「苦しい日々の産物が、大一番で最大の武器になる」ついに世紀の絵巻バトル開催!その後の勝者の意外な心境~ツッコみたくなる源氏物語の残念な男女~
ついに本番!歴史に名を残す一大絵巻バトル開催
3月20日頃(旧暦)、ついに”絵合わせ”が開催されました。特設会場の女房控えの間に帝の御座所を設け、左方(斎宮・源氏)と右方(弘徽殿女御・頭の中将)に別れ、それぞれのチームを応援する殿上人も集います。
左方の女童や女房たちは、赤と紫を中心にしたカラーコーディネート。衣や敷物、絵巻を入れた箱の装飾まで統一されています。大人っぽく優美な雰囲気です。右方は青やグリーン、黄色でまとめた色調。こちらは若い女御らしく、モダンで爽やか。応援団もそれぞれ、チームカラーを身に着けて応援します。今の運動会みたいですね。
判定役は帥宮(そちのみや)。朱雀院・源氏の弟で、源氏が須磨に下る前、別れを惜しみに来てくれた人です。ちょっと頼りないが、芸術方面に明るい文化人で、絵にも精通しています。
双方から、次々と大作が繰り出されます。いずれ劣らぬ名画揃い、帥宮も判定に悩みます。藤壺の宮もこの勝負を見守っており、判定に迷いがあるときなどは的確な発言でサポート。ご意見番のような感じでしょうか、源氏は心の中で、宮の助けに感謝します。
「本当にいい絵とは何か」決勝で登場したのはあの絵巻
帥宮は試合の中で、古今の絵についてこんなことを言っています。「紙には限りがあり、どんな絵も本物にはかなわない。上手く見える絵は、絵師のテクやセンスにごまかされているだけで技巧的なのだ」。
どんなに上手くてもたかが絵。では、本当に素晴らしい絵とは何なのか。勝負は夜中にもつれ込み、双方あと一巻きを残すのみ。頭の中将は「これが最高傑作だ!」と、自慢の一巻を繰り出しますが、源氏が出してきたのはあの、自筆の海のスケッチでした。
都びとが見たこともないような寂しい磯や浜辺が、精緻に描かれています。余白にはところどころ、哀切な和歌も書き込まれています。絵師たちの力作がフィクションとすれば、源氏の絵巻はさながらドキュメンタリー。「ここでこの絵を出してくるとは!」頭の中将は意外な伏兵に驚きを隠せません。
絵を見る時、人はその中に何を見ているのでしょう。絵の中に自分の心を動かすものを見いだせた時、人は感動するのではないでしょうか。帥宮の言う「テクやセンスにごまかされた技巧的な絵」では表現できない想いが、源氏の絵の中には溢れていたのです。
人びとは勝負を忘れてこの絵に魅入り、左方の圧倒的勝利が決まりました。その後はお酒に楽器の演奏が続き、朝まで昔話に花が咲きます。雅やかなイベントに、身も心も酔いしれた春の一日。この日のことは多くの人が日記に書き綴り、後々まで語り草になりました。
実際に行われたのは和歌の20番勝負『歌合』
絵合わせのモチーフになったと言われるのが、天徳内裏歌合(960年)です。こちらは和歌バトルで、『恋』『桜』『鶯』など、事前に発表されたテーマについて歌人が和歌を詠み、それを朗読者が帝の御前で朗読するというもの。和歌にも音楽にも長じていた村上帝は、国風文化を開花させた立役者でもあります。作者はこのイメージを冷泉帝代に重ね、源氏の最盛期の幕開けを彩りました。
左右に別れての応援、チームカラーの統一、和歌カードを飾る台(洲浜)などにも趣向を凝らした様子や、最終的に左方が勝ち、最後は宴会になってお開きになる点など、共通点が多いです。村上帝代の栄華を伝える出来事として、いろいろな人が日記に書き記した大イベントでした。
詳しい記録が残っただけに、ハプニング等も後世まで伝わることに。「右方の朗読者(源博雅)は、3番めの歌の時、1つ飛ばして次の歌を詠み上げてしまい、周りからツッコまれて慌てて読み直すも、顔面蒼白で声が震え、ろくに読み直せなかった」。うっかりミスまで歴史に残ってしまうとは、当時の日記おそるべし。
