マンガのカタチはこれからどうなる? 紙への希望を失った漫画家『佐藤秀峰』連続インタビュー
『寄るべき大樹』はどこにある?
これまで出版社、印刷会社、取次、書店などから成る出版システムに寄り添ってきた出版人たち。そして多くの作家たち。紙の出版が徐々に縮小していき、電子出版に移行がはじまっている今、次の”寄るべき大樹”はどこにあるのか、というのが業界人の最大の関心事だ。時代遅れの出版システムが牛耳るこの日本では電子出版の流れが完全に立ち後れている。しかしながらこのような中にあって、まったくの独自路線に突き進む漫画家がいる。佐藤秀峰。『海猿』『ブラックジャックによろしく』などのヒット作を生み出した漫画家だ。彼が『トラブルメーカー』であるというのはおそらくマンガ業界では有名だろう。業界の慣行を破り、原稿料や印税の交渉を単独でおこない、連載途中で突然の休載、出版社の移籍もおこなった。編集者による作品への干渉を一切拒絶し、原稿受け渡しの際も、一切編集者と顔を合わせない。遂には単行本のカバーイラストを描くことさえ拒否した。漫画家はネーム(漫画の設計図にあたる下書き)を描いたらまず編集者に見せるのが通例だが、それもおこなわない。スタッフと共に黙々と自分の作品を描き上げ、淡々と出版社にそれを渡す。しばらくすると雑誌に掲載され、全国の書店に並ぶのだが、それすらほとんど手にとって見ることはないそうだ。『ブラックジャックによろしく』というヒット作を生み出し、漫画家として成功をきわめたように見える彼は、今、紙の出版に失望しているという。そんな彼が先日、自身のサイトで『海猿』『ブラックジャックによろしく』といったヒット作の全巻を無料公開した。ヒット作を全巻無料で読めるとあって、多くの読者がサイトに殺到した。かつては大きな富を生み出したそれらの原稿。それを無料で公開する真意はなんだろうか。彼の仕事場でじっくり話をきいた。
登場人物
秀峰=佐藤秀峰(さとうしゅうほう。漫画家。代表作『海猿』『ブラックジャックによろしく』など)
ふかみん=ききて:深水英一郎(ふかみえいいちろう。ガジェット通信の中の人)
【本の形はこれからどうなっていくのか】
ふかみん:秀峰さんは、紙での出版を徐々に切り捨て、自身のウェブサイトでの電子出版に一本化しているように見えます。紙の出版はなくなってしまうんでしょうか。
秀峰:”本”っていうのは、情報を効率的に広めるための手段だったわけじゃないですか。でも今、ネットの方が手段として優れていて、情報を伝え易いし、多くの人に伝わりやすいんですよね。”物体化する”という喜びは確かにあります。例えば”本”というモノが目の前に現れるっていうのはもちろん嬉しいんですが、”記念”以上の価値はないんじゃないかと思うんです。
ふかみん:確かにそうですね。最近は”モノを所有すること”に対する喜びそのものが減ってきているように感じます。代替手段があるのであれば、モノはなくてもいい。昔は紙の本を所有していないと不安でしたけど、そういう感覚は薄れてきているように感じます。
秀峰:そうですね。もう、CDも買わなくなりましたね。「邪魔になる」と思っちゃうんですよね。しかも、どこに置いたかわからなくなっちゃうし。CD屋さんに行ってもジャニーズやポップスなどメジャーなものしか置いてなくて、欲しいものが手に入らないんですよね。
ふかみん:音楽は好きなんですけど、最近まったくCD屋さんに行ってないですね。そういう人が増えたからCD屋さんがなくなるんでしょうけど。本屋さんも同じ道を歩む可能性がありますね。
秀峰:今のところまだみんな”本”に価値があると信じているから、描いているものが書籍化されると嬉しい。でもこれって情報を紙に印刷しただけのもの、ってみんなが気づきはじめたら、別に欲しくなくなるんじゃないかと思うんです。それこそ「インクのにおいが」「手触りが」と言っているマニアの人たちだけのものになっていく。
