【坊主めくり】『お坊さんはじめました』新章突入/彼岸寺 創設者 松本圭介さん(1/3)
7年前、立ち上がったばかりの『彼岸寺』を友人から教えてもらい興味深く読んでいました。日本に上陸したばかりの『MovableType』でお坊さんがブログを使ったウェブマガジンを作っていることに驚いたし、各種コンテンツもいい意味でお坊さんのイメージを裏切っていて。今回のインタビューのために光明寺に向かいながら、「いよいよこの人のお話を聴く日が来ちゃったか」と思うとホント感慨深かったです。インタビューでは、改めて『坊主めくり』的に聴く「お坊さんになった理由」、インドのビジネススクールでのお話、そしてMBAホルダーとなった松本さんが今後どんなことをしようと思っているのか、などを中心にお話いただきました。全3回みっちり聴かせていただきましたので、ぜひぜひ最後までお読みください。
※タイトル画像は、松本さんが高校三年生のとき。大学受験の勉強中の写真です。
いつかはお坊さんになりたいな
――小さい頃からお祖父さんのお寺で遊び、そこで仏教に触れておられたそうですね。でも、大学では西洋哲学科のほうに?
その頃、ニーチェが好きだったんです。「神は死んだ」とか言っちゃっているのが、面白かったんですね。ただ、西洋哲学科に進んでも、仏教に関係する講義を何かしらとっていました。小さい頃からこと人生の問いに関しては、もうやっぱり仏教なんだろうなっていう直感は持っていて。だから、リタイア後とか、漠然と遠い未来のいつかにはお坊さんになりたいなという気持ちはずっとありました。
でも、大学卒業後はふつうに就職しようと考えていて。自分の好きな業界はどこかな? と確かめたくて、ウェブ・インターネット関係の仕事をしたり、広告代理店の企画の手伝いをしてみたり、いろんな世界を見ていました。あと、政治の世界も絶対に見たかったので、衆院議員の事務所で約2年間ウェブサイトを作る仕事もしましたね。
――ずいぶんいろんな業界を見てみたんですね。
いろいろ見ましたが、どの業界でも「いいな、面白いな。やりがいありそうだな」と思いながらも、どこかでふっきれないものがあったんだと思うんですよね。一方で、”自分のやりたいこと”を見ると、実は腹のなかでほぼ決まっているのは「いつかお坊さんになりたい」ということなんです。じゃあ、そこが決まっているんだったら、先延ばしにしないでやっちゃったほうがいいんじゃないか、と。
――「いつかなりたい」から「今やろう」になったのはどうしてでしょう?
自分が仏教に感じている魅力と、小さい頃から見てきたお寺の暮らしの間にはギャップを感じていたんです。せっかくこんなにいい教えなのに、もっとたくさんやれることがあるんじゃないかと。今でこそ、若いお坊さんの間でいろんな新しい動きが出てきていますけど、そういうのもほとんどなかった時だったので、やっぱり誰かがやらなきゃいけないんじゃないかなっていう勝手な使命感を持って飛び込んでみました。
そういえば大学4年の春頃、すでに銀行に就職が決まった仲のいい同級生と、この先どうしようかなぁみたいなことを相談しながら根津神社を散歩していたんですよ。そのときに彼から、「そんなにお寺が好きならすぐにお坊さんになっちゃえば?」と言われて、決心がついたんです。今思えば、神社で決心したんですね(笑)。
あと、これまた同級生の小池龍之介さんの存在もやはり大きかったですね。語学のクラスが同じだったこともあり、学生時代はけっこう親しくしてさせていただいてました。彼のおかげで思想・宗教への興味を広げることができましたし、宗教の分野で将来やってみたいことなど語り合って、大いに刺激を受けました。
“仏教業界入り”を決意したホントの理由
――松本さんが仏教に感じていた魅力はどういうところだったんでしょう。
