ダホメ王国の国旗が可愛い

ダホメ王国の国旗

皆さんはかつて西アフリカに存在したダホメ王国という国をご存知でしょうか? このダホメという国は、タレントのゾマホン・ルフィンさんの出身地として知られる現在のベナン共和国がある場所で17世紀から19世紀にかけて繁栄した国家です。16世紀末にガニヘス王が兄弟間の争いを制して統一国家を建国してから12代の国王を輩出し、特に第9代のゲゾ王(在位:1818 – 1858年)の治世が最も繁栄したとされています。そのゲゾ王の治世に使われていたのが、この王冠をかぶった象をデザインした可愛らしいダホメ王国の国旗でした。

 

しかし、ダホメ王国はこの可愛らしい国旗のイメージとは裏腹に、奴隷貿易で莫大な利益を上げた負の歴史でも知られています。16世紀から19世紀にかけて、現在のトーゴ共和国からベナン、ナイジェリアの沿岸は“奴隷海岸”と呼ばれていました。大航海時代にアフリカへ到達したヨーロッパの列強諸国は現地の王国に旧式の武器を払い下げて互いに争わせ、負けた方の軍勢の兵士を捕虜として捕らえさせて主にアメリカ大陸のタバコや綿花の農園で働かせる奴隷として輸出していたのです。ダホメはゲゾ王の治世に周辺の国々へ戦を仕掛けて捕らえた捕虜を奴隷として輸出し、莫大な利益を上げ、国内人口約20万人の中に貧民はいなかったとされています。

 

この当時のダホメは女性優位の社会だったことでも知られています。ヒュー・ロフティングが1923年に発表した『ドリトル先生の郵便局』にも登場することでよく知られているダホメのアマゾン軍団は、女性のみ5000人が兵役に就き過酷な訓練で鍛え上げられた部隊として周辺諸国に恐れられていました。また、市場での値決めも決定権は全て女性が握っており、市が開かれる日の朝一番に訪れた女性が商品の価格を自由に決めていいことになっていました。

 

19世紀末、アゴリ・バボ王の治世を最後にダホメはフランス軍の侵攻を受けて滅亡し、フランス領ダオメ(”Dahomey”のフランス語読み)植民地となったのでこの国旗は使われなくなりました。その後、20世紀後半の1960年にダオメ共和国として独立し、1975年からはベナンへ改称して現在に至っています。

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