百人一首に採られている歌も何首かありますが、有名なのが大トリの壬生忠見vs平兼盛。「恋すてふ我が名はまだきたちにけり…」と「忍ぶれど色に出でにけり我が恋は…」の恋の歌対決でした。いずれも甲乙つけがたく、引き分けかと思われた時、村上帝が「忍ぶれど…」と口ずさんでいるのを聞いて、審判は陛下のお気持ちを忖度し、平兼盛に軍配を上げました。
忠見はこの結果に落胆し、無念のあまり食事も喉を通らなくなって死んだという話が伝わっています。親の代から歌人として有名ではあるものの、身分低く、いつまでも出世できなかった忠見。この時も「いい歌を読め」と言われ、貧乏くさい身なりで上京し、それを人に笑われながらもこの勝負に賭けたのです。
忠見の歌は全部で4首でしたが、結果は1勝2敗1引き分け。引き分けになった1首は判定ミス、渾身の「恋すてふ…」も最終で負け。モノは良いはずなのに、運がなかったとしか言いようがないです。
岡野玲子版『陰陽師』では、歌合の詳しい模様と、その裏で清明が暗躍し、魑魅魍魎を引き連れた雷神・菅原道真から歌合を守り、成仏しそこねて内裏を徘徊する忠見の魂も解放する様子が描かれています。前後の話がよくわからない人も、ここだけ読んでも多分面白いです。
「来世を祈りつつ長生きしたい」早くも隠居の準備を開始
絵合わせは大成功の内に幕を閉じます。あの海の絵巻は、予定通り宮に献上されました。須磨に行ったのは他でもなく、宮との密通、そして不義の子冷泉帝をもうけたことの贖罪。冷泉帝の絵好きも、源氏からの遺伝なのでしょう。
苦しい日々の産物が、大一番で自分の最大の武器になった運命の不思議。同じ罪を負う宮の元へ絵巻が収められた今、源氏の中で今もどこか続いていた須磨の旅が、ほんとうの意味で終わったようにも見えます。源氏はいっそう勢力を強め、「冷泉帝時代を後世に印象づけるような、新しい試みをいろいろやっていこう!」。これは今の政治家とあまり変わりませんね。
負けた頭の中将は悔しくて仕方ない。それでも「うちの娘は誰より先に後宮入りして、帝のお覚えもめでたい。勝負には負けたが、これで立后の可能性が消えたわけではない」と思うようにしています。これも選挙に負けた時のコメントみたいですね。
仕事に意欲を燃やす一方で、源氏は全く別のことも考えていました。「やはりこの世は無常だ。若くして出世した人間に長生きした者はいない。自分がこうして生きているのも、須磨で祈りの日々を過ごしたからだろう。帝が大人になられた頃にでも出家し、来世を祈りながら長生きしよう」。
源氏31歳、隠居を考えるには早すぎる気がしますが、40歳でおじいちゃん扱いの時代であれば、そう不自然でもありません。50代くらいから具体的な老後の計画をしだすのと似たような感覚でしょう。ただ、”来世”を案じているところが違います。でも源氏も完全に来世モードではなく、「長生きしよう」というあたり、まだ若いなあという気も。
源氏は静かな山里に御堂を建て、仏像などの準備を始めます。でも源氏には紫の上はじめ、身寄りのいない妻や愛人たちもいるし、何より夕霧とちい姫の将来もある。出家するには煩悩を絶ち、夫婦親子の縁も捨てて行かなければなりません。一段落ついたとはいえ、まだまだ煩悩が多い光源氏の人生は続きます。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/
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(執筆者: 相澤マイコ) ※あなたもガジェット通信で文章を執筆してみませんか
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