元北電職員が実名激白 「原発ゼロでも電気は足りる。泊停止を機に自然エネ転換を」

実名での証言は「行きがかり上」だったが、反響は小さくなかったという(旭川市内)

 震災から1年を経た今年3月11日、旭川市内で開かれたイベントで、元北電職員が一般市民120人を前に口を開いた。「原子力発電所が停まっても、電気は賄えるんです」。在職中から反原発の立場を公にし、今もその姿勢を貫く水島能裕さん(65)。福島第一事故後はいっそうその思いが強まった。これを機に自然エネルギーへ舵を切らないと、日本は大変なことになってしまう――。電力供給不足を盾に再稼動を唱える原発推進派に、職歴35年の元当事者が顔と名前を晒して反論する。

(聞き手・小笠原淳北方ジャーナル 2012年5月号に掲載)

■「元北電」は困るって北電の関係者に言われました

 水島さんは58歳で北電を退職、子会社の北電興業に5年間在籍し、63歳で引退した。マンション管理士の資格を活かし、管理組合連合会の役員を引き受けてから1年が経とうとしていた2011年3月、東北地方を襲った巨大地震の報に接することになる。すぐに頭をよぎったのは「福島」の被害状況。直後から、新聞・テレビ・雑誌・インターネット等の報道をくまなくチェックし、あらゆる情報を集め続けた。

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 3・11以降、新聞や雑誌に片っ端から眼を通しました。北方ジャーナルも拝見してますよ。まさに地震の起きた日に店頭に並んでいた『週刊現代』に東京電力のタイアップ広告が載っていたのも憶えてます(同2011年3月12日号・19日号)。お笑いの浅草キッドが柏崎刈羽原発の所長にインタビューする趣向で、「中越沖地震でもほとんど被害がなかった」とアピールしている記事。しかし、あそこは7機中3機が以後もトラブル続きで再稼動できないままでしたし、変電所の火災では自力消火ができていません。地震の被害は決して小さくなかったんです。

 それから3年半もの間、国と電力会社は中越沖の教訓を生かすことをせず、地震・津波による電源喪失の危険について何の対策も講じませんでした。3・11直後の福島第一でも、廃炉を恐れて格納容器への海水注入をためらったことがわかっています。

 今年3月11日に旭川平和委員会など11団体が主催した講演会では、一連の報道からの引用に私自身が調べた事実を加えて資料をつくり、参加者の皆さんに配布しました。その資料は北電にも渡しましたので、社内で回されていると思います。イベント翌日の新聞記事に私の名前が出たので(「北海道新聞」旭川地域版3月12日付夕刊)、すぐに北電の関係者から電話があり、どんな話をしたのかと訊かれました。その時にメールで送ってあげたんです。反論などはとくに届いてません。「『元北電職員』というのはやめて欲しかった」と言われましたが、もう出ちゃったからどうしようもないですね。その後UHBの番組に出た時も、とくに何も言われませんでした(『スーパーニュース』3月19日放映)。

 福島の事故から1年、日本は何も変わらないのではないかと危惧しています。ドイツは昨年6月、電力量の24%を占める17基の原発を10年でゼロにすると決めました。日本では原発を減らす方針も示されないまま、再稼動に前のめりになっています。

 私が訴えたかったのは、北電には段階的に泊を停める計画をつくって欲しいということ。3号機も20年ぐらいで廃炉にするとか、長期的な計画を立てて貰いたい。同時に、できるだけ早く風力や太陽光などの自然エネルギーに転換していく。そうすれば電力は充分に賄えます。そして、原発の使用済み核燃料は原則として地元で管理する。泊の物は泊でずっと管理し続けていくしかないと思います。

■自然エネの可能性に期待してるんです

 4月1日に着任した北電の川合克彦新社長は、役員人事を発表した3月29日の記者会見で、改めて泊再稼動への強い意志を表明した。同社は昨年来、原発停止時の電力供給不足について再三その深刻なことを訴え続けている。一方、自然エネルギーの連系(発電者から電力会社への送電)を希望する声は増えており、北電の発表によれば11年度の風力発電受付には計187万kWの応募があり、また太陽光発電(メガソーラー)の連系検討申し込みは計90万kWになった。これらをすべて受け入れるには、道内で7000億円の費用(うち5000億円は電源開発所有の「北本連系線」分)と15年以上の時間が必要と北電は説明するが、水島さんはもっと早く、安く実現できるという考えだ。

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 風力と太陽光、合わせて270万kW以上の申し込みがあったわけですよね。それだけあれば、原発なしでもやっていけますよ。

 道庁が公開している資料によれば、太陽光発電の稼働率(設備利用率)は現在12%、風力は26%となっています(同経済部産業振興局環境・エネルギー室「北海道の省エネルギー・新エネルギー促進の取組について」12年2月16日)。ただ、経産省のまとめを見てみると、風力の稼働率はもっと大きい。冬から春にかけての宗谷管内などで40%を超えていて、発電所単位で見れば1月の胆振管内で67・3%に達したこともあるんです(同原子力安全・保安院 北海道産業保安監督部「北海道における風力発電の現状と課題」11年9月29日)。北海道の冬は、風が強いでしょう。まさに電力の需要が最も大きくなるのが、その季節ですよね。電気が最も必要な時期に、風力発電の稼働率が最も大きくなる。

 今の連系申し込みをすべて北電が受け入れたら、2年ぐらいで自然エネルギーに転換できますよ。スペインでは、日本の半分の系統容量で日本の10倍の風力を導入できていて、電力量で2割を超える最大の電源になっています。お金だって、原発推進派が言うほどはかからない。そもそも、原発は安全性の確保や万が一の事故対応、廃棄などに膨大なコストがかかるんです。それに対し、小規模分散型の風力や太陽光は、普及さえ進めばすごい勢いでコストが下がっていきますよ。

