「人格者ではない人もいる」高校野球監督の実態
出版界の最重要人物にフォーカスする『ベストセラーズインタビュー』!
記念すべき50回目の今回は、講談社「ヤングマガジン」で、『砂の栄冠』を連載中の三田紀房さんが登場してくれました。
『砂の栄冠』は、高校野球の爽やかなイメージの裏側に隠された本当の姿に焦点を当て、そのイメージを利用しながらしたたかに甲子園を目指すという、これまでにはなかった野球漫画。
今回は三田さんが本作の取材で知った高校野球の裏側や、『砂の栄冠』の今後など、気になるテーマについてたっぷりお話を伺いました。
野球ファン、野球漫画ファン、必見のインタビューです。
■高校野球の監督に人格者が少ない理由
―今回は、三田さんが現在、講談社「ヤングマガジン」で連載している『砂の栄冠』についてお話を伺えればと思います。この作品は「そこそこの成績を残せればいい」と思っていた高校野球のキャプテンが、支援者から1000万円という現金を託されたことで、本気で甲子園を目指すというストーリーです。まず、この「1000万円」のアイデアがどこから来たのかというのを教えていただけますか?
三田「2007年の夏の甲子園で佐賀北高校が全国優勝したのですが、その時期に読んだスポーツ新聞のベタ記事に、佐賀北高校のグラウンドに毎日来るおじさんの話が載っていたんです。そのおじさんは、毎日練習を見に来てはバックネット裏で“ヘタクソ”とか文句ばっかり言っているんですけど、ある日“今年のチームは甲子園なんて行けない。もし本当に甲子園に出られたら、おまえらに100万円やる”って言ったらしいんですよ。
それで、よしがんばろうとなって甲子園出場を決めたんですけど、その翌日からぱったりそのおじさんが来なくなった (笑) “なんだあのオヤジ、嘘ついたな”とみんな言っていたんですけど、甲子園が始まって勝ち進んでもあいかわらず姿を見せなかったらしいんです。あれだけ毎日グラウンドに来ていたのに甲子園のアルプススタンドに来ない。それでキャプテンの子が、“お金よこせとは言わないから甲子園に応援にきてよ”と。そういう記事でした。それを読んだ時に、いい話だなと思って、連載とはいわなくても何らかの形で書けないかな、というのはずっと頭の中にあったんですよ。
そして、高校野球の連載やることになって、作品の中の大きな柱をどうするか考えていた時に、そのエピソードを思い出したんです。『砂の栄冠』では、毎日グラウンドに来るおじいさんが、これを甲子園に行くために使ってくれと現金を渡すんですけど、そのアイデアの元は佐賀北高校のエピソードですね」
―1000万円というのはちょうどいい金額ですよね。今の高校野球だと、チームの強化費用として100万円では足りませんし、かといって1億円にすると現実味が薄くなります。
三田「そうですね。この作品では、お金を隠すためにグラウンドに穴を掘って埋めるんですけど、たとえば3000万円だとかなりかさばるから、相当大きな穴を掘らないといけません。そういう大きさの事情と、高校生が1年かけて使いきれる金額というバランスを考えると1000万円くらいがいいかなと思いました」
―作品にリアリティを出すためにどのようなことをされましたか?球場の雰囲気や高校野球関係者の会話など細部にわたってすごくリアルだなと思いました。
三田「高校野球の話であるからには、学校の雰囲気は大事だなと思いました。
『砂の栄冠』の樫野高校のモデルは群馬県の高崎高校なんですけど、知り合い伝てに問い合わせたら、野球部の監督さんがこころよく取材を引き受けてくださって、カメラマンと一緒に行って、写真を撮らせていただきました。
それと、学校についてはロケーションも重要です。校舎の隣がグラウンドで、奥でサッカー部が練習していてっていうのは、我々が持っていた高校のイメージと同じでした。
古い進学校ってだいたい町の中心にあるんですよ。たとえば城下町だったりすると、お城を潰してそこに地域で一番の進学校を作った。だから、公立の進学校は校舎の面積が広いところが多いですし、総じて環境がいいんです。高崎高校や樫野高校のような雰囲気の学校は全国にあるという感覚があります」
―球場に試合を見に来るファンやプロ野球のスカウトなど、高校野球の当事者ではないキャラクターも作品にリアリティを与えているように思います。甲子園を視察していたスカウトが、ファールフライの高さで高校生のバットスイングの速さを確認していたり。
三田「それは実際にスカウトが言っていましたからね。春のセンバツでファールフライを甲子園球場の銀傘にぶつける選手はスイングスピードが速いということで、チェックするそうです。夏は結構みんなぶつけるんですけど、春の段階だとなかなか銀傘の高さまで打ち上げる選手はいませんね」
―また、この作品では、爽やかなイメージで語られる高校野球の生臭い部分、どす黒い部分を描かれています。
三田「“爽やか”とか“汗と涙”というのは一つの作り上げられたイメージであって、建前です。そのイメージをみんなで汲々として守っているっていうのが今の高校野球の現実です。実際はみんな欲の塊のような世界なんですけどね」
―そのイメージを逆手にとって、大人たちが応援したくなるように“猫をかぶる”のが樫野高校というわけですね。
三田「そうですね。主人公の七嶋は、今言ったような高校野球の本当の姿を見抜いていますが、だからといってそれを全部はぎとって、“高校野球を変えるんだ”とは言いません。“わかりました。そのイメージはイメージとして守るから、その代わり試合には勝たせてね”というしたたかな高校球児です」
―この作品でも描かれていますが、「高校野球の指導=人格者」というのも一つの建前です。実際はそんなことはないのですが、三田さんが取材をされた方の中にも、あまり人格者とは呼べないような方はいましたか?
