平家没落の原因は金融ビジネス!?!日本中世史の豆知識2連発
日本史の中で、平安・鎌倉・室町時代はあまり人気がないようにみえる。政治の仕組みや人間関係が分かりにくく、道徳規範もピンとこないからではないだろうか。
しかし、そんな中世こそが歴史の醍醐味であると熱弁するのが『本当は面白い「日本中世史」 愛と欲望で動いた平安・鎌倉・室町時代』(八幡和郎/著、ソフトバンククリエイティブ/刊)だ。著者によると、中世という時代には、実は愛と欲望にまみれた人間ドラマがたっぷり詰まっているという。
ここでは本書から抜粋して目からうろこの日本中世史の豆知識を紹介したい。
■平家没落の原因の一つは金融ビジネスの大失敗
平家が没落したのは公家化して「驕れる者」となったからだという説が一般的。しかし著者によると、平家没落の原因は「後白河法皇との対立」「宗教界(特に延暦寺)との対立」「平氏が政権を取ったことで、関東武士の不満の矛先が平氏に移った」「経済的な破綻」の4つであり、なかでも最後の経済的な破綻が大きな原因であるという。
当時、平氏は宋との貿易で莫大な財をなした。なかでも銅銭を大量に輸入し、金融取引によって大儲けをしていた(当時、利息はなんと一年四カ月後に「倍返し」が原則だったそうだ)。
銅銭を大量輸入することで貨幣流通は一気に広まっていった。不足していた銅銭はやがて供給過多となってハイパーインフレをもたらし、平家は大損をするようになったという。
平家の短期間での没落には、こうした経済面での理由があったというのはたしかに説得力のある解釈と言えそうだ。
■北条政子が関東武士の前で大演説を行ったのは“ウソ”?
鎌倉時代の承久3年(1221年)、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して討幕の兵を挙げた。この「承久の変」の際、北条政子の大演説が関東武士を奮い立たせ、鎌倉幕府に勝利をもたらしたと言われている。
しかし、著者によると「演説」の習慣が導入されたのは明治時代になってから。実際は北条政子の言葉は安達景盛の代読によって伝えられたという。
ちなみに、著者によると、この「承久の変」は武士の意識が変わった一つの分岐点であるという。
武士はもともとヤクザ同然の存在だったが、守護や地頭として警察の役割を担うようになり、「承久の変」後、権限を強め政治家・官僚として民の生活を考える立場になったという。
本書では「愛と欲望」という観点から、中世の歴史の「ウソ」と「ホント」を多数紹介している。実は面白い日本中世史。その世界をのぞいてみてはいかがだろうか。
(新刊JP編集部)
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