 自然エネルギーは不安定だ、という批判もよく聞かれます。これも、普及が進めば安定してくる。瞬時の変動ではなく、ゆったりとした変化になる筈です。天然ガスや水力などの電源で供給調整は可能ですし。

 何よりも、自然エネルギーは膨大です。持続可能なのは自然エネルギーだけと言ってもいい。私は北電で、幌延や利尻の風力発電所の土地取得を担当したんですが、その時「日本は風力が遅れてるなあ」と実感しました。図書館に通って文献を読み漁り、自然エネルギーの可能性に期待したものです。太陽光も日照率の高い北見などで進んでたのに、補助金が出なくなってほとんどなくなってしまいました。

 原発をすぐやめろ、とは言いません。ただ、時間をかけてもいいから自然エネルギーへのシフトを進めていって貰いたいんです。送電網などに大きなお金がかかる、との話もありますが、自然エネルギーは本来地産地消なんです。工夫すればそれらの費用も抑えられると思います。

■福島が「泊」だったら北電は潰れてますよ

 その職場を選んだ理由は「北海道内に勤務できそうだったから」という。空知の産炭地・上砂川町で生まれ育った水島さんは、地元の高校から東北大法学部に進学。就職活動を控えた3年生のころに父を亡くし、「北海道に戻って欲しい」と母に請われて北電の門を叩くことに。以来、58歳で退職するまで最初の勤務地・旭川から一歩も動かず、最後まで部下を持つ”ライン職”に就くこともなかった。一貫して反原発の姿勢を崩さなかったことで、面と向かって「会社を辞めろ」と言われたことが何度もある。それでも留まり続けたのは、「異論があったほうが組織は発展する」と信じていたからだ。

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 原子力行政については、就職前はさほど大きな関心を持ってませんでした。ただ、こういうふうには思っていました。電力会社は潰れないだろう、潰れるとしたら原子力発電所がらみだろう――。

 私の入社前年に組合が分裂しまして、全北電というのと北海電労というのがあったんです。私は多数派の北海電労に参加し、青年・婦人部で活動しました。その集会でいろいろ発言してたのが原因なのか、気がつくと「あいつは本店に行かせるべきじゃない」ということになってたんですね。原発の情報を漏らされたら困る、みたいな。私、現相談役の近藤龍夫さんと同期なんですよ。彼は新入社員の時から本店で原子力セクションに就いていました。旭川支店長を務めたことがある南山英雄さんも、九州電力の玄海原発に20年ほど出向していたと話していました。お2人はその後、社長になりました。

 当時、大卒の新入社員はだいたい3年ぐらいで一度本店に行くことになってたんですが、私は一回もなかった。25歳で結婚したんですが、母親は「息子さん、定年までいても係長にもなれないね」と言われたって言っていました。私も腹を括って、20歳代で旭川にマンション買ってしまいましたよ。そこに、もう38年住んでます。

 逆のパターンもあるんです。「岬めぐり」と呼ばれてたんですが、とにかくあちこち次々に転勤させられる。原発反対の立場を捨てれば、支店や本店に戻して貰える。そういう人もいたようです。私は、予想通り最後まで旭川。

 組織というのは不思議なもので、ほんとに悪い人なんてあんまりいないんです。ただ、一人一人が集まって大きな組織になると、違う顔が見えてくる。後輩の中には、屈託なく「水島さん原発反対でしょ、なんで北電にいるの」と訊いてくる人もいました。私は「たまに毛色が違うのがいてもいいじゃないか」と。みんながみんな同じことを考えてたら、会社なんて発展しない。考えの違う者を排除せず、異論に耳を傾けたほうがいい方向に行くと思うんです。

 昨年、プルサーマルシンポジウムでのやらせが発覚しましたが、実際にやらせが日常的に行なわれていたかどうか、私は知りません。ただ、「泊人事」という言葉は聞いていました。自嘲的に「ぼくは泊人事ですから」と言う人に会ったこともあります。原発立地の地元から1人採用すると10人黙らせることができる、なんて言われていました。東電に勤めていた拉致問題の蓮池透さんも、いわゆる”柏崎人事”で採用になったらしく、著書にいきさつが書いてあります(『私が愛した東京電力』かもがわ出版、2011年)。

 1954年3月にビキニの核実験があった時、私は小学2年生でした。同じ年の11月に『ゴジラ』という映画が公開されます。あの怪獣は、放射能による突然変異で生まれたという設定なんですね。北電に入社し、原子力の何たるかを知った私も、入社当時はまだ「使用済み核燃料は、30年も経てばきっと最終処分の方法が見つかるだろう」と楽観していました。科学の進歩がそういう問題を解決してくれると思っていたんです。しかし、未だにそんな技術は生まれていません。これからもあり得ないでしょう。原子力発電は、人間がやるべきことではなかった。福島のような事故が泊で起きたら、北電なんてすぐ潰れてますよ。

 今回、名前が出てしまったことで、いろいろなところから反響がありました。OBの中には賛同してくれる方もけっこういますし、4月15日には札幌で音楽をやってる若い人たちの企画で、ススキノのバーで講演させて貰うことになりました。今後もそうしたイベントなどを通じ、ささやかながら声を上げていこうと思っています。

(3月25日午後、旭川市内で収録)

(聞き手・小笠原淳北方ジャーナル 2012年5月号に掲載)

◇関連サイト
・月刊誌「北方ジャーナル」 – 公式ブログ
http://hoppojournal.kitaguni.tv/
・小笠原淳 – ツイッター
https://twitter.com/ogasawarajun

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