みんなはいま、なにを思っているんだろう?

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ふくいちライブカメラより

※作家田口ランディさんからの寄稿です
※ガジェ通サイトの記事下にコメント欄がありますので、そこにみなさんが今思っていることを投稿してみてください。

みんなは
いま、
なにを思っているんだろう?

(田口ランディ)

地震、津波、そして原発事故が起こってから、もうすぐ三週間が経ちます。
いま、この先の見えない状況のなかでみんなどんな思いを抱いているのだろう。それを知りたくて、友人のみなさんに声をかけて、現在の思い、考えをメールで送っていただきました。読んでみて、とてもほっとしました。みんなとまどっている。自分だけじゃないんだ。そう思えました。そして、勇気がわいてきました。いただいたメールをみなさんにご紹介します。

(とりまとめと編集は田口が行いました。発言のバックグラウンドを知っていただくために記名でお願いしました。文中の太文字は読みやすさを意識してのレイアウトです。それも田口が考えました)

 ひとつの単語、ギルティー(guilty)ということを考えています。大学教員である私は、研究室に室長として所属する女子学生から、3月16日に次のようなメールをもらいました。「当分の間、帰省する。海外メディアの報道に信憑性を感じる。一人暮らしの自宅の惨状と近隣環境は住めたものではない。研究室員は全員、自宅待機としてほしい。勝手な行動への叱責は甘んじて受ける。」そして帰省後に、「自分が女であることを悔しく思う」という追伸をもらいました。私はこの時の彼女の感情を明確な言葉として理解できませんでした。おそらく今も正確な理解はできていないと思います。
 妻は英国育ちのモーリシャス人に英語を習っており、震災5日後の彼との会話は、次のようなものだったそうです。あなたの同僚の英米人の多くは家族や海外メディアの呼びかけで帰国したが、彼らは何を思って帰国したのか?という問いに、彼は、皆が何らかのギルティという感情を抱きながら帰国したと答えたそうです。私は、そこで初めて、研究室長の感情が、東京に留まる仲間たちへのある種の罪悪感であることを理解しました。
 その後、私の心にも急速に私自身に固有の罪悪感が広がっていきました。そして私は娘に、もし多くの子供たちが被爆して発がんリスクを負ったら、私たち大人に復讐するだろうか? 原発施設に自爆テロを仕掛けると政府を脅迫して、全原発の即時停止を訴えるだろうか?と問いました。娘は、あっさりと「やるなら原発にサーバーテロを仕掛けると脅すでしょ」、と答えました。
 1960年代の公害(大気汚染による小児ぜんそくと六価クロムの吸引による慢性鼻炎)や環境問題(埋め立て)を身近に体験しながら、東京の下町で育った私は、現在、環境経済学者を名乗っています。しかし90年初頭の冷戦構造の解体以降、地球温暖化への問題意識の拡散と研究の新規性や厳密性への傾倒の中で、原発問題との真剣な取り組みを避ける傾向にありました。明治大学における2010年の水俣展の開催とそこでのランディさんとの出会いを契機に、ダイアローグ研究会の運営に携わりました。そして今回の震災と原発事故から目覚めた、未だ十分に自己了解できていない、次世代への罪悪感を引き受けて、これから、学び、語り、行動していこうと考えています。
――明治大学環境経済学 大森正之

私は医師の立場から、現場の病者の立場に心を痛めている。テレビでは避難のため迎えに着た重装備の自衛隊員におばあさんは、ほぼ寝たきりのおじいさんのために家に残ると言って追い返します。現時点で身体で分からない放射線よりも、今日と同じ明日を選ぶ。そんな病者の思いを支えることはできないのだろうか。
この先何ヶ月、何年も福島第1原発の周辺では放射線の被曝が続くであろう。原発には自然治癒力がないから。そして、テレビの老夫婦にも放射性物質が降り注ぎ続くことだろう。老夫婦を冷静に支え続ける医療者がまず被曝の安全性と危険性を理解しなくてはならない。短期的な善意と勇気だけでは老夫婦を支え続けることはできない。そして医療者は率先して被曝の恐怖から脱して欲しい。避難地域の病者を放射線への偏見からの診療拒否をしてはならない
今まで、レントゲン、CTスキャン、放射線治療、シンチグラフィと放射線と放射性物質を安全に扱い多くの病者を支えてきた医療者は、自ら扱ってきた道具と原発から降り注ぐ物質との相似性をどうか思い出して欲しい。
――社会保険神戸中央病院 内科(緩和ケア)新城 拓也