【本を所有することに意味はあるのか】
ふかみん:それは確かに、実感を伴ってきてますね。
秀峰:もともとあまり本は買わないんですけど、特に雑誌はまったく買わなくなりましたね。今年1冊ぐらい買ったかな。捨てなくちゃいけないのが億劫で。
ふかみん:物質としての”本”や”CD”には意味がないんだということは、理屈ではわかっていたはずなんですけど、やっと肌感覚が近づいてきたんですよね。
秀峰:お金を払ったのに物質として手元に残らないっていうのは、以前は不安だった。
ふかみん:そして今、”モノ”は所有してなくてもいいんじゃない、という感覚はかなり浸透してきてる気がしますね。音楽に関してはiTunesが普及しだした頃から器としてのCDはいつしか邪魔者扱いされるようになってしまったし、書籍に関してもスキャナーを使って自分で勝手に電子化を進める人、いわゆる”自炊”をやってる人は本をバラバラに裁断し、スキャンして、破棄してしまっている。器としての本には価値がなくなってしまった。
秀峰:そういうのは疎かったんですが、さすがにそう感じるようになってきましたね。CDを沢山集めてたんですけど、「これ、どうしよう」って感じです。
ふかみん:昔は本やらCDやらビデオやら買って本棚に並べるのが嬉しかったんですけどね。
秀峰:ですねぇ。
ふかみん:そういうのを整理して売ったり捨てたりしてしまうと、部屋がすごく広くなる。「これ、邪魔だったんだ」と気付くと、もう戻れない。そういったモノに対する所有欲がなくなって、紙の本の出版点数が減っていくのは”既定路線”だと思うんですが、”データそのもの”、”コンテンツそのもの”に対しても、所有欲が薄れていく可能性もあって、そうなったときに、これまで”単行本”というものを購入してもらい、所有してもらうことを生業としてきた漫画家は打撃を受けるんじゃないでしょうか。
秀峰:うーん、それは逆じゃないでしょうかね。今後も『物語』自体は必要とされていくと思います。
ふかみん:かつて”単行本”を所有することで得られたような喜びや安心感が、もし今後なくなるとしたら、要は「雑誌だけでいいや」ということにもなってしまうのでは。
秀峰:雑誌も棄てるのが面倒だし要らないものになっていきますよ。だから、残るのは”棄てなくてもいいもの”になるんじゃないかと思います。
【膨大な労力をかけた漫画作品を無料公開する意味】
ふかみん:今回、『海猿』と『ブラックジャックによろしく』の全巻を『漫画onWeb』(佐藤秀峰が運営する電子出版サイト)で無料公開しましたよね。何故でしょう?
秀峰:コストをかけずにサイトにお客さんが来てくれればいいなぁと思ったんですよ。
ふかみん:”集客”ですか。
秀峰:そうですね。
ふかみん:それまでは『漫画onWeb』への来訪者が少なかったということでしょうか。
秀峰:全然ですね。
ふかみん:それまでも、一部無料公開などはされてましたよね。それは集客につながらなかったんでしょうか。
秀峰:「1巻だけ無料」などやってみたんですが、あんまり効果なかったんですよね。
ふかみん:それにしても、漫画家にとって”全巻無料公開”って、最終手段のような気がするんですが。そんな奥の手をもう出してしまっていいんですか?
秀峰:『海猿』の映画公開にあわせて、試しに『海猿』の原稿を無料公開したんですよ。そしたら集客効果があって。
ふかみん:どれくらい効果ありました?
秀峰:普段の10倍以上のページビュー(ページ閲覧数。以降PV)になりました。
ふかみん:それまではどれくらいのPVだったんですか?
