「当時医療モノでやっちゃいけないとされることを自分なりに思いつく限りやってみた」佐藤秀峰インタビュー:漫画業界の自主規制と漫画家の反抗 <後編>
漫画家・佐藤秀峰先生が、漫画業界の“自主規制”を語るインタビュー、後編です。前編はこちら(https://getnews.jp/archives/173454)
ききて:
ふかみん(=深水英一郎/ガジェ通発行責任者)
レイナス(ガジェ通新人記者)
リアルに描く=“残酷描写”なのか?
ふかみん:
秀峰さんが描いてるものは、“残酷描写”とは言いつつも“残酷に見せよう”とか“ホラー”とかではまったくないですよね。あくまでリアリティを追求した結果であって。
秀峰先生:
僕の場合、”残酷描写をみんなで楽しもう”っていう見せ方は、どのような場合でもちょっとしたくないんですよ。ただ、漫画というのは読者が主体的に読みたい作品と読む時間を選択できるメディアなので、どんなものでもあっていいですよね。見る自由と見ない自由があっていいと思います。
ふかみん:
こういう現実があるし、“実際その場に行ったらこういうものが見えるんだよ”っていうのをそのまま描いた、ということですよね。
秀峰先生:
そうですね。例えば、登山家が登山をしている様子を『USTREAM』で放送すると、背景に登山者の死体が普通に映り込んでたりするじゃないですか。それがテレビになると死体は排除され、編集で残るのはきれいな山の景色と吹雪だけになります。
死体なんかは普通にもう転がってて、それを映すほうが真実を伝えるんじゃないかなと思うんですよね。それを単純に“残酷だから映してはいけない”ということにしてしまっていいのかなっていう。残酷と言い切ってしまうことは、逆に亡くなった方に失礼ではないかと考えたりもするんです。
『海猿』の映画ではそういうの排除してますね(笑)。まぁ、どっちもあればいいと思います。
ふかみん:
ターゲットにもよると思いますけどね。
秀峰先生:
そういうものを排除して、きれいなものをテレビとするのであれば、テレビはそれでいいし。ネットは検索すれば死体の写真も見れるしっていう感じで、選択肢を狭めないほうがいいなと思います。
ふかみん:
それぞれの流儀があっていいけど、「佐藤秀峰流につべこべ言うな。俺のやり方なんだ」と。
秀峰先生:
そうですね。僕のやり方までそこにあてはめられたくないっていう。少なくとも漫画では。
ふかみん:
病院ものでも、たとえば『ブラよろ』だと最初の交通事故で運ばれてくるシーンとかすごいインパクトあったと思いますけど、あんなに生々しい表現って今までそんなになかったですよね。実際現場に行けばそうなんだろうけど。
秀峰先生:
あれも当時医療モノでやっちゃいけないとされることを自分なりに思いつく限りやってみたんですね。描写を生々しくしたり、主人公が誰も救えなかったり。
ふかみん:
“タブーに挑む”みたいな部分もあるんじゃないですか? 佐藤秀峰という人間は。でもそれは、わざとそこに行ってるわけではないということなんですか?
秀峰先生:
最近のエンターテインメントってそれを意図的に隠すので、その不自然さがちょっと嫌なんですよね。エンターテインメントってそんなに狭い意味だったのかな、というか。“なんでもあり”で選べるのが楽しいような気がするんで。そんな狭いものだけ与えることのほうが娯楽をナメてる気がしちゃうんですよ。
ふかみん:
ちょっと意地悪な聞き方かもしれないですけど、わざとセンセーショナルなネタに食いついていったりとか、そういうことはしてないですか?
秀峰先生:
うーん……。
ふかみん:
たとえば池田小事件をモチーフにしたのでも、自分なりにアレンジして描いたら話題になるよねっていう計算でやってるということはありませんか。
秀峰先生:
もちろん、わざわざ話題にならないような描き方はしませんし、漫画の役目って何なんだろうって考えるんです。所詮は娯楽という言い方もできるし、漫画って基本的にあってもなくてもいいものですよね。報道には報道の使命があると思うし、漫画には漫画の使命があると思います。
あってもなくてもいいものだからこそできることがあると思うんです。漫画は商業芸術だけど芸術には変わりないワケで、表現に限界に挑むのは芸術の使命じゃないですか。割と僕、“差別”とか燃えちゃうところがあって。悪いことしてない人が虐げられるのとか、「なんでこれが“悪くない”って伝わらないんだ」っていう状況にすごいムラムラきちゃうんですよ。それを描きたいって思うと、低体重出生児(いわゆる未熟児)とか精神障害者とか、命令で死ななきゃいけない特攻隊員とかそういうところに寄っていっちゃうんですよね。
ふかみん:
“興味がある”ということ?