三田「人格者の方が多いですが、残念ながらそうでない方もいます。というのも、言い方は悪いけれど、高校野球の監督にとっての選手は玩具みたいなものという側面もあるんですよ。毎年入ってくる新しい玩具を自分であれこれ配置したりいじったりして、自分の中では遊んでいるような状態。それに加えて、グラウンドは一つの王国であって、自分が王様、逆らう人は誰もいない、となれば少しおかしくなるのは当たり前で、そういう状態が長く続くと、どんどん高校の野球部でしか生きられない人格ができてしまう場合もあります。
さらに、野球は高校スポーツの看板ですから、注目されますしお金も集まります。こんな環境ですから、だんだんと監督の人格がおかしくなってしまうというのはある意味やむをえない部分もあります」
―そういったことを踏まえて、体罰にはどのような意見をお持ちですか?
三田「これはよく聞かれるんですけど、日本の教育システムが引き起こした問題と僕は思っています。殴られてもしかたない奴も中にはいるんですよ、やっぱり。実際に殴っていいかは別として、そういう子まで預らなきゃいけないのが日本の学校教育なんです。
じゃあ、欧米はどうかというと、規律を乱す人間は即刻出て行け、二度と来るな、という考え方。ところが、日本はそういう子こそ矯正するのが教育だという考え方です。
つまり、日本では秩序を乱す者も含めて活動しないといけないということを文化として背負わされているわけで、そんなことはっきり言って無理なんですよ。つまり無理なことをやれといっている日本の社会の方がおかしい。教師に無理なことを要求しているので、社会を変えて行かないといけないというのが僕の体罰問題に対する意見です」
―ただ、中には教育というよりも高校スポーツの指導者として結果を残すことでキャリアアップを図る人もいるわけで、そういった人が振るう体罰というのは、また意味合いが変わってくる気がします。
三田「僕がこの漫画で何を言いたいかというと、ちゃんと自分の頭で考えて行動しろということなんです。高校選びにしても、甲子園に出たから、とか、先輩が行っているから、とか、自分の意思以外の要因で進学する高校を決めていることが非常に多い。
青森の某強豪校などは、青森がどこにあるかも知らないまま野球留学してくる子がいるくらいです。そして入学してから、“青森ってこんなに寒いんですか?”などと言う。彼らにこの学校に来た理由を聞くと、“甲子園に出ているから”とか、“地元の野球チームから先輩が毎年行っているから”とか。
そういう話とは別に、指導者もピンからキリまでたくさんいて、中には暴力を振るったり、父母から裏金をもらったりするとんでもない奴もいる。そういうダークな噂はたくさんあるわけですから、もっと自分でグラウンドに足を運んで、先輩や周りの人の話を聞いたうえで、自分の頭で考えて進学先を決めなさいということを中学生の子たちには言いたいです」
―私も野球をやっていましたが、中学校のチームの監督に言われるまま進学してしまう子が多かったように思います。
三田「そういう子は、自分で考えて自分で決めるということをしないまま生きていくことになってしまいますよね。高校選びっていうのはある意味で出発点なわけで、そこで自分で考えて決めるという行動を少しでも起こせば、その後の考え方も変わります。
この漫画の七嶋も、最初は先輩にくっついて進学したわけですよ。そのままなんとなく野球をやっていたら、きっと3年生の夏の県大会も2回戦くらいで負けて、とりあえず大学でも行こうかなという人生だったはずです。
それが、支援者の老人から1000万円を預かったことで、彼は急激に変わりました。そして甲子園に行くわけですが、そこでまた新しい出会いがあり、いろいろ気づくこともあって、また変わる。そうやって人はどんどん成長していくわけです。
そういう意味では、誰と出会ってどんな影響を受けるかっていうのはすごく大事で、その部分もこの漫画では読者に訴えかけたいです。中学生の子に読んでほしいですよね」
―「自分の人生は他人が決める」というセリフが印象的でした。
三田「自分で決めようと思っても考える材料がないと判断できないじゃないですか。だから、いろんな人と触れ合うんですけど、そうすると、考えるための基礎データが入ってきて、自分の人生が徐々にフォーカスされていきます。だから、逆説的ではありますよね。決して人の言うがままに生きることではないという」
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