秀峰:1日あたり数千PVですね。
ふかみん:それが数万PVになったと。
秀峰:そうですね。
ふかみん:日記に書いておられましたけど、『ブラックジャックによろしく』を全巻無料公開したら1週間で300万PVあったということですね。1日平均40万PV。確かに、無料公開すれば、その時に読者は集まっているようです。
秀峰:無料公開するとしたら、今しかタイミングがなかったんですよね。ちょうど映像化のお話もない時期でしたから。『新ブラックジャックによろしく』も完結したことですし……そんなに深く考えて、勝算があって、狙いすましてやんなきゃだめですかね? 思いついたらそんときやればいいんじゃないかなーと思うんですが。
ふかみん:僕から見ると、漫画家の最大の財産であり、命を削って描いてきた原稿を出しているわけですから、一過性の効果を狙うんじゃなく、なにか考えがあるんじゃないかと思うわけですよ。
秀峰:じゃぁ、大事に原稿を保存しといて、なんかいいことあるんですか? 『ブラックジャックによろしく』は過去の作品になっちゃってて、もう増刷もかかんないんですし、書店にも流通してないんですよ。
ふかみん:アマゾン(オンライン書店)でみてても、第1集とか第2集は在庫がありませんね。
秀峰:そうですね。
ふかみん:増刷って、ここしばらくされていないんですか?
秀峰:もう何年もされてないですね。だから、大事に原稿をしまっておいても1円も生み出さないんですよ。
ふかみん:『漫画onWeb』で有料課金すれば入ってくるじゃないですか。
秀峰:ちょっとずつは読んでもらえますけど。そういう方法ではなく、全巻無料化したのは、サイト全体を盛り上げるために使えるんであれば、ということなんですよね。
ふかみん:これで『漫画onWeb』の登録会員は増えたんでしょうか?
秀峰:増えましたね。
ふかみん:どれくらい増えました?
秀峰:先週1週間(『ブラックジャックによろしく』を全巻無料公開した週)で、2000人ぐらい。
ふかみん:2000人! 普段はどれくらいの増加ペースだったんですか?
秀峰:いつもは寂しいもんですよ。数十人単位です。100人超えることはなかった。
ふかみん:その効果は今週も続いてますか?
秀峰:続いてますね。
【『漫画onWeb』他の作家への波及効果】
ふかみん:秀峰さんの場合、たくさんの作家さんが集まる『漫画onWeb』を主催しているという立場でもあるわけですよね。集めたお客さんに他の作家さんの作品を見てもらいたい、ということも考えておられると思うのですが、そういった波及効果って出てきていますか?
秀峰:まだ、あんまり出てないんですよね。
ふかみん:やはり秀峰さんの作品を読みたくてサイトに来る人が多いんですね。
秀峰:そうですね。ただ、一日の売上はどんどん最高記録を更新していってます(漫画onWebはポイントをまとめて購入し、必要に応じてポイントを使って有料漫画を読む、という形式のサイト。事前購入するポイントの購入額が最高記録を更新しているとのこと)。
ふかみん:それは凄い。ポイントがまとめて購入されることで、今後他の作家さんへそれが波及する可能性はありますね。
【無料で公開したら、コミックを全巻揃えてる人が悲しくなりませんか?】
ふかみん:単行本を全巻揃えている読者もいますよね。そういう読者って、オンラインで無料公開されたらショックを受けたりしないんでしょうか。
秀峰:他のものにもいえるかもしれませんが、漫画もやはり新刊として出たときが一番価値があるんじゃないでしょうかね。
ふかみん:デジタルガジェットとか電気製品ならわかるんですけど、漫画ってそうですかね?
秀峰:漫画も、新刊しか売れないですからね。出た瞬間にどれだけ売れるか、というのが勝負で。後からじっくり売れるってことはあんまりないんですよ。
ふかみん:そうなんですか。
秀峰:出た瞬間に価値があると思って買ってくださった方が、例えば新古書店などに持って行って引きとってもらおうとすると、引きとってもらえなかったりする。
ふかみん:新古書店に在庫がたくさんあると、そうなる場合もあるでしょうね。
秀峰:残念なことに本というのは出た瞬間にしか経済的な価値がなくて。今、僕の著作本というのは、誰かにとって大切なものであるかもしれないけど、経済的な価値だけでいうと”0円”なんですよね。
ふかみん:もちろん、作品としての価値は永遠だと思いますけれども。ブックオフなどの新古書店で引きとってもらえない、つまり経済的な価値は0円という事実はあるかもしれないですね。とすればオンラインで無料公開してもそれほどショックを受ける必要はない、のかな。
(つづく)
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