とされるものをちゃんと届ける、という当たり前のことをすべきです。
売上以外で、そのSIをやる意味はあるのか?顧客との付き合いを数字以外で考えた場合にあぶり出される、その「本当の営業」は何なのか?ということを明確にすべきです。
2-2 SEの主張
「赤字案件は疲弊するだけなので、絶対やるべきではない。すぐデスマになる。」
ご高説はごもっともな通り。人件費の高騰と、競合とのコスト競争でSIのデスマ度合いはますます膨らみます。鬱病の発生率は、日本全国の産業別分類ではトップに迫るといわれるほどの勢いで、チーム内の鬱病率30%なんて普通にあります。常に終電・週末なしで、やっていることは後追い仕様変更の五月雨攻撃への防衛戦と回帰テストでのバグ取りで、なんでこんな仕様が一般的なのか?とか首をひねる暇もなく、画面の赤い警告をひたすら追いかける日々なわけです。あとなんかエクセルとか無意味に使う。なぜに?
・・・「OK。わかった。もう十分だ。もうSIはやめましょう。」この考え方はよくわかります。では、技術維持はどうするのか?使わない技術はあっという間に錆びて腐る。SIをやめ、実装をやらなくなった途端から、技術力はどんどん下がります。ミドルまで気合いでつくっていたSI屋さんが、外注管理一本になった途端にまともに構築ができなくなったとか、一昔前はフレームワーク実装でそれなり名のあった会社がSIをやめてしばらくしたら、普通のWebの構築すらもできないほどにレベルが落ちたなんてことも、普通にあります。
使わない技術は落ちます。特にインフラはそうです。なるほど確かに、昨今のクラウドでインフラ技術は不要だよ、という意見も正論ではあります。では、そのクラウドでのパフォーマンス基準はどこでもっておくのか?クラウドが駄目だったときのワーク・アラウンドはどうするのか?自分のところで経験しておかないと、どう判断したら良いのか、どう扱うべきなのか、はさっぱりわからないでしょう。
SIをやめる、しかし技術は維持したい、それをどうするのか?ということは、考えるべき課題です。SIでないと得られない技術は確かにあります。その技術をSIをやらずにどう維持・向上させていくか?「別のもうひとつの道」をちゃんと探求すべきです。そこを怠ったツケは重くなってしまいます。
2-3 経営陣の主張
「そうはいってもプレッシャーもある。企業たるものは数字を上げなければいけないのよ。四の五の言ってる場合かよ。」
ご高説はごもっともな通り。このプレッシャーのなか、一度でいいので、投資家様や取引先を相手に、今更右肩あがりの想定とか申し訳ありませんが無理でございますよ、と言いたい経営者の方も多いでしょう。とはいえ、現実の問題として、数字は上げていくと言うのが会社経営の基本にはなります。数字を上げるにはどうしたら良いか?やはり手っ取り早く大型SIを受注することです。最近では、一昔前に一世を風靡したWeb系の企業でさえ、数字確保で受託SIを取っているという話まで出る始末です。数字のプレッシャーは経験した人しかわからないものがあるでしょう。
しかし、もともとSIは、顧客サイドから見れば、「投資」です。他人様の投資を売上にして毎期成長する、というスキームで果たして「持続的成長」とやら可能でしょうか?仮に顧客から投資を継続して引き出す、ということであれば、継続して顧客のビジネスを延ばすだけのノウハウ・技術が必要です。それだけのものを自社で保持・確保して経営ができていますか?
数字確保の目的で、ここまで来たという側面はどう説明しても免れないです。「しかし数字がないと食わせられない・・」多分違いますね。SIではもう食わせる事はできないのですよ。現実に。ではどうするか?・・今までは建前で、サービス化、人月に頼らない商売、と言ってきましたが、本音では「数字があがっている方に注力」というのが現実でしょう。もうそうはいかないわけです。「本気で真面目にどうするのか」ということを考える時期でしょう。
3 社会的な意味
他方、SIビジネスの主体とは別に、SIの社会的な必要性もあるかと思います。一般のSIが立ち行かなくなると影響を受けます。社会インフラの維持ですね。最近言われる話で、道路や水道・下水のインフラのメンテナンス・コストが、今後伸び続け大変なことになりますよ、というお話がありますが。それでは、ソフトは?という話です。
なんかちょっとこれはまずいんじゃないか、という位無視されております。ハードはある意味ぶっ壊れるので、外から見て分かり易いのですが、ソフトウェアは、目には見えません。一応会計上・税務上は5年とか言われていますが、例によって実態との乖離は相当かけ離れています。そもそもサポートしているプラットフォームはどんどん陳腐化していきます。社会の変動に対応するどころか、トラブル時に改修すらできない、ということまで起きるでしょう。
そのうち国・自治体・公共セクター・公企業、が直接SIでもやらないといけない時代になるような気もします。事実上、そういったところを専業にしているSI屋さんもいらっしゃいますね。スタンスも、ほぼ公務員に近い。ま、この辺はもう通常のSIとは切り離されていくでしょう。ただし、食わせるための「箱もの公共事業」が問題視されるように、公共SIも同様に問題視されるでしょう。今ところはそれ以前の話ですが。・・・いずれにしろ、このセクターは確実に残るでしょう。ただし、成長するマーケットか?という意味合いは違うでしょう。
4 ピンチはチャンスか?
