漢字は書けたほうがよいのか?

Kのブログ

今回はKさんのブログ『Kのブログ』からご寄稿いただきました。

漢字は書けたほうがよいのか?
現代人は活字離れだと言われている。私の個人的感覚では、“活字離れ”という表現は間違っていると思っているのだが……。

確かに現代人はペンを握って紙に文字を書く機会は少なくなったが、文字そのものからはそんなに離れていない。インターネットで調べものをしたり、お気に入りのブログを読んだりなど、逆に文字そのものに触れあう機会は昔よりも増えているのではないかと思う。

それに、インターネットで調べものをするには、英語力が必要になることもある。ゆえに、パソコンや携帯電話が普及したおかげで、文字そのものに触れ合う機会というのは昔よりもぐっと増えたのではないかと感じているのだ。

このように書くと、“活字離れ”ではなく“漢字離れ”だと言う人がでてくる。

確かに“漢字離れ”だと言われれば、なんとなくそんな気もする。なぜそう思ってしまうのかというと、読めるけど書けない漢字が結構あるからだ。あなたも心当たりはないだろうか? これだけパソコンが普及し、文字は手で書くものからキーボードで入力するものに変化しつつある。こうして原稿を書いていても、スペースキーを押して漢字の変換候補を選ぶことはあっても、ペンを握って書くことはない。

パソコンがなくても携帯電話があれば、外にいても漢字を調べることはできる。少々画面が小さくて、調べたい漢字によってはかなり拡大しなくてはいけない場合もあるが……携帯電話はかなり使えるツールなので、本当に便利な時代になったと感じている人は多いはずだ。そのおかげで、「読めるけど書けない漢字が増えたのかなー」と思ってしまう。

しかし私に言わせれば、それは単なる錯覚で、原因はただの勉強不足だと思う。いや、正確に言うと、単純に漢字を書いて覚える時間が少ないのである。だからといって、漢字を書けないことが悪いという気はさらさらない。

インターネットがこんなに普及する前でも、私をはじめ漢字を書けなかった人はたくさんいたし。役所や会社に提出する書類などは、国語辞典や漢和辞典を片手に、不安な漢字を調べながら書いたものだ。今はそれが携帯電話に代わっただけの話である。

それにいつの時代も、漢字を書ける人は書けるのである。漢字を書ける人は、それなりに時間を作って漢字の学習にあてている。それに比べて漢字の書けない人は、その間遊んでいたからダメなのだという人もいるが、私はそうは思わない。

現代は情報といろいろな物にあふれている。インターネットのおかげで個人の趣味志向が多様化し、それぞれ目指すべきものと価値観が単純なものさしで推し量れなくなった今。漢字を書ける人が漢字の学習をしているとき、漢字の書けない人はほかの学習をしていたかもしれないのである。

仮に、漢字の書ける人が漢字の学習をしていたとき……。
漢字の書けない人が寝ていたとしても、それは……。
「睡眠不足では人間の能力が低下してしまうから、それを防ぐために寝ていたのだ」
と言い訳しようと思えば言い訳できるのである(かなり無理があるが)。しかし、これだけ情報があふれてしまうと、そんなバカバカしい言い訳にしか聞こえないものも、なぜか信ぴょう性を持っているように聞こえてくるから不思議である。

ゆえに結論としては、漢字が書けないのならそれでよいと思う。しかし、いろいろな情報を取捨選択し、自分がやるべきことだと思ったことには努力をおしまないでほしいと願う。

執筆: この記事はKさんのブログ『Kのブログ』からご寄稿いただきました。

文責: ガジェット通信

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