広くわかりあえる疎開論とは

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西條剛央さん

※この原稿は西條剛央氏よりご寄稿いただいたものです。
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●広くわかりあえる疎開論とは
早稲田大学大学院専任講師 西條剛央

疎開をした方がよいとか,留まるべきだとかいろいろな意見があるので整理してみたいと思います。

まず内田樹さんが「疎開のすすめ」を書いています。
https://getnews.jp/archives/105250

これは基本的に主被災地の人を対象に書かれたものと考えた方がよいでしょう(ないとは思いますが東京の人(1000万人以上)が何割という単位で動いたらそれこそ大変なことになります)。

主被災地の人がずっとそこに居続けることは,現地の限られたマンパワーや資源を考えると得策ではない。移動できるひとは適切な場所に移動した方がよいということでしょう。

特に宮城,福島,岩手,茨城といった主被災地の中でも被害の大きかった地域は,今後も余震などが起こる可能性も比較的高いことを考えても移動できる人は移動しておくというのはよいと。

余震や原発といった物理的な危険だけみれば大丈夫というボーダーラインのエリアも,「心」を中心にみれば,心労やストレスは想像以上に蓄積されており,また遠方にいる家族もかなり心配していると思われることから, 気軽に安心できるところに旅行だと思って移動して心身の疲れをとればよいと思います。

落ち着いた頃にまた帰ってくればよいだけのことなのだから,これは疎開というより,心の療養やリフレッシュのため旅行だとでも思って移動したらよいでしょう。

他方で,ホリエモンはTwitterで東京は安全なのだから疎開するのは杞憂野郎だとか,帰ってくるなとかいっていました。

彼は確かに言い過ぎのところがありますが,口が悪いが気骨のある田舎の親父としてみれば,その真意を汲みやすくなります。

彼は東京が経済の要なのだから,復興のためにもそこで働いている人は働くべきだと言いたいのだと思います。東京の社会人はがんばろうぜと鼓舞することが,経済人としての彼の役割だと思っているのかもしれません(実際,今回の震災において終始一貫してぶれることなく「東京は安全だ」と強調し続けた彼の果たした役割は相当大きなものだと思います)。

僕も現時点で基本的には東京は安全だと思っているので,社会人はいつも通り働くのが復興への貢献になると思っています。

ただ,ホリエモンは地震については「いつでも起きる可能性がある」といっていますが,これはふだんより起きる確率は確実に高いため,東京にも相応のリスクはあると考えるのは妥当だと思います。

今は落ち着いてきていますが静岡震度6が起きたときは,東海と連動したかと思い,僕もいよいよ東京もくるかもしれないと思いました。

そうならなかったのは結果論であって,こういう状況で確かなことをいうことは誰にもできないのです。

だから小さな子どもがいる家族などは,せめて子ども達だけでも安心できる地域に移動させておくことを責めることは誰にもできないはずです。

前にも書きましたが,子どもを守り,しっかり育てるというのは社会の重要な役目であり,大切な仕事なのです。

リスクが大きいと考えた場合に,そして状況が許すならば,安全なところに移動させるのは,その場に残って働く人が安心して集中して働けるようにするためにも有効なことだと僕は思います。

東浩紀さんは,西に行く人に対して「逃げる」というように批判する人たちが散見されることを踏まえて,他人に迷惑をかけない限りどこにいこうがそれを批判するのはおかしいと述べています。

これは原理論,原則論として妥当だと思います。

池田清彦先生の言葉を借りれた「他者の自由意思を妨げない限り自由に生きる権利がある」ということです(『正しく生きるとはどういうことか』)。

要するに他人に迷惑を掛けない限りにおいて,誰もが自由に生きる権利があるということです。「逃げるな」とかいって各人の行動を妨げる人がいたとしたらそれこそ「他人の自由意思を妨げている」ことになります。

したがって,この原則に反しない限り,留まろうが疎開しようが基本的には責めてはいけない,ということになります。

ただし,人間には「こころ」がありますから,この原則を理解していたとしても,心理的には嬉しいとか困るとか心ぐるしいとか安心できるとかいろいろあります。この辺は別の問題として考慮する必要はあるでしょう。

いずれの意見も特定の観点から妥当だということがおわかりいただけたかと思いますので,以上をまとめてみます。

原則的には,どこに移動してもいいしそれを逃げるとか責めるのはおかしいよね,ということはベースにおいておき,共通了解しておきます。

その上に,特定の関心に支えられた各論を位置づける必要があります。

すなわち「復興を下支えするための経済を廻す」という関心からすれば,「安全なはずの東京人は留まって経済を廻すべき」というホリエモンのような考えは妥当ということになります。

また,「主被災地の限られた人的・物的資源の確保や,主被災地のリスク回避」という関心からすれば,「可能な人は疎開をしてもよいのではないか」という内田樹さんのような見解も妥当ということになります。

これらをまとめれば,どこに行こうが原則自由だけど,安全圏にある東京人は留まって経済を廻しつつ,主被災地の支援コスト低減やパニックリスク回避の観点から疎開したりするのはさしあたり合理的だよね,ということになります。

ちょっと言い方をかえると,安全圏にいる東京社会人がそこで働く気概を持つことは立派でそれは本当に疎開すべき人のためになるし(でも押しつけちゃだめね),壊滅的な打撃を受けた地域の人は疎開を考えてもよいかもね(これも押しつけちゃだめね),ということです。

ここでは内田さん,ホリエモンさん(さんをつけるとやや違和感があります(笑)),東さんという三者を通して,いわば疎開論の類型を信念対立に陥らない形で融和させてみました。

