読まれたいからブログを書くのか…?

読まれたいからブログを書くのか…?

今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

読まれたいからブログを書くのか…?

「ブログを書くということ。読者は神様であるということ。」 2014年01月15日 『私の小規模なブログ』
http://vaginally.hateblo.jp/entry/2014/01/15/175601

まあこの人はそうなんだろうけど、全員がそうということでもないだろう。たとえば研究者が自分の研究が評価されれば嬉しいだろうけど、評価されないなら研究しないというものでもないだろう。

やっぱ自分の思ったこと、考えたことを書き留めておきたい、あるいは書くことで整理したいという動機が根源にあると思うのだよね。紙の「日記」ってそういうものだよね。基本的に人に見せるものじゃない。じゃあなぜ日記を書くのか?といえば、やっぱ上記の理由だろう。

むしろ紙の日記がブログになって、手軽に他人に見せられるという付加価値が後から付いたにすぎない。

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むろん自分の考えを誰かと共有したい、みんなに知ってもらいたいという動機が主の人もいるだろう。以前書いたけれどインターネット以前は深夜のラジオ放送の投稿などがそうだった。自分の考えや悩みを同じ世代の人たちと共有したい、誰かにわかってほしい、そういう投稿が多かったように思う。

「「中島みゆき「ファイト!」誕生秘話(ペンネーム:「私だって高校行きたかった」に捧げる唄)」 2008年10月29日 『メカAG』
http://mechag.asks.jp/213354.html

単純にPVをいかに上げるかというゲームをやっている人もいるだろう。そういう人たちはそういう人たちで別に構わない。

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ただ「PVを伸ばす」「炎上を狙う」を第一にテクニックに走ると、結局誰が書いても同じような内容になりがちだとは思うんだよね。PVが伸びそうなネタを誰よりも早く提供することに生きがいを感じてる人は別にいいけど、俺は俺でないと書けないような内容を書きたいけどね。

でもまあ炎上は持ちつ持たれつで、お互い楽しんでるんだから、そういうことに生きがいを感じるのは別にいいんじゃないでしょうかね。子供の頃くだらないダジャレばかりいう友人がいたけど、それで周りは楽しかったし、本人もみんなを楽しませているという使命感に陶酔してたし。俺はそういうのは性格的に真似できないが。

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引用されている内田樹は、言語を他者とのコミュニケーションの道具と考えているのだろう。もちろんそれは間違いではないが、言語は思考の道具でもある。言語ははるか昔コミュニケーションの道具として登場したかもしれないが、いまや思考のための道具でもある。思考に必ずしも他者は必要ない。

執筆:この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

寄稿いただいた記事は2014年01月21日時点のものです。

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