どんどん「排他的」な方向に向かっている今の実情に戦慄を覚えます。
風評による原発周辺の方々への被害はもちろんのこと、反原発派と原発容認派の溝、今回の事故に対する原子力専門家同士の見解の対立、ボランティア活動に被災地へ飛び込む人とそうでない人…。震災と原発事故という「事実」とは何だか別次元のところで、それぞれの立場がこれまで内在してきた何かが、今まさに正当性を求めて対立し、別の立場に対する排他的な空気を強く生んでいるように感じられます。怖いです。日本はとても危機的な状況にあるのではないかとすごく不安になります。
私は、これまで17年間2万件のカウンセリングをしてきました。主に病気の方々の「自然治癒力」をどうにか引き出していくというカウンセリングです。病気と宿主という「無自覚の対立」、あるいはクライアントさんが持つ「対立的葛藤」を、別のものに統合・変容させていくことができたらうまくいくケースをさまざまに体験してきました。
原発のことについて、今たいへん情報が混乱していて、「何を信じたらいいのか?」という声をたくさん聞きます。でも、誰も、全体を把握することなんてできません(専門家や東電の方でさえ)。だからこそ、情報の受け手側には、無自覚に一方の情報に染まることなく、情報の中から何を選択し、自分なりにどうつなぎあわせて変容させていくか?という姿勢が問われているのだと思います。「何を信じたらいいのか?」ではなく、受け手である自分が「何を知りたいのか?」をしっかり認識することが今、すごく大事になっていると思っています。
――カウンセラー/一般社団法人自然治癒力学校理事長 おのころ心平

4月10日に控えている東京都知事選のことが気になっています。直接の被災地ではないとはいえ、今、いちばん落ち着かないのが東京都民ではないかという気がします。こんななかで、みんなが落ち着いて先のことを考えられない中で、都知事選なんてしてほしくなかった。でも、選挙は決定。現都知事は「私は原発推進派だ。原発なしでは日本の経済は立っていかない」と明言しました。これを「正論」とする人も多いです。でも、ここで、そんなふうになしくずしに、「今までのまま」の原発推進の論理に乗っていっていいのでしょうか? どさくさにまぎれる形で、「わからないから現状維持」「だって他に選択肢ないでしょ」とみんながろくに考えないうちに決まってしまうのが、とても怖いです。
今すぐすべての原発を無くせるとは思いません。でも実は、代替となる自然エネルギーの開発はかなり進んでおり、日本はこの分野に関して世界一とも言える技術を持っているのです。「もう一つの道」は、選択肢は、実はたくさんあります。メディアも、中央集権型からたくさんの発信源が繋がっていく方向へ変わりつつあります。エネルギー政策も今、そうした転換点に来ているのではないでしょうか。時間はないけれど、原発と都知事選のことをみんなで真剣に考えようという呼びかけ「いちめんのなのはな」も有志の手で始まりました(http://lapin.info/nanohana/)。明確に「反原発」でなくてもいいんです。「何がいいのか、答えを決めずに、立ち止まって一度真剣に考えてみよう。」そう呼びかけたいと思います。
東京都は東京電力の上から5番目の大株主です。今回ほど、この都知事選に「日本の未来」がかかっている、と思ったことはありません。新しいエネルギーの未来を担っていくのはいったい誰なのか、真剣に考えたいと思います。
(参考:田中優×小林武史 緊急会議(2)「新しいエネルギーの未来」http://www.eco-reso.jp/feature/love_checkenergy/20110319_4986.php
――明治大学国際日本学部 藤本由香里

震災が起こる前の日本と今の日本の違いを考え続けています。
自分に余裕があるときは、専門性、理論を声高に唱えたりする
ことに時間を費やしていただけなんだろうかと自問するばかりです。
現場に行って役に立てることが自分にはたくさんあるし、でも、現場に
行って亡くなった方でも一人でも多く尊厳のある姿で弔うことをしたいと
考え、現地に入ろうかと考えた。それを要望してくれる人もたくさんいた。
これまでの自分の経験や学びの中で得たものをどの様に生かしていく、
それを続けていくかをとことん考えています。
つながりの中の要にどうなるか?
これを考えています。
とことん考え抜いて、行動を起こそう。
――エンバーマー 橋爪謙一郎
(エンバーマーとはご遺体の防腐衛生処置の専門家のことです)

