広くわかりあうための原発論とは?:賛成派と反対派の壁を越えて
※この原稿は西條剛央氏よりご寄稿いただいたものです。
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●広くわかりあうための原発論とは?:賛成派と反対派の壁を越えて
早稲田大学大学院商学研究科専任講師 西條剛央
「原発とんでもないことになってしまった…」と1億何千万人もの日本人が思っているはずです。
今や世界中で “NO MORE FUKUSHIMA! ” が叫ばれています。
原発推進派と原発反対派は長年対立してきたわけですが,3.11.以後原発に関する議論は活発になることでしょう。
ただし,これは「どちらが正しいか」という問い方をしている限り,信念対立に足をとられて前に進むことが難しくなってしまいます。
こういう厄介な問題を乗り越えるために「社会構想の方法」があります(『持続可能な社会をどう構想するか:構造構成主義研究4』の鼎談参照。期間限定で無料ダウンロード可能です→http://p.tl/VSjm)。
ここではそれに沿って原発問題をどのように考えていけばよいのかスケッチしてみたいと思います。
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いまもって時々刻々と原発を巡る状況は変化しています。したがって放射能汚染そのものについて確固たることは誰にもいえないのが現状です。
しかし,確実に言えることもあります。
今回誰の目にも明らかになったことは,「絶対に安全などということはない」ということです。
「絶対に○○ということはいえない」という命題は,哲学的にはもはや「常識」といっても過言ではないほど一般的な命題です。
今回はそのことが多くの人にとって実感をもって確信されてしまったのです。
これは「想定外のことは常に起こりうる」と言い換えることもできます。
ここから導かれる帰結は,壊れても大丈夫なものを作らなければいけない,ということです。
原発推進派の人は「原発があっても問題が生じないようにすればよい」と考えるかもしれませんが,必ず想定外のことが起きるのですから,壊れたときに甚大過ぎる被害が生じてしまうものは作ってはダメだということです。
内田樹さんが先日の養老先生との対談で,「今起きていることは問題ではなく答えなのだ」という養老先生の発言が最も印象に残ったといったことをおっしゃっていましたが,これはそういうことなのだと僕は勝手に理解しています。
「持続可能な社会を構想する方法」を簡単にいえば,「人類は幸せを担保したまま持続可能な社会の実現」という目的に照らして,有効な方法を採用するというものです。
その目的に照らせば,原発は「幸せを担保したまま」というところに抵触します。
放射能で汚染された土地で幸せに暮らせる人はいないためです。
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そのため,原発は極めて危険ということに関してはおそらく共通了解が得られるところだと思います。少なくとも日本でこれ以上原発を増やした方がよいという議論が力を持つとは考えにくいです。
難しいのは,今すぐに安全性を確保するために他の原発もすべて停止すべきかどうかという問題です。
この場合,原発を止めることのデメリットも考える必要があります。
復興の下支えになる経済発展という点でさらに不利になる,ということもありますが,「幸せを担保したまま」という観点からみても問題があるのです。
仏保健省によれば,2003年の猛暑による死者は8月1日から20日までの期間で1万4802人に達しました。この期間,死者全体の数は,例年同期の平均に比べて60%,特に75歳以上の高齢者は70%増加したそうです。
ある程度冷房を抑えることには意味がありますが,節電を強調するあまり震災の二次被害になっては元も子もありません。そうした事態は避ける必要があります。
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信念対立が起きるとき,それぞれの関心の所在を見定めていくことが有効です(これは構造構成主義の関心相関性という原理の応用です)。
「原発は止めない方がよい」という人は,「原発停止による経済の停滞を起こさないこと」に関心があるはずです。
経済の発展は震災復興を下支えするものになります。また先に触れたように無理な節電によって二次被害が生じても本末転倒です。
こうして考えると,原発を止めないという考えも妥当ということになります。