いろんな思想哲学がいろんなものの見方をしますけれど、仏教はまず出発点がリアルな人生で、「生きる」っていうところにしっかり目を向けて余計なことを考えないというか。「どうやってこの苦しみを克服するのか」と、問題設定がすごく明確だし正しいなって思ったわけですよ。それを解決しようとする道筋も、きわめて理路整然とプラクティカルですごいなって。
一方で、お寺を見てみると先祖供養ばかり。意味もわからず音楽みたいにお経を読んでいるんですよ。お坊さんになる前には「これって何の意味があるんだろう?」と思っていました。
――自分の生き方の指針として仏教に惹かれる気持ちと、仏教というコンテンツの持つ魅力とお寺での発信形態のギャップを埋めたいという気持ち。ふたつの気持ちは、最初から同時にあったのでしょうか。
仏教ってすごく個人的なものじゃないですか。やればやるほどに。仏教徒として、自分と仏教としっかり向き合っていく方向性においては僧侶か僧侶でないかなんて関係ないし、特に浄土真宗の場合はお坊さんにならなくったっていいと思うんです。ただ、仏教というすごくいいものの魅力をイマイチうまく伝えられていないように見える仏教界は、誰かがなかに入ってやっていかないと変わっていかないんじゃないかっていう気持ちが強くありました。浄土真宗本願寺派で得度するご縁をいただいたのは、社会のなかでのプレゼンスが大きい宗派で先陣を切ってやっていくという面からもありがたいことでした。
――つまり、個人として仏教を選ぶだけならお坊さんにならなかった。松本さんの場合は、出家というのか、仏教界入りというのか……。
「仏教業界」入り、ですね(笑)。本にも書きましたけど、日本の仏教界の風通しを良くして、仏教の魅力をきちんと外に向けて広げていくような仕事に携わるには、お坊さんという立場がないと何も始まらないんです。残念ながら、日本の仏教界には、在家の人が積極的にお寺の運営に関わる余地がほとんどない。だから、お坊さんになったんですね。
――在家からお坊さんになる人は、仏教の世界に理想を描く傾向があると言いますが。
私はほとんどそういうことはなかったんじゃないかな。跡継ぎではないけれど住職の孫だったので、お寺というのがどんなものかだいたいわかっていましたし。最初からそんなに期待もしていませんでしたから(笑)。だからこそ、みんなが期待できるようなところ、みんなの期待に答えられるようなところに、お寺を変えていきたかったわけです。
お坊さんデビュー後は試行錯誤でGO!
――お坊さんになろうとしたときは、仏教界にコミットするお坊さんを目指していた?
お坊さんになる動機としてさっき話していたことを裏側から言うと、世にあふれる怪しげな新宗教関系の本とかがすごくいやで、「なんだこれ?」っていうのがあって。明らかに仏教とかけ離れたものも仏教の看板を掲げていたりして、これ放っておいていいのかなと。
お坊さんたち、やられっぱなしでいいんですか? と。くやしいじゃないですか、せっかくいいもの持ってるのに。それぞれの宗教がいろんなことを主張するのはどうしようもないとしても、せめて伝統仏教が自分たちが持っているものの価値をしっかりと伝えていかなければ、本来なら良い仏縁を持てるはずだった人も、他所へ行ってしまいます。伝統仏教にはそういう社会的責任もあるんじゃないかと思いました。だけど、具体的にどうすればいいんだろうっていうところはまだ見えていなくて。最初のうちは試行錯誤しながら手当たり次第にっていうことですよね。
――その試行錯誤のなかに『彼岸寺』もあったわけですね。当時のブログは、お坊さんになるという体験をシェアするというか、そういう気持ちがあったのかなあと。
生まれつき、マーケッターなんですかね(笑)。ブログで外からの目線で見る仏教界をシェアしたいっていうのは。
――今、「マーケッター」という言葉が出たということは、「みんなはどう思うの?」と問いかける気持ちもあったのかな?