自分は、東京に住み、32歳で、医療の職についている。田口ランディさんとは大学生時代からの付き合いで、長い付き合いはランディさんへの個人的な信頼感を深めるのに十分な時間で、彼女がすることはなるべく直接足を運んで見聞きして学び取るようにしていた。そして、「ダイアローグ研究会」にも誘われた縁で、ここ1年は<原発>と<対話>をふたつの焦点とした楕円体のようなテーマを勉強していた。
そして、今回の震災とそれに続く原発の問題が起きた。
自分は活動家でもなく、思想家でもなく、人格者でもない。あの日以来、被災地からの情報におびえ、混乱し、戸惑い、うろたえて日々を過ごしているひとりの人間でしかない。ただ、プロの医療者としての倫理観は保っている。いつも以上に心を平静に保ち続けることを自分には課して、辛い時こそ患者さんには笑顔で接したいと思っている。そうは言うものの、仕事の合間合間に被災地のことを思うと、またそのことで頭がいっぱいになる。深い海の底のようなかなしみを感じる。そして、自分が東京という安全地帯にいることの罪の意識のようなものさえ感じる。自分は果たして何をしているのだろうか、と。
ただ、自分はこうして生きている。だから、こうして書いている。
自分が生きているからこそ、病いに苦しむ人に寄り添うことができる。医療では、相手のいたみやかなしみに共感して「同じ」目線で見ながら、それでいて「違う」目線で見ているという節度も持たないといけない。主観と客観という矛盾する心理状態を、矛盾のまま抱えながら前を向いて歩くことで、医療行為は成り立っている。
今回のことは、ただただ、かなしかった。個人的にかなしんで、かなしんで、かなしみ抜いた。かなしみのあとで感じたことは、「人間が生きていることはなんとすごいことだ。」という当たり前のことだ。これは日々の医療の行為でも感じていたはずなのに、忙しいことを言い訳にして正面から向き合わなかったために、深い場所で眠らせていたことだ。
自分は希望と絶望の間で揺れ動くひとりの臆病な人間でしかないけれど、自分がこうして生きているからこそ、恐怖におびえ、怒り、絶望できる。そして、怒りの矛先が偏見や決め付けではなかったかと反省し、わかりやすい善悪の物語に自分が改変してなかったかと反省し、また心を落ち着けて元の生活や仕事へと戻ることができる。光と影が同時に見えだすと、絶望が反転して希望さえも感じることができる。
人間が生きているからこそ、お互いを批判し合い、高めあい、低めあい、尊敬しあい、責任をなすりつけあい、協力しあうことができる。
自分は医療の職についていて、お互いが生きていることを確かめあうような仕事をしている。もちろん、死は敗北なんかではなくて、生と死は表と裏で光の当て方に過ぎないと言えるかもしれないけれど、そんな文学的な比喩を軽々しく言うことが許されているのも、自分が、いま生きているからだ。そして、これを読めるのも、いま生きているからだ。
いま生きているということを改めてしっかり考えていきたい。いま生きているひとたちと共に、生きている未来を考えたい。
職業柄、特に健康のことが気にかかるけれど、自然のこと、エネルギーのこと、生活のこと、水や食事のこと、環境のこと・・・あらゆる現在やあらゆる未来のこと。今回の出来事に対して考えるべきことは、言葉と同じ数だけ見出されるかもしれない。それぞれに長い時間がかかる。体力が必要だ。 自分がいま生きているのだから、サイズやスケールにこだわらず、自分が考えたことに対しても卑屈にならず、生きている限り考えていきたい。何らかの関係性を保ち続けたい。 
お互いが生きていることを確認し合う医療の仕事をしている人間として、より強くより深く、いま考えていることです。
――東大病院循環器内科医師 稲葉俊郎

身体は北陸にあるけれど、気持ちは東日本、という毎日です。
原発事故の状況はもちろん気になる。土地を追われた人たちの今後も。でも、いちばん考えるのは子どもたちのこと。いまの小学生が私くらいの年になったときに、日本は、世界は、どうなっているのか。原発事故について考えるとき常に次世代への責任を感じます。
便利な生活=原発に依存した生活。それが持続可能な暮らしのあり方ではない、ということはもはや明らか。では、生活をどうあらためていくべきなのか。どんな〈暮らし〉をイメージしていけばいいのか
それを考える手だてとして、〈便利な生活〉を求める過程で失ってきた〈暮らしの知恵〉とか〈身体知〉に目を向けようと思う。失われた生活の流儀を学び、いまの生活に取り入れてみること。自分の食べるものを自分で採ったり育てたりする術を身につけること。そこから始めよう、と子どもたちを見ながら考えています。
――金沢大学 結城正美