いずれにしろ、SIオワコン論は、あれこれと、かまびすしいのが現状です。営業・SE・(ミドル含む)経営陣の各セグメントで、総合意見は明快でしょう。すなわち「こりゃ先がないわ。」
個人的な意見は以下です。
4-1 「とにかく金のためにやっていた」という場合
超オッケーです。それは資本主義的に正論。正しい。逆にいうと、儲からないなら即やめるべきです。「集中と選択」。良い指針です。もっと直裁に「儲からないところはやめて、儲かるところに集中」と言うべきでしょう。しかしそれはエンジニアリングではない。極論言えば、IT屋である必要もない。というか、すでにIT屋ではない。ITを看板にした別の何かでしょう。食えないのであれば、早々に退場すべきです。
4-2「そんな単純な話ではない」という場合
SIは金のためだけにやっていたのか?そうではない。そうではない。大事なのでもう一度いう「ただ金のため“だけ”にSIをやっていたわけではない。」そーゆー人もいるでしょう。
営業から見れば、とにかくITという世界で、お客さんの業務・業態・ビジネスが良く回るようにしたかった。感謝されたかった。何かの役に立ちたかった。銭・金ではない。そんな話ではない。そーゆー人もいるでしょう。
SEから見ると、社会・お客さんを変えるのは技術だ。システム・ITは技術を極めれば、想像も出来ない事も起こせる。実際に今の社会はITのインフラなしでは動かないじゃないか。自分はちゃんと技術を極めるためにプロとして、構築を生業にしている。銭・金ではない。そんな話ではない。そーゆー人もいるでしょう。
(ミドルを含む)経営陣から見ると、この仕事は自分しかできない。他のところには出来ない。自分たちの存在意義は他人にはできないところをやることだ。確かに今は、誰でもできるような仕事受けているが、それは本意ではない。一寸の虫にも五分の魂だ。社会的に意味のある仕事として構築を選んでいる。銭・金ではない。そんな話ではない。そーゆー人もいるでしょう。
職業人としての倫理的なものは、人を働かせる要因の最初にして、最後の譲れない一線です。SIの中で、確実にあった倫理的な矜持は、どこかで稼働率優先の数字ビジネスに変わってしまった。結果の惨状がこれです。とはいえ、その数字も立ちゆかなくなった。逆に言うと「なぜ、俺たちはSIをやっていたのか?数字のためではなくて」という点を、もう一度洗い直す機会です。いままでは、その議論は無理でした。「そんなことを考えてどうする? 儲かってさえいればいいんだよ」という声が優勢でした。もうそうではないですね。「儲かっていない。OK。それはわかった。ではどうする。なんのためにSIをする?」そーゆー当たり前の議論がやっとできる環境になっているわけですよ。
自分たちは何のために構築をやっているのか?倫理的なもの矜持なのか?プロ意識なのか?蓋をあけてみればただの自己満足なのか?SIで得るものはあるのか?
その回答は多分、関わっている個人でそれぞれで違います。ただ、一種のクラフトマンシップに根ざした、倫理的な職業意識があることは間違いないでしょう。日本でしかSIというマーケットが成立していない背景は、たんなる経済的な構造的なものではなく、国民性・日本的なエートスがあることは否めないと思っています。「それ」をどう次のビジネスに活かしていくのか?がSIを止めて、次に進むときの本当の力だと思います。それを考えずにただ逃げだすのは、儲からないので逃げ出すというと何も変わらない。何も変わらないですね。
もう一度、関わっている人「全員」が考えるべきです。「SIで得るものはあるのか?」
ま、そんな感じで。
自分はいつも自問自答しています。
執筆: この記事はokachimachiorzさんのブログ『急がば回れ、選ぶなら近道』からご寄稿いただきました。
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