他方で,「原発は即時止めるべき」という人の関心は,安全の確保にあるはずです。
今他のところで大地震が起きて,福島と同じような事態が起きたらそれこそ取り返しがつかない,そうなる前に止めるべきだと考えていると思います。
これもまた妥当な考えだと思います。
このように,ある関心からみるとそれぞれ妥当なものであることがわかるでしょう。しかし逆説的ですが,こうした場合にこそ信念対立が起こりやすいのです。それぞれが正当性を主張するできるためです。
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ではこの二つの原発に対する背反する考えを調停するには,どのように考えればよいのでしょうか。
ここでは問い方を根本的に変える必要がある,ということがポイントです(こうした場合,答えが出るように適切な形に「問い方を変える」というのは哲学が鍛えてきたとても有用な方法なのです)。
つまり「原発は是か非か」ではなく,双方の関心を織り込む形で,「原発を無くしても問題が生じないようにするにはどのようにすればよいか」といった形に問い方を抜本的に変えるという点が,最も重要なポイントなのです。
「原発は止めない方がよい」というひとも,原発の危険性はもはや否定することはできないでしょう。
原発を止めるにこしたことはないが,止めてしまったならば他のところで大きな弊害が出るため賛成はできないと考えている人が多いと思います。
しかし,原発を無くしても問題が生じないとしたらどうでしょうか。おそらくそれなら反対しないと思います(原発促進を利権絡みで進めている人は断固押し進めようとするかもしれませんが,ここではそういう人は置いておきます)。
したがって以下では,原発を無くしても問題が生じないようにするにはどのようにすればよいか,考えていきましょう。
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僕の考えではポイントは以下の3点です。
1)我々にはどれだけの電力が必要なのか現状の把握
2)経済を停滞させないための節電方法の開発
3)原発に代わる代替えエネルギーの充足
持続可能な社会の構想原理は,「人類は幸せを担保したまま持続可能な社会の実現」という目的に照らして,有効な方法を採用する,というものでした。
それに沿って有効なアイディアを採用していきましょう。
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まず,1)の現状把握という点で,持続性学を専門とする名古屋大学の先生が「原発を全部止めたらどうなるか」という興味深い議論をしているので,参照しながら議論を進めていきましょう。
http://blog.goo.ne.jp/daizusensei/e/4fdfb6bead84198c5ecbd05030cc142d
2009年の10電力会社の年間総発電量のうち,原子力発電による発電量はその29%にあたる278TWhだそうです。
そして原子力以外の発電による発電量は,年間総発電量から原子力発電による発電量を引いた957-278TWh=679TWh。
これは1985年の総発電量584TWhよりも多いそうです。また,ピーク電力についても,2009年の状況では原子力発電所をすべて止めるとピーク時に171-134GW=37GW=全体の22%が不足することになるので,ピーク時の電力消費の約2割を節電すれば,原子力発電所がなくてもピーク電力をまかなえると論じています。
以下がその著者によるまとめです。
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まとめると、総発電量で約3割、ピーク電力で約2割の節電によって、原子力発電所を止めても他の発電所の発電設備で電力消費をまかなうことができる。これはバブル経済をやっていた1980年代後半の電力消費量にあたる。なにか問題があるだろうか?
80年代以降、人口の伸びは止まったし、産業部門の電力消費はあまり増えていない。一方、家庭とオフィスなどの民生部門の電力消費がとても伸びたのである。ビルがこれほど明るい必要があるだろうか?蛍光灯をLED照明に変え、必要にして十分な照明量にすれば、照明用の電力消費を一桁小さくすることができるだろう。
家庭では、バブル期以降、ホットカーペット、湯沸かしポット、暖房便座、エアコンなど、ようは熱のために電気を使うようになった。もちろんあれば便利であるが、それほど大切なものだろうか?