・津波にさらわれて瓦礫の山となった陸前高田、塩釜、気仙沼など被災地の映像を見て、写真でしか目にしたことのない東京大空襲の焼跡を思い浮かべました。
・我々はいま、あらたな「戦後」に直面しているのではないか。あのすべてが焦土と化した地から、それでも日本人は復興してきた。とすれば、戦時中を、戦後を生きた人たちの無頼な体験が、いま活きてくるのではないか。焼け跡派の野坂昭如はどう言っていた? 戦中派虫けら日記の山田風太郎は? 麻雀放浪記の阿佐田哲也は? そうだ、戦時中に「百姓の糞意地」で書き続けた作家といえば太宰治だとばかりに、『右大臣実朝』などを引っ張り出してきて、節電で暗い家の中について「ヒトもイエも暗いうちは滅びぬ」だ、などとめちゃくちゃなこじつけをしていました。
・さらに放射能汚染で生命の危険にさらされながら作業を続ける、東電、協力企業、自衛隊、消防隊などなどの隊員の方々の報道を見るにつけ、ほんとうに頭が下がる思いながらもこれは日本軍の特攻作戦では、という思いを禁じ得ませんでした。彼らを再び犬死させるようなことはあってはならない。彼らの命が危ぶまれるくらいなら、汚染された水を海に流してもいいのではとも。
・一方で、いますぐ「戦地」に向かえぬ自分の無力さを思ったこともたしかです。自分ははたしてあの放射能に汚染された現場で、多くの人たちのために尽力することはできるのか。たいがいの人がそうしたように、自分もそのように自問してみました。正直なところ、放射能は怖くはない。でも、家族のことを考えれば軽率なことはできないというのがその答え。
・島薗先生がご自分のブログで「私のような60歳前後の世代は放射能を恐れる理由が少ない」としたうえで、だから家族は疎開させたうえ一人でさまざまな支援活動にとりくみたい旨のことを書かれていましたが、同じ感触を持っています。子育てを終え、家族に対する最低限の責任をはたした年齢になってしまえば、自分の命をそれほど惜しむ必要ななくなる。
・自分の人生が「あとはおまけみたいなものだから」とはやく言えるような段階になり、躊躇なく身を捨てることができるようになったら、そのときは心おきなく一兵卒としてクリティカルな現場に身を投じることができるかもしれない。
・よし、わかった。後のことはおれたちがなんとか始末をつけておくから、若いおまえらは早くこの地を離れて新天地をみつけてくれと、後続の世代のために言うことができるような自分でありたい。おそらく避難エリアである20~30キロ圏内に、説得を受けながらも動こうとしない高齢者たちも、自分の身になにがあっても最後まで見届けてやるという「糞意地」のなせるわざなのではないかと察します。
・だからいまはまだ言わなければならない。「子供たちをよろしく」
――技術評論社編集者 安藤聡

原発推進派と原発反対派は長年対立してきたわけですが,これは「どちらが正しいか」という問い方をしている限り,信念対立に足をとられて前に進めません。そういう場合,それぞれの関心の所在を見定めていくことが有効です。「原発は止めない方がよい」という人は「原発停止による経済の停滞を起こさないこと」に関心があるはずです。経済の発展は震災復興を下支えするものになります。他方で「原発は即時止めるべき」という人の関心は「安全の確保」にあるはずです。
このように,ある関心からみるとそれぞれ妥当なものなのです。それではこうした背反する考えを調停するには,どのように考えればよいのでしょうか。
それは「原発は是か非か」ではなく,双方の関心を織り込む形で,「原発を無くしても問題が生じないようにするにはどのようにすればよいか」といった形に問い方を抜本的に変えるという点が,最も重要なポイントだと考えてます。
 こうした構造構成主義の観点から「ひろくわかりあうための原発論」について論じていますので参考にしていただければと思います。
→ http://p.tl/etHN
――早稲田大学商学研究科 西條剛央