秀峰先生:
上手く言えないけど、そうなっちゃうんです。報道とかも、新聞が本当のことを書いてるわけではなかったり、出版社も“エンターテインメントなんだからこういうことは書くな”みたいな自主規制がいっぱいあって、なかなか思うように書かせてくれなかったりっていうのが、新聞社の報道の姿ともちょっと重なる部分があったりして。それが池小事件の時にすごく強く感じていて、精神科を描くなら絶対扱いたいと思ったんですよ。
ふかみん:
遺族の方から「是非描いてください」って言われたのは、すごいことですよね。
秀峰先生:
いえ、「是非」とは言われていませんし、1人の遺族の方にそう言っていただけただけです。でもそう考える方もいるのではないかなぁ、とは。
ふかみん:
そうに違いないと思っていた?
秀峰先生:
うーん。“自分だったら”って思うと、そのことに触れられたくないって時期は一定期間たぶんあって、その後って「でもどういうことだったのか事件を理解したい」っていう気持ちがあると思うんですよ。理解するために後から整理する作業って大事だと思うんですけど、そこに触れることすらダメっていうのがよく分からなかった感じですね。
でもね、実はその後、事件の遺族の方にお会いする機会があったんです。別の取材でお会いした方がいて、その方が被害者の遺族だったんです。僕は当時そのことを全然知らなくて、その方も会いした時には事件について一言も話さなかったのですが、後日、別の方から「あの方は事件の被害者の家族なんだよ」って話を聞いてすごく心が痛みました。本当に。
事実として僕は事件について漫画に描いたワケですが、もう一度、その方にお会いする機会があったら何を言うだろうと考えるんです。そしたら、やっぱり謝りたいんです。僕はどうしても描きたかった。でも、あなたを傷つけてしまったかも知れない。でも、描きたかった。ぐるぐるしてただ謝りたくなってしまうというか、許されて安心したいだけなのかもしれませんし、逆に激しい怒りをぶつけられたら安心するのかな。よく分からないです。利己的ですよね。
ふかみん:
やっぱりその事件が起きてすぐだったら、先生もためらうとこですよね。
秀峰先生:
そうですね。たとえば地震が起きた直後に“津波が来て人が死ぬことをただ意味もなく描写するマンガ”っていうのがあったとしたら、それはやめたほうがいいでしょうと思いますよね。
ふかみん:
だからある程度時間が経って、被害にあった方々や遺族が、ゆっくり、“そのことについて考え直したい”くらいのタイミングになってくると、もっと色んな作家がそれぞれの考えで描くことも必要なんじゃないかと。
秀峰先生:
描き手に覚悟があれば直後でもいいんだと思うんですけど。逆に“傷つけないように”って色々アレンジを加えて、誰からもクレームが来ないようにバラの花をさして殺すとかっていうのは一番やっちゃいけないと思いますね。
ふかみん:
世の中が目を背けたかったり、メディアがそれに迎合して映さなかったりする部分に逆に興味があるってことなんですかね。
秀峰先生:
うん、そうなのかも。
“出版で使ってはいけない言葉”に挑む
ふかみん:
他の奴がやらないんだったら俺が描く、みたいな気持ちはありませんか?
秀峰先生:
うーん……さっきも言いましたけど表現の限界に挑むと言うか、自主規制に挑んじゃうところはありますね。
ふかみん:
自主規制? それは出版社の自主規制?
秀峰先生:
はい。例えば“キチガイ”って言葉を使っちゃいけないってずいぶん言われてたんで。それは単なる言葉狩りじゃないですか。でも僕も無制限にいつでも人に言っていい言葉だとは全然思わないし、ネットでその言葉をすぐに使う人見ると、やっぱり不快なんですよね。
でも“出版じゃ使っちゃいけない言葉”っていうのは違うかなって思ってて。精神障害のことを説明するうえで、患者さんって結構自分達のことをキチガイって言ったりするんです。「オレはキチガイじゃない」とか「私はキチガイでここ(病院)に連れてこられた」とか。その言葉を患者同士がしょっちゅう使ってるんだから、マンガの中でも使いたかったんですよね。
ふかみん:
“キチガイ”って言葉はどういう風に使われてましたっけ。
秀峰先生:
めくったページでドーンと大きく。「僕はキチガイじゃない!」って言って患者が走ってくシーンを描いたんですよね。
ふかみん:
『ブラよろ』の精神科編ですね、その原稿を出したときは?
秀峰先生:
それは事前に「使うよ」ってことを言ってて。理由も説明して、「だからやりたいんだ」ってことを言ってたんで、すんなり載ったんですよね。
ふかみん:
ゆっくり説明すれば分かってくれる。
秀峰先生:
そういう場合もありますね。なんか、『モーニング』はひどい所もいっぱいあるんですけど(笑)、その辺は割とゆるかったっていうか。言えば聞いてくれましたね。そこはすごく感謝してます。結局、作家の立場で言うと面白い漫画を描きたいだけなのかも知れませんね。それぞれの思う面白さをそれぞれの作家が描けばいい。でも面白いって何なんでしょうか。僕はその答えを持っていないんです。だからダメだと言われることにも挑んで、自分の形を認識したいんです。
ふかみん:
漫画家自身が真摯に立ち向かっていくことで自主規制の壁は崩すことができるんですね。マンガという表現の現場の緊張感が伝わるエピソードをたくさんお話いただいて、ありがとうございました。
『漫画 on web』‐http://mangaonweb.com/
- ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
- 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。