“できることの組み合わせで、大手企業ができないことを”――菊水堂「できたてポテトチップ」誕生の軌跡

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“できることの組み合わせで、大手企業ができないことを”――菊水堂「できたてポテトチップ」誕生の軌跡

製造日当日に出荷、常に「できたて」を消費者に届ける。

「できたてポテトチップ」が注目を集めている。

TVやマスコミにも取り上げられたこのポテトチップ(※)は、日本で最初に量産を始めたといわれる有限会社菊水堂によって生まれた。現在、大手企業の寡占状態が続くポテトチップ業界の中で、中小企業としていかにして生き残りを図ってきたのか。2代目代表取締役の岩井菊之氏に、企業の変遷と商品開発の背景について話を聞いた。

※菊水堂ではポテトチップと呼ぶ

プロフィール

岩井菊之(いわい・きくじ)

有限会社菊水堂 代表取締役

1957年1月東京都渋谷区生まれ。東京薬科大学卒業、薬剤師資格を取得。東京製菓学校洋菓子科卒業。大学では薬理学教室の動物の世話をする。製薬メーカーでMRとして2年間勤務。その後先輩に頼まれ、調剤薬局で薬剤師として2年間勤務。1984年菊水堂に入社。2000年代表取締役に就任。

ポテトチップとの出会い

ある旅館での宿泊客の会話がヒントだった

菊水堂は、1953年に菊之氏の父であり、先代社長である清吉氏が、東京で瓦せんべいなどを製造する会社として創業した。そんな瓦せんべいとは何も関係ないポテトチップとの出会いは、1960年代に遡る。清吉氏がある温泉街に宿泊した際、偶然隣室の会話が聞こえてきたのだ。駐留する米兵がじゃがいもを薄くスライスして揚げたものを食べている。これがうまいらしいというのだ。

「父はもちろん『ポテトチップ』という名前は知りませんでした。ヒット商品をつくりたいという一心で開発を進めたそうです。下仁田出身だったため、こんにゃく芋を薄くスライスして、軒に干して乾燥させ粉にひく習慣があり、この要領で芋をスライスする経験があったことも、役立っていたのだと思います」

当時、先代社長の叔父が芋ようかんを販売していたため、芋菓子は甘いのが普通であると思い、砂糖をまぶすなど、いろいろ試行錯誤を繰り返した。試しに塩をかけてみるとこれがまたうまい。仲間の評判もよかったので、さらに改良を繰り返し、1969年6月、ポテトチップとして量産をスタートさせることになった。

「父は、ただみんながおいしいといってくれる菓子をつくりたかったのだと思います。『おいしさは素材で決まる』というのが父の口癖で、小学生だった私を連れ、北海道から九州まで全国各地の農家を訪ね、ポテトチップ向けのじゃがいもを探したりもしました」

 

食べごろや、製造工程などを調整しながら、毎年5、6種類の品種のじゃがいもでポテトチップをつくっている。(6月~8月は関東や九州、10月~6月は北海道など)今でも社長自ら積極的に生産現地を周り、じゃがいもの出来具合や新しい品種を調べている

大手企業の参入で価格競争が経営を圧迫

それでも素材の持つ本来の「味」にこだわった

先代社長が、ポテトチップづくりに力を入れ始めた一方で、ポテトチップ業界への参入企業はどんどん増え始めていた。そんな中、遂に大手スナック菓子メーカーがポテトチップの製造を開始。ポテトチップ業界は、価格競争が激化していった。

「私が薬学部への進学を選んだのは、食いっぱぐれがないと思ったから。卒業後、製薬メーカーでMR、薬剤師として働いた後、菊水堂に入社。会社は、長男である私が継ぐと決められていたのです。しかし、入社当時は厳しい経営状況を知り、尻込みしましたね」

先輩や同業他社の方からも情報を仕入れながら、まずは経営の立て直しが最初の課題だった。入社当時、5名あまりいた営業員たちとともに、積極的にスーパーへの営業展開を行っていった。しかし、やはり大手企業には、生産量でも物流面でもかなわない。

「父は、常に“大手企業との差別化”に力を入れていました。全盛期には100社あった同業他社は次々に消えていく。危機感を感じていたんです。何をやっても大手にはかなわない。だから私も“差別化”していかないと生き残る術はないと考えていました」

立て直しを賭けた取り組みとして、最初に“差別化”できないかと考えたのは、ポテトチップの「味」だった。当時、某大手企業が主力にしていた味は「コンソメ」。他社にない味つけを生み出し、レパートリーを増やそうと研究を始めたのだ。実際、さまざまな味つけポテトチップが誕生したが、つくればすぐにほかの参入企業にマネされてしまった。もちろんこれもリスクとしては承知の上だったが、マネはされてもマネはしないをモットーに、新たな味の商品を開発製造し続けながら、生き残り術を模索し続けていた。