巨大津波と原子力事故の衝撃は続いています。他方、未来社会の設計論もすでに盛んです。原子力と社会の関係、国際政治とエネルギー政策、現代社会の脆弱性、科学技術者の倫理……、考えるべきテーマはいくつもあるし、私なりに漠然とした想念はあります。
変わるべきものと変わりえないもの、についても整理したいと思います。
でも私は、今はまだ,先のことを俯瞰的には論じる立ち位置にいられません。自分の根っこを自分で切り捨てて移り住んだ人たち、移り住まずにわが家、わが町で生き抜こうとしている人たち、放射線がわが身を刺す現場で不休の労働に挺身する人たち、そして押し寄せる津波の日に姿を消した友。
それらの方々を想いながら、考え続ける、迷い続けることしか、まだできません。それでも,ダイアローグ研究会が、対話の場が、とても大切だということは、変わっていませんが。
――東北大学 北村正晴

わたしはとっさに東京を捨てた。咎められた。逃げるのか、と。
私はいま、(愛媛の)実家に居る。避難という人生について考えている。人生の目標設定はあるが、社会的年齢制限という焦りが津波のように押し寄せてくる。田舎は仕事がない。結婚もしない、会社に所属もしない、貯金もない、居場所がない。それでも、被災地で財産・人・場所を失った人の気持ちを思い、なけなしの金を募金する。被災地へ空白を埋めるための気休めになる億単位の金を寄付する力はわたしにはない。わたしは地震後、無力を痛感する。
被災地の避難をする人々の中にも、格差がある。原発に近いと変動する放射能の濃度を恐れ物資が行き届かず、家族や家を失った人に比べると私の被害なんて、と遠慮する。テレビを見ながら無力感に苛まれながら、何もできない自分にほとほと呆れるのはいい加減に止めたい。症状に差はない。何度でも、人生に押し寄 せてくる多くの津波に立ち向うしかない。
映画に津波の恐怖を洗い流す力があることを信じ、続けていく。
――映画監督 小野さやか

私は、日本社会が危機的な状況になるたびに多動になる。
それは、命の格差を思い知らされるからだ。
安否も連絡も取れない人達がいる。わかっていることは、そこで生活をしていたということだけ。異国の地で事切れることの無念さ、ことばのわからない社会で災害にあう怖さ、そして、社会的緊張感からくるパニックと振りおろされる拳への絶望感。
最初の数分の地震を生き延びても、それから100時間の中で起きる社会的パニックで生き延びても、1000時間を過ぎたら、救済の差別がある。身体の死を免れ、心の死を免れても、最後には差別、国籍条項という社会的死がそこにはある。私の手は、どこまで届くだろうか。私の手をつかめる人はどれほどいるだろうか。原発という社会的パニックは続いている。日本社会の緊張感の下で恐怖に震えている人たちがいるその横で、金を持つものと原発から離れた距離の人たちはもう飽きている。垂れ流される公共放送の1回でもいい、「ここに住む、すべての人の命は大切だ」とコメントする政治家がいたのか?頑張れニッポン!の中に、私たちは入るのだろうか?底辺労働者として奴隷労働を強いたあげく人間をゴミクズのように捨てた日本の歴史を繰り返してはいけないだろう?
――人材育成技術研究所 辛淑玉 

ここ数日ぼんやりしているので、ぼんやり考えていることをそのまま書きます。
巨大な発電装置は、豊かに生きたいという人間の欲望が生み出したものです。
そこで起きた事故について、電力会社一社に責任を求めるのは無理なのではないかと思います。本来ならわたしたちがよく考え、答えを提示すべきところなのですから。わたしたちが答えをみつかられなかったから、答え探しも電力会社に押し付けているように思えます。連日おこなわれている東京電力の記者会見では、マスコミやフリーのメディア人が早口で東電幹部に詰め寄っていますが、いくらそこを追求したところで、つきつめるとそこには答えはないのだと思います。なぜなら、答えは、それを観ている私たちの側にあるからです。むしろ誰も責任を問わず、ベストなやり方を探すための新しい組織を早急につくるべきなのではないか。と思います。そして率直に国民に意見を求めて欲しい。
最も気になっているのは、「状況が悪くなってきているのに、報道は減ってきていること」です。もちろん今でも多くの「記事」が飛び交っていますが、その中身が希薄です。もはやメディアにも頼れないのかもしれません。
どう情報を得るか。どう話し合うか。どう判断するか。
すべて私たちが自分たちで決めていかなくてはなりません。
とにかく、考え続けることをやめないこと。それが今、最も大事だと思います。
――ガジェット通信発行人 深水英一郎

