自由を貪る戦争か支配下の平和か。人類家畜テーマの新展開。

自由を貪る戦争か支配下の平和か。人類家畜テーマの新展開。

 ロバート・チャールズ・ウィルスンは、ジョン・W・キャンベル記念賞受賞の『クロノリス–時の碑–』(2001年)、ヒューゴー賞を受賞した『時間封鎖』(2005年)を開幕篇とする三部作など、大仕掛けの「SFアイデア」と緻密な「心理描写」で定評のある人気作家だ。正直に言うとぼくは「心理描写」がどうも苦手で、この作家のこれまでの作品はもうひとつ乗りきれずにいたのだが、本書(2013年)は「SFアイデア」のほうが思いきりの剛速球でワクワクしながら読み通すことができた。

 空の上に見えない超越的知性がいて、ひそかに人類をコントロールしている!

 なんと、エリック・フランク・ラッセル『超生命ヴァイトン』と同趣向のアイデアだ。昔懐かしいWAP(We are property=人類家畜)テーマですね。ラッセルは超常現象研究のパイオニアであるチャールズ・フォートの影響を受けており、人類を支配しているミステリアスな存在という発想そのものはそれほど突飛なものではない。いや、突飛には違いないが、よくある突飛というか、電波系の典型というか。しかし、ウィルスンはさすが現代の作家なのでそのまんま小説にしたりせず、ひとひねり加えている。

『楽園炎上』の世界は、第一次世界大戦が1914年に休戦し、以来一世紀にわたって平和が保たれている別の時間線上に設定されている。その平和の裏にいるのが超越的知性なのだ。物語中では超高度群体(ハイパーコロニー)と呼ばれている。大気圏上層に浮かぶ彼らは、人類の無線通信に介入し歴史を操ってきた。そのうえ、人間そっくりの偽装人間を地上へ送りこんでいる。偽装人間は意識を持たずアルゴリズムによって行動・反応をおこなうが、そのアルゴリズムが洗練されているため(長年の人間観察による成果だ)、見破ることができない。

 人類のほとんどは超高度群体や偽装人間のことを知らない。ひとにぎりの科学者たちだけが事態に気づき、人類の尊厳を取り戻そうと連絡協議会を組織したが、協議会のメンバーはつねに超高度群体にマークされ表だった行動ができずにいる。

 物語は、偽装人間による連絡協議会襲撃の際に両親を殺され、いまは伯母ネリッサのもとで暮らしている少女キャシー(18歳)とその弟トーマス(12歳)に新たな危機が迫るところからはじまる。間一髪で逃れた姉弟は、協議会の中心人物ウェルナー・ベックの息子であるレオ・ベック(21歳)を頼って家を出る。

 一方、ネリッサの別居中の夫で昆虫学者のイーサン・アイヴァースンは、偽装人間の訪問を受けていた。驚いたことに偽装人間は自らの正体を隠そうとはせず、連絡協議会に危機が迫っていると警告しに来たのだと告げる。「わたしと先生は利害を共有しているのです」と言うが、その言葉を信じてよいものだろうか?

 この邦訳版の解説で大野万紀さんがフィリップ・K・ディックや映画「遊星からの物体X」に言及しているとおり、『楽園炎上』の物語を貫いているのは、身近にいる誰が敵(人間そっくりな非人間)かわからないサスペンスだ。しかし、一世紀にわたる平和が超高度群体によって保たれているならば、べつに人類は解放される必要などないとも考えられる。自由を貪って戦争するより、支配されたまま安寧に暮らすほうがずっと良い。そもそも大多数の人間は、支配されていることに気づいていないのだから。

 本書の山場は、超高度群体は人類と敵対しているのではなく、それ自体の目的があることが次第に明らかになるところだ。ここで背景がいきなり宇宙規模のスケールへと拡大する。その過程で、意識や知性の問題が正面切って取りあげられる。心を持つことは、生物(自己増殖し種として継続するシステム)にとって理に適ったことなのか?

 この問いかけは、ピーター・ワッツのファーストコンタクトSF『ブラインドサイト』とも共通する。また、異なる生命体が戦略として(?)人間性をトレースする展開は、アニメ「蒼き鋼のアルペジオ」にもあった。ただし、「アルペジオ」と違ってウィルスンは人間性を必ずしも肯定的に捉えているわけではなく、もっと突きはなした視点だ。これを悲観的な方向へと突きつめていくと、平井和正『死霊狩り』のような人類ダメ小説になりそうだが、さすがにそこまで極端にはならない。おさまり良くバランスを取っている。

 さて、ウィルスンのもうひとつの特色「心理描写」にもふれておこう。

 ぼくが「心理描写」が苦手なのは、人間を中途半端に描いているかんじがするからだ。言うまでもなく、人間を描かない小説があってもいいし(神話から現代文学まで実例は山のようにある)、人間を描いた小説もそれとしての価値がある。いただけないのは、化粧板を張った安物家具のような手軽な「心理描写」だ。

 たとえばレオがトーマスに、イーサン・アイヴァースンの著作を読み聞かせをし、それを脇でキャシーが見守っている場面。

(レオの)声は驚くほど明瞭で自信にあふれ、学者の書いた散文ではなく昔話を朗読しているかのようだった。キャシーはレオを注視した。ときどき本から顔をあげ、興味津々で体を前傾させているトーマスと視線を合わせていた。優しい心遣いだ、と彼女は思った。なかなかできることではない。レオ・ベックの心のなかには、かくも尊敬に値する資質が秘められていたのだ。

〔心遣い〕〔彼女は思った〕〔心の中には〜秘められていた〕というように、ウィルスンは登場人物の心を、動作や情景に託すのではなくダイレクトに説明してしまう。わかりやすいことはわかりやすいが、表現は止っており小説の広がりはない。人間を描いてはいるといえば描いているが、しょせん「感情ってこうだよね」とカタチをなぞっただけだ。

 まあ、大衆小説だからそれでじゅうぶんとの割り切りもある。しかし、ぼくはそれだったら、むしろ要らない(切り落としてしまえばいい)と考えるほうだ。なので、これまでのウィルスン作品も冗長に感じていた。「凡庸な人間ドラマなぞはしょってアイデアだけでガンガン押せよ!」というのが本音だ。

 しかし—-ここからが本題なのだが—-『楽園炎上』に限っては少々事情が違ってくる。この化粧板を張ったような「心理描写」が、終盤に至って意外な伏線として生きてくるのだ。ものすごく皮肉な展開で、レオやトーマスに心を寄せて読んでいたひとは衝撃を受けることまちがいなし。しかも、その衝撃がちゃんと「SFの大仕掛け」と密接に関わっている。ウィルスンって、じつはけっこう意地悪なのかもしれない。

(牧眞司)

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