味での“差別化”を目指す中でも、先代社長はやはり素材にこだわり続けていた。そして、1975年沖縄海洋博で出会ったのが「沖縄の塩シママース」。ポテトだけでなく、こだわり抜いた塩でつくった焼き塩を使えば、じゃがいも本来の味を失わずよりおいしいポテトチップができると確信したそうだ。

「基本的にポテトチップに使用する原料は3つ。じゃがいも、塩、油(米油、パーム油)。父は『ポテトチップは子供が食べるもの、だから化学調味料は使用しない。』と、食品添加物などは使いませんでした。子供たちに素材本来の味を味わってもらいたい。この塩に出会ったことで思い通りのポテトチップを完成させたのです。」

しかもこれが、たまたま生協の理念と一致。そこでマッチングして、生協に商品を卸すことが決まったのだ。素材の味と原料にこだわるだけでなく、差別化を図るために化学調味料を使用しなかったこと。それが、結果的に生産面でも物流面でも差別化を生みだした。

 

菊水堂は、日本に2台しか残っていない直火炊き連続チップフライヤーを使用している。大量生産には向かないが、フライ油の中を炎が通り抜ける直火独特のポテトチップの味わいは、じゃがいもの味を最大限に引き出している

時代が変わり、販売商品のほとんどが死筋に

遂に扱う商品を “1本化”

それでも大手企業による大量生産の波は押し寄せる。

同時期に視察にいったアメリカでは、すでに当時日本で生産できる量を超越したポテトチップの大量生産が可能な最新機械が作られていたのだ。先代社長は「この機械は、遅かれ早かれ、絶対に大手企業の手にわたる」とより一層危機感を覚えたそうだ。

「使用するじゃがいもが一番おいしくなるようにつくる。素材の味を活かす、それで差別化を図ろうとさまざまな工夫を凝らした結果、使用しているフライヤーで十分だと判断しました。しかし、化学調味料は使わないため、なかなか味が一定になりません。毎日すべての生産工程での念入りなチェックも必要。うちでポテトチップをつくるには手間がかかるんです。だから、大量生産できるものではない。むしろ、生産を追いつかせるのがやっとでした」

当時、常に生き残りを模索していた菊水堂は、ポテトチップ以外のスナック菓子も手広く生産する企業になっていた。しかし、さまざまな商品を生産すれば、その分設備が分散される。そしてそれぞれに、稼働費用や維持費用がかかる。実際は、生産を続けていても、期待するほど利益が上がらなくなり始めていた。それでも、スナック菓子のPB(プライベートブランド)で取引があった全国展開の総合スーパーに、全社の売り上げの4割を頼っているという現状だった。

「中小企業診断士に、財政状況を確認してもらったところ、生産している商品の半分の商品はいらないと言われたんです。今後“死筋”になると。確かに、コンビニエンスストアが展開されるようになって、売れるお菓子もだいぶ変わっていきました。売ってもほとんど利益が出ていない状況を考えると、その死筋の生産を止めるしかなかったんです。しかも、このころ得意先の総合スーパーには、卸している商品の値下げ要求までされていて、応えることは不可能でした」

2001年、菊水堂はほかのスナックの販売を停止。今後、生き残る可能性が高いポテトチップ1本に商品を絞ることになったのだ。2000年に先代社長から会社を引き継いで、わずか1年あまりのことだった。

 

揚げたてのポテトチップスは計量器を通り、袋詰めされていく

生協以外にも取り引きの柱を

ついに大手企業には絶対マネできない“ネット販売”を開始

遂に、ポテトチップだけをつくるメーカーとなってしまった菊水堂。その後、生協との取り引きのほかにも、お土産品として地域限定のポテトチップの開発も行うことになった。宇都宮餃子、お茶、海老、蟹、野沢菜、玉ねぎなど各地の名産を使用した地産地消のポテトチップだ。これなら大量生産する必要はないし、そもそも大手企業がマネできない。新たな販路を開拓し、ほかにはない商品のコンセプトを生み出したことにより、“差別化”を図ったのだ。そしてこの、「大手企業には絶対にマネできないという差別化」は、菊水堂にとっての光明となる。

それは、商品開発にとどまらず、物流にもおよぶ。時流にも敏感に反応していた菊水堂は、“ネット販売”という新たな販路に向けて、早くから動き始めていた。情報発信、集荷方法などを構築し、製造日当日に出荷するシステムが完成したのは、2012年6月。おいしいものを、おいしいうちに届けたいという社長の思いから生まれた「できたてポテトチップ」のネット販売をスタートさせたのだ。

