宗教への回帰(メカAG)
今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
宗教への回帰(メカAG)
なんか日本の伝統や因習を非合理だ、個人の自由にさせろと言ってた人たちが、結局行き着いた先が宗教的なものというのは、皮肉というか滑稽というか、ある意味必然。
自分の足元を根こそぎ破壊してしまうと、思考の道具として頼れるものすらなくなってしまい、それを外部に求めるようになる。自分探しの旅を始めて、その一部は自分探しを諦め、一部は既存の宗教を再発見し、一部は永遠に戻ってこない。
どれが正しいとかは知らん。ある意味永遠に自分探しをするのも良いかもしれない。
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ただ既存の宗教を再発見して満足するというのは、俺の感覚では賛同できないんだよね。結局捨てたものを拾っただけ。まあ、不要と思ったものの価値がわかったという点に価値があるのかもしれないけど。
すべてを捨て去ってゼロから再構築すると、結局元と同じものができる確率が高い。と言うか大抵はそれより出来の悪いものができる。プログラムも同じで、素人が世間で広く使われているツールやライブラリを下手に自分でそれよりいいものを作ろうとすると、たいていたいして変わり映えのしない、劣化したものが出来上がる(苦笑)。
まあそういう経験も教育・学習という意味では価値があるけどね。やっぱ素人が見て「なんでこんな変な作りになってるんだ」と感じる箇所というのは、だれだって最初からそんな作りにしようとするわけない。もっとシンプルなものからスタートする。しかしいろいろな問題を解決しようとすると、結果的にそういう作りになってしまう。
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そういう経緯を知らない素人が「俺ならこう作る」と思って作り始めても、紆余曲折の末にたどり着くのは同じ場所。違う物を作りたければ、なぜ現状がそうなってるかを研究した上で作り始めないと効率が悪い。「車輪の再発見」は学習という意味では価値があるけれど、再発見ばかりに時間を食われていると、本当に新しいものを生み出す時間がなくなってしまう。
ということで「車輪の再発見の旅」は、早い時期に経験して、さっさと卒業するのが望ましい。自分が考えるようなことは先人がとっくに考えているという謙虚さが、真の創造性を生み出す。
宗教を再発見するのもいいけど、同じものを再発見するのに人生の大半を費やすと、そこから先に進む時間がなくなるのではなかろうか。
執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2014年09月24日時点のものです。
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