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「事実ではなく“対立の構造”が独り歩きする」 星野智幸『焔』があぶり出す日本の病巣(2)

ある種のフィクションは、その内容や質にかかわらず現実社会を映し出す。風刺や未来への警鐘として、または励ましとしてなど、どのような意味合いとして受け取るかは読み手に委ねられるが、いずれにしても読後に自分の暮らす社会や自分の生きる世界を思い出さずにはいられない。そんな物語があるのだ。

小説家・星野智幸さんの最新作『焔(ほのお)』(新潮社刊)はまさしくそんな作品集。星野さんはどのような意思を持って、どこか陰鬱でまぎれもなく不寛容な日本社会を新作の舞台に選んだのか。そしてこの舞台は「未来の日本」なのか、それとも作家から見た「今の日本」なのか。

社会と創作を巡るそんな疑問を星野さんご本人にぶつけたインタビュー、後編となる今回は、星野さんが持つ社会への問題意識について語っていただいた。(インタビュー・記事/山田洋介)

■現実や事実ではなく対立の物語だけが独り歩きする日本

――星野さんは数年前の一時期、日本を離れてメキシコで生活されていたと聞きました。メキシコではどう過ごされていたんですか?

星野:2015年に3ヶ月ほど暮らしたのですが、その時は日本の言説空間から身を離すのが目的だったので、メキシコで何をしようというのは特にありませんでした。日本のニュースには触れないようにして、メキシコ人のいい意味でのいい加減さとか、そういう中に身を置きたかった。

だから、基本的には「ただ住んだだけ」です。好きなタコスを食べたり、あとはなかなか時間が取れずに読めないでいたロベルト・ボラーニョの『2666』という分厚い長編小説をゆっくり読めたのは贅沢でしたね。

ちなみに『2666』はメキシコの話で、女の人が行方不明になって殺されたりするのが延々続く章があったり、メキシコの陰惨な現実についても書かれているんです。せっかく日本から離れたのに、今度はメキシコの辛い文脈に巻き込まれて、最終的には「どこに住んでも辛いよね」と(笑)。

表紙

――日本の言説の何が嫌だったのでしょうか。

星野:自分の中では、以前から日本が色々な面で悪い方向に向かっている意識があって、東日本大震災後にそれがいよいよ顕在化してきたように感じられました。

ヘイトスピーチですとか、生活保護受給者へのバッシング、さまざまなマイノリティや弱者への差別が象徴的ですが、そういうものが大手を振るう一方で、止める力の方はすごく弱い。こういう状況ができていたのはもっと前でしたけど、震災から一年後の2012年くらいからそれがより勢いを増したように思います。

その状況に対して自分なりに何とかしないといけないという思いがあったので『呪文』のような小説を書きましたし、もちろん同じような問題意識を持っている人は僕以外にもたくさんいます。

ただ、そうした問題意識を持った人たちの活動も、その多くが、世の中を敵か味方かに二分するような日本の言説に巻き込まれて、本来の目的よりも敵方との対立の方にエネルギーを使うようになってしまう。つい先日の相撲界を見てもわかるように、何か問題が起きた時に、その問題の根本を捉えるのではなく、ことがすぐに「貴乃花対白鵬」だとか「貴乃花対相撲協会」というような対立構図に変えられて、複雑な現実や事実は見えなくされて、単純な対立の物語だけが独り歩きしてしまうでしょう。同じように、どんな社会問題や政治問題も、必ずといっていいほど「賛成か反対か」「敵か味方か」「右か左か」という話になってしまう。

そのことを批判したとしても、その人もやがては「対立構図」の中に組み込まれてしまいます。事実、僕にしてもそうで、対立構図を作りたがる社会への批判を、対立構図の中で行うようになっていました。これでは何も変わらないどころか、悪くすることに加担しているという気分に陥り、うんざりして嫌になってしまったというのがメキシコに行った大きな理由です。

表紙

――確かに、星野さんは以前からSNSやブログ、エッセイなどで社会問題に対して積極的に発言されていましたし、日本に戻ってきてからも発言されていますね。

星野:昔はブログやツイッターが主でしたが、今はフェイスブックがメインですかね。書くときは、二項対立にならないように慎重に言葉を選んでいます。社会問題についての自分の意見をベタで小説に持ち込むのは嫌なので、別の場所で、違う形の言葉で、言えることは言い尽くしておくという気持ちでやっています。そうすることで、小説を書く時は小説じゃないと表せない言葉で書けるので。

ただ、言論の世界って、発言を続けていると次第に「論客」に変わってくんですよね。そうなると発言することが目的化されていきますし、何より発言の「現場性」が失われてしまう。それがあって、最近は何と言っていいかわからない時は沈黙することも必要だし、常に明快な言葉で批判することだけがいいことではないと思っています。そう感じてからは発言自体が減っていますね。

――先ほど「物事を対立構造としてしか捉えられない社会への批判」のお話が出ましたが、長編小説の『呪文』や、今回の作品の中に収められている「木星」など、星野さんは小説の中で相容れない個人や集団同士のヘイトスピーチの応酬のような会話を書かれることがあって、それが非常に巧みです。相容れなさの実体が伝わると言いますか…。

星野:先ほどお話したように、小説は自分の意見を主張する場所じゃなくて読者に体験を差し出すものなので、そうした対立する陣営の間の言葉のやり取りを目にした時の感触ですよね。あの背中から疲弊していくような感覚を体験として味わってほしくて書いています。

表紙

――最後に、星野さんの小説の読者の方々にメッセージをお願いします。

星野:今回の作品は、読む人によって様々な色や価値が見えると思います。もちろんどう見えてもOKで、読んだその人にどう見えたかが大切です。

自分にどう見えたかという印象には、その人の生きている状況や価値観、人生観などが反映されています。その部分の「なぜ自分にはこう見えるのか」というところと向き合ってもらえれば、タイトルの『焔』の意味も、いろいろ見えてくるのではないかと思います。そしてそれも自分だけの意味があっていい。

この本の作品世界を、読者の方がそれぞれ自分の作品世界にしてほしいと思います。(インタビュー・記事/山田洋介)

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