巨大な自然災害と進行中の原発事故が私の中でも「想定外」だったと思います。自分が所属する新聞などメディアは誰のためにあるんだろう。何のためにあるんだろう。 こんな次々に起きる混乱、どうやって記録すればいいんだろう。
災害の発生時はふわふわした雲の中で空回りしながら走っているような感じがしていました。この前に皆さんと話してからも、まだまだ余計な力が入るせいか、夜はすぐに寝付けません。
(一部の方には繰り返しになりますが)取材を通して知った、福島県南相馬市の学者さんのお話。原発から二十三キロの「屋内退避圏」に一家六人が残っていると話しましたが、記事になって数日後、老夫婦二人だけ残り、高齢の母と息子夫婦、孫娘さんは青森の兄さんの元に引き取られたそうです。
その一方で、一時は避難した人たちが少しずつ町に戻ってきているといいます。町の外に避難することが、必ずしも個人の生活にとって危険回避になっていなかった。 町に戻ってきた人たちが、店を開けたり、往診を始めたりと、さまざまな行動が再び始まって。
学者さんいわく、「少しずつ新しい活気が生まれています」と。なんと、朝令暮改の「指示」を出してる政府には耳の痛い話です。町に残っても、離れても、どちらにもリスクが伴う。完璧には事は運ばないことがある。
だけど、一斉に避難者の波に身を託して、個人のそれまでの生活を捨てる人が大勢いる。
国って個人にとって何なんだ?って、考え込んでしまいました。
学者さんは国が公表する「環境放射能測定値」を毎日確認しながら、まだ大丈夫だと自分の中で決めている。学者さんが国に対して怒ったのは、人の営みを簡単に否定したからだ、とそう思いました。
ランディさんが言われたように、同じ「危険情報」を受け取っても、受け止め方、認知は個人によってさまざまなんだ、と。
最初は頑固おやじが老いた母とかわいい孫娘を盾にして籠城(ろうじょう)しているかのような、一見突飛に映った行動が実は直感を頼りに、人の心に正直な判断だったのではと思いました。
わたしはこの三週間、戦時下の記者のような気持ちがしてなりませんでした。束で襲いかかってくる悲しい話に、心がどんどん窮屈になっていました。
だけど、地震津波、原発災害の取材のアプローチで、どんなときも、人間にとって、何がなつかしい、あるいは忘れたくないものか。
それを忘れず、核にして、考えてみたい。 
もう一人、福島原発のある双葉町から埼玉県の「スーパーアリーナ」に逃れた東電の下請けで働く家族のおじさんが、
「もう戻れる故郷がない。故郷を失ってはじめて、あそこがどんなに懐かしいか分かった」と言ってました。
原発の中がどうなっているのかが分からない。
不安の生活がもたらす悲しみも、政府発表の「数値」からはなかなか見えない。無差別に人が殺された戦時下の空襲の日、沖縄戦での犠牲者と重なります。自分は何をしたらいいんだろうと、やっぱり身体を動かしながら考えていくしかないのではと思っています。
――東京新聞記者 佐藤直子

 福島一号原発で作業をしている方たち、その周辺に居住している方たち、さらにその周辺で農業を営む方たち、被災して避難所にいる方たち、東京の方たち、そして神奈川のはずれに住んでいる私……。距離のへだたりは大きく、自分が離れた傍観者でしかないことへの安心と同時に、安心している自分に対する罪悪感はどうしようもありません。なにを言っても絵空事でしかなく、自分がとても軽くなったようなふわふわした感じがずっと続いています。
いままさに日本で起こっていることの現実の重さと、私の日常のバランスがうまく取れなくなっているのです。自分と自分の家族のために安全な環境を作らなければならない。同時に、自分という我を離れて社会全体のことを考え行動しなければならない。その相克に皆が悩んでいるのを感じます。友人との会話に救われています。たくさんの方の意見を聞きました。そして、考え続けています。自分がどう生きたらいいのか。なにを選択したらいいのか。考えるなんて無駄なことじゃないかと思っていたけど、考え続けていたことは、すぐ行動に移せる。思考は行動のための準備なのだと感じます。日々考えていたことが、今この瞬間の行動につながっていくんだよね。考えることに無駄なんてないんだ……、いまはそう思う。
――作家 田口ランディ

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深水英一郎(ふかみん)

深水英一郎(ふかみん)

トンチの効いた新製品が大好き。ITベンチャー「デジタルデザイン」創業参画後、メールマガジン発行システム「まぐまぐ」を個人で開発。利用者と共につくるネットメディアとかわいいキャラに興味がある。

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