さらに踏み込むと,疎開の話は,原理論や,経済発展,リスク回避といった「合理的側面」だけでなく「こころ」の部分も考慮して考える必要があります。

僕も東電の説明や原発状況が二転三転し,リスクが不透明な時期は,仙台の実家の両親に「ライフラインも絶たれている以上,そっちに今いても何もできないのだから,万が一の事が起こる前に一度こちらに来ておいてもよいのではないか,何もなければ帰ればよいのだから」と勧めました。

そのときは行かない,というだけでしたが,翌日電話で「やはり両親や親族を置いて自分たちだけでいくことはできない」といっていて,それもそうだなと思いました。

それは諦めるということではなく,今のところ大丈夫だと思える限りは留まりたいということなのだと思います(本当にいざとなったら北の親戚のところにいくといっていて,それならと納得しました)。

良かれ悪しかれ多くの日本人はいわゆる「損得」を中心とした合理だけではなく,「感性」で判断しているところが大きい。のです

古典経済学の人間像は,経済人と呼ばれていて,人間は客観的にみて「得」する行動を選択するとされてきました。

これは現在の経済学でも大きく崩れつつありますが,殊日本人ということになると,この人間像はあまりに彼らの行動を理解するにはかけ離れすぎています。(アメリカにとって太平洋戦争中日本人の行動が到底理解不可能であり,アメリカ兵の恐怖心を生んだのは,この人間像の違いに起因するところは少なくなかったと思います)。

リスク回避という観点からみると,相対的にリスクが高くライフラインが絶たれていて何もできないにもかかわらず,そこに居続けるというのは不合理な行動にみえます。

しかし,両親や親戚や地域の人々とともに生きるという関心が強ければ,それは妥当な選択ということになります。

(システマのインストラクターの北川さんが,システマは生き延びるという関心からみるとよくできている原理的な体系だけど,日本の武術は必ずしも生き延びるということを最上位においていない,生き延びることよりも大事にしていることがある,だからこそのおもしろさがあるというようなことをおっしゃっていて,なるほどと思ったのを思い出しました。)

また傷ついた故郷を回復するという関心からすれば,できるだけそこに留まり続けてライフラインが復旧し次第活動しはじめたいと思うのも自然なことです(これは昨年度のMBAの卒業生で仙台で被災した笠間さんのメールからひしひしと伝わってきました)。

だからどんなに疎開を勧めても,壊滅的打撃を受けてしまった地域のコミュニティがまるごと移るということはありうるかもしれませんが,そうじゃなければ多少不利益があっても,生きてきた土地で仲間と生きようとするでしょう(一応これは「心理的コスト」という観点から一応経済学的にも説明できますが,それはまたあらためて)。

このことは実家の両親や親戚から教えてもらいました。それが「故郷」で長年生きてきた人の「気持ち」なのだと思います(本当に致命的に危険とかなれば話は別でしょうが)。

それは外国からみれば,リスクがある日本に留まってなぜ海外に逃げないのかと思われたとしても,僕らはいつ強い余震がくるかもしれない日本に居続けるのと同じことなんだと思います。

そうやって世界中の人々は,他からみればなんでそんな寒いところに住み続けるのだろうとか,なんで砂漠で暮らし続けるんだろうとか,なんでそんな地震頻発地帯で生きるのだろうとか思われるところで,粛粛と生きていくのでしょう。

今回のことで,自分の大事にするものや価値観に沿って生きるという当たり前のことが,よくわかった気がします。

よほど犬死となるような状況は別として,基本的にはその生き方に反してまで生きたいとは思わない。

そこには選択の余地があるようで,ないのだと思います。理論的にはあるけど実際はないのです。

同じ状況に放り込まれたらやはり同じ選択をするでしょう。

結局,“生きる”というのはそういうことなのだと思います。

なお,僕は実家が主被災地の一つである仙台市です。

今も大好きな伯父さんの安否がわからず(無事を信じていますが),仙台市の消防局で災害予防を専門としている兄からも時間の経過とともに明らかになる被害の甚大さを聞いて,胸を痛めています。

心理学や科学哲学(構造構成主義)の双方の専門性から提言できることがあると思い,今はその役割を果たそうと思っています。

以下に最近書いた記事の中で,ある程度一般性がある知見として参考になるかなと思うものを紹介しています。

地域ごとに状況は異なり,また現在刻一刻と変化しているため,そのまま受け止めるのではなく,それぞれが自分の状況に照らして参照していただければと思います。

・デマと事実をどう考えればよいのか?(3.18.)→http://p.tl/SeNF 

・ 今は「こころ」を中心に考えましょう(3.18.)→http://p.tl/23_P

・この未曾有の震災をどう受け止めればよいか?(3.17.)→http://p.tl/4_el

また以下は師匠の池田清彦先生が,東日本大震災克服ために今後政府がとるべき政策について提言しています(3.13.)(子ども手当については一律にばらまくのではなく本当に困っている人にだけ「手当」すればよいと考えています)。
 http://ike-64.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-565c.html

(早稲田大学大学院専任講師 西條剛央)


記事中リンク)

“疎開”のすすめ (内田樹さん)
https://getnews.jp/archives/105250

デマと事実をどう考えればよいのか?(3.18.)
http://p.tl/SeNF 

今は「こころ」を中心に考えましょう(3.18.)
http://p.tl/23_P

この未曾有の震災をどう受け止めればよいか?(3.17.)
http://p.tl/4_el

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