それはそうですよね、もちろん。外から見てわからなかったのは、お坊さんの価値観ってどういうものなのか、何を軸に生きているのかということでした。当然、仏教なんだろうけれども、もう少し生活レベルで「お坊さんは何を考えているのか」をあらわにして目に見えるかたちで共有したかったんです。やっぱり、価値観のわからない人とは何も一緒にできないじゃないですか。お坊さんが大事にしていることを伝えることから、共通点が見えてくると思ったのでそこを意識していたんですよ。
――お坊さんってこんな感じだけどどう思う? お寺ってこんな場所だけど来てみたらどう思う? と問いかけるなかで、『神谷町オープンテラス』や『誰そ彼』のようなイベントをしていたのは、マーケティング的な意味もあったのでしょうか。
そうですね。ただ、そのマーケティングは、まずこっちから材料を投げ出してしまって、「受け取り方はご自由にどうぞ」という実験的なもので。何かしら引っかかるものがあれば良くも悪くも反応が返ってくるでしょうし、そのなかでダイナミズムも生まれてくるだろうなと思っていました。
だから、たとえば『神谷町オープンテラス』や『誰そ彼』も、「まずやってみよう」というところでしたよね。先に綿密なプランを立ててそれを正確に実行しようというよりは、スタッフやお客さんが楽しんで充実感を持ってやれるのか、そこが場としてどういう雰囲気を持つようになって行くのかが重要でした。人と人とのことですし、スタッフも一人ひとり違えば組み合わせもそれぞれなので、まずは動きながら展開を見ていくしかないなと思っていました。
――「お寺でイベントをやりたい」ということが最終目標ではなく、「お寺に注目が集まると何が起きるのか」を見ようとされていたのかなと思うのですが。
そうですね。やる内容自体にはそんなにこだわりはなくて。『神谷町オープンテラス』なんて極端に言えば場所に名前をつけただけですから。どこのお寺にもスペースがあるわけですけども、そこに”お寺カフェ”というコンセプトで『神谷町オープンテラス』という名前をつけた。すると、まったく同じものなのに、人々の受け取り方が変わってくるわけですよね。お寺で過ごすということが、「お寺詣り」から「カフェに行く感じでお寺で過ごせばいいんだ」と、急に身近な生活様式に引き寄せられた。意識のなかのフレームをちょっと切り替えたっていうだけなんです。(→「インドにMBA留学をしてからのお話」につづく)
松本圭介/まつもとけいすけ
1979年北海道生まれ。浄土真宗本願寺派僧侶、布教使。東京大学文学部哲学科卒業。2004年、超宗派仏教徒のウェブサイト『彼岸寺』を設立し、お寺の音楽会『誰そ彼』、お寺カフェ『神谷町オープンテラス』を運営。ブルータス「真似のできない仕事術」、Tokyo
Source「東京発、未来を面白くするクリエイター、31人」に取り上げられるなど、仏教界のトップランナーとして注目される。2010年、南インドのIndian School of BusinessへMBA留学。今春卒業し、現在は東京光明寺に活動の拠点を置く。著書に『おぼうさん、はじめました。』『”こころの静寂”を手に入れる37の方法』 『お坊さん革命』『お坊さんが教えるこころが整う掃除の本』など。
光明寺
http://www.komyo.net/
浄土真宗本願寺派 梅上山 光明寺。1212年創建。かつての山号は真色山常楽寺。創建当時は天台宗だったが、関東滞在中の親鸞聖人の教化をご縁に浄土真宗に宗旨を改めた。室町時代、 疫病の流行に際し、常楽寺の本尊・阿弥陀如来像が光明を放って人々を救ったと信じられたことから、常楽寺を改め「光明寺」と称する。さらに、江戸時代には徳川家康が境内の梅を喜んだ故事に因み、三代将軍・家光から「梅上山」の山号を贈られて山号も改称した。現在は、東京・神谷町、千葉の君津、埼玉の草加にお寺を構え、昔からのご門徒(お檀家)のみならず、あらゆる有縁の方々に「わたしとお寺の新しい関係」を結んでほしいと願い、その機会を作るべく積極的な動きを見せている。
神谷町オープンテラス
http://www.komyo.net/kot/
光明寺境内に開かれたオープンスペース。東京メトロ日比谷線 神谷町駅前から徒歩1分、オフィスビルに囲まれた立地を活かして、周辺で働く人々や地域住民に憩いの場を提供している。飲食物の持ち込みは自由、ランチタイムや休憩に立ち寄ってみたい。境内に入って目の前にある大きな階段を上がって左側、2階部分にテーブルとイス(一部はソファ)が用意されている。お墓の向こうに見える東京タワーがある意味絶景。ひとやすみの前後には、ありがとうの気持ちを込めて本堂の阿弥陀さまにもお参りしよう。水・金は木原店長によるおもてなしもあり(要予約)。
オープン時間:平日9:00-17:00
※「おもてなし」予約、オープン予定の詳細はウェブサイトで確認を。
お寺の音楽会 誰そ彼
http://www.taso.jp
音楽好きの僧侶と僧侶ではない音楽好き達が開催するライブイベント。「本堂で音楽を聴いてみよう」という軽い気持ちから始まった、言わば”お坊さんのホームパーティー”。ふだんは光明寺で開かれるが、静岡・伊東のお寺での『お寺と温泉ライブ あじさいさい』、築地本願寺『本願寺LIVE 他力本願でいこう』などにも協力している。
ウェブサイト: http://www.higan.net/bouzu/
- ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
- 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。