「『大手企業が絶対にできないことをやりたい』何よりもそれが念頭にありました。競争相手が多い中では、マネされることも仕方がないと思っていた。それでも“差別化”を意識し、商品をつくり続けてきたからこそ、大手企業にはできない“化学調味料を使用しない、素材にこだわったヘルシーなポテトチップ”をつくりあげることができた。その独自性を最大限に活かすならば“できたて”だろうというのはわかっていたのです。そこに、インターネットが登場した。私が思い描いていたものをかなえられる世の中になってきたんです」

大手企業は、大量流通・大量販売をビジネスの基盤に置いている。小口注文、直接販売を積極的に行うことは自らのビジネスの否定につながるのだ。もし同じようにネット販売を行えば、問屋や小売りチェーンからの反発を招き、また意識の高い消費者がその美味しさに気づけば小売店で商品を買わなくなるわけだ。「絶対にやらない」わけではないが手を出しにくいところ。マネをしづらいのが、ネット販売だった。それでも、利益が着実に出るようになるまでは2年かかったが、今では最も大きな柱として育っている。

「技術力や商品力を活かすことで、他社には真似されにくいビジネスモデルを構築することが重要だと、立ち上げに協力いただいた株式会社トポロジー代表取締役の鈴木徹氏に教えられたんです。販売する商品をポテトチップ1本に絞ってから、新たに商品開発はしない、必要以上に販路を増やさないなど、無駄な投資を省くように徹底してきました。新たに商品を生むことはできないけれど、“できること”を組み合わせて大手企業にはない戦略を立てていく。これが、独自性をより際立たせたんだと思っています」

 

パッケージングされたポテトチップ。このロゴは、先代社長のころから変えてないという

ネット販売が好調になってきた2015年、「できたてポテトチップス」が全国TVで紹介されることになった。これがきっかけで、ネット販売は爆発的な売り上げを記録した。ヤフー検索大賞2015ではお取り寄せ部門賞を受賞するほどだった。

さらなる転機も訪れる。実は、このときTVで商品を紹介したのが、大手コンビニエンスストアの社員だったのだ。番組での紹介を契機に、コンビニでの商品展開を打診されることになった。

「大手スーパーからの値下げ交渉がきっかけで商品を一本化することになって以来、スーパーやコンビニとの取り引きは大嫌いになっていました。もう痛い目をみたくないからって無視していたんです。 ネット販売も好調でした。それに、うちの商品はつくるのに手間がかかるから、スーパーやコンビニに納めるほど大量生産できないんです。また、できたてを食べてほしいので商品の陳列期間も長くできない。いろんなことから身を引き、やっとここまで来たのに、また手広くやっていくことはしたくなかったんです。とにかく渋っていたら『じゃあ、何ができますか?』って聞かれて。それで、月に1、2回、数量限定で商品を置いてもらうことになったんです」

おそるおそる展開した商品だったが、結果は即日完売。ネット販売も一日の生産量が限定されていたため、入手困難な状況から、一時は“幻のポテトチップ”とさえ言われるほどだった。こうして「菊水堂」という名前が商品とともに売れていく一方で、素材を活かした商品であるがゆえの課題も出てきた。苦情が増えたのだ。

「調味料は塩だけ、揚げ油は米油主体で酸化が早い。すべてじゃがいもの風味を活かしたものであるから。もちろん、大量生産されたポテトチップのように均一な味ではないし、日がたてば、風味も悪くなる。商品の特性上仕方がないのですが、苦情もありました。そこで作ったのが『苦情の窓辺』というもの。よくある『苦情(問い合わせ)』について、『言い訳(会社の回答)』と併せて載せています。同時に商品が売れるようにもなってきて、苦情もだいぶ減りましたね。『去年と同じ産地、同じ品種のじゃがいもでつくったポテトチップなのに味が全然違うのですが…』とまで言われても、逆によく覚えているなぁって(笑)こういう商品なんだっていうことがわかってくれる人が増えただけでなく、ファンまで作れたんだとうれしかったですね」

大手企業の寡占状態が続くポテトチップ業界であっても、創業当時から、従業員わずか30名足らずの中小企業としてここまでやってきた菊水堂。親子二代にわたり、徹底した“大手企業との差別化”がいつしか会社としての“独自性”を生んだ。そして、その“独自性”と時代が重なり、ようやく“できたてポテトチップ”という商品を生んだのだ。

菊水堂がポテトチップをつくり始めてから、来年で55年になる。今後も、時代の波にもまれながらも、ますます発展していくのではないだろうか。 文:種村俊幸 撮影:平山 諭

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