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このように考えてみると無駄をなくせば十分対応できるように思えます。他にも各家庭のアンペアを落とすというのも一つのアイディアかもしれません。
ただし,夏の猛暑期には,一般家庭にあまり無理を強いると猛暑による死者が増加する危険性はあります。
では何かよい方法はないものでしょうか。
電力は作り置きできないので,ピーク電力が問題になります。ピークの山減らしていかに平準化できるかがポイントになるのです。
この点について経済学者の野口悠紀雄氏が大変興味深い議論を展開しています。
少し長いですが,その卓見を以下ポイントだけ引用してみます。
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「緊急提言:電力需要抑制のために価格メカニズムの活用を」
http://diamond.jp/articles/-/11520
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電力需要の抑制のためには、家庭を対象とするだけでは十分でない。全体の需要の中で家庭は3分の1ほどの比重しか占めていないので、法人の需要抑制が重要な課題だ。
今年夏の電力不足は不可避であり、計画停電方式で対処しようとすれば、さまざまな不都合や混乱が生じる。(略)計画停電方式以外の方法を見出すことは、喫緊の課題である。
そこで、今回は法人需要の問題について考えることとする。
以下の議論には若干テクニカルな内容も含まれているが、要点はつぎの2つだ。
(1)計画停電方式でなく、価格で需要をコントロールする方が望ましい。ピーク時対応は家庭の場合より効果的にできる。
(2)経団連が言うように上限を決める方式では、守られない可能性もある。違約金のシステムを活用すれば、上限を強制することができる。
なお、法人需要にどの程度の削減を求めるかは、今後の供給能力の回復を見つつ、家計用需要との適切なバランスを考慮して決定すべきだ。それに応じて、料金体系の具体的な形を定めるべきである。
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要するに,ピーク時の電気料金を高くし,上限を超えた場合には違約金を高く設定するといったシステムを導入することで,結果として大きな割合を占める法人の需要抑制できるようにしよう,ということです。
(2)は企業への負荷が大きすぎて企業の海外流出が懸念されますが,(1)のピーク時の電気料金を高くするという方法は,経済システムを活用した極めて合理的かつ実効性の高い提言だと思います。
これによって猛暑期に一般家庭に過度な我慢を強いて死者が出るリスクをかなり低くすることもできるでしょう。
緊急的にはこうしたアイディアを組み合わせることでうまく乗り越えていけると思います。
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僕らは明らかに無駄遣いをしていました。それは今回の計画停電をやってみて,案外できるじゃないか,街もこのぐらいの明るさの方がいいと思った人も少なくないと思います。
しかし上記の方法は,法人に多かれ少なかれ負荷をかけることにになるため,国際的な競争力の低下が懸念されます。
したがって,長期的には原発に代わる代替えエネルギーもやはり必要になると思います。
特に石油に依存している現在の状況では,経済状況が良くなってきたと思っても,中東のさじ加減一つであっという間に不景気になってしまいます。
この状況を打開しない限り,日本が安定的に持続的発展をしていくことも難しいでしょう。したがって次回は3)の「原発に代わる代替えエネルギーの充足」について論じてみたいと思います。
(早稲田大学大学院商学研究科専任講師 西條剛央)
リンク一覧)
広くわかりあうための原発論とは?:賛成派と反対派の壁を越えて
http://plaza.rakuten.co.jp/saijotakeo0725/diary/201103270000/
『持続可能な社会をどう構想するか:構造構成主義研究4』の鼎談
https://sites.google.com/site/structuralconstructivism/home
原発震災(7)原発を全部止めたら? – だいずせんせいの持続性学入門
http://blog.goo.ne.jp/daizusensei/e/4fdfb6bead84198c5ecbd05030cc142d
緊急提言: 電力需要抑制のために価格メカニズムの活用を|野口悠紀雄 未曾有の大災害 日本はいかに対応すべきか|ダイヤモンド・オンライン
http://diamond.jp/articles/-/11520
トンチの効いた新製品が大好き。ITベンチャー「デジタルデザイン」創業参画後、メールマガジン発行システム「まぐまぐ」を個人で開発。利用者と共につくるネットメディアとかわいいキャラに興味がある。
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