「本当はデモなんて、一刻も早く辞めたい」 首都圏反原発連合呼びかけ人、ミサオ・レッドウルフさん<「どうする?原発」インタビュー第12回>

 「会話に持って行かないというのは、こちらの戦法でもあったのですね」――首都圏反原発連合のミサオ・レッドウルフさんは、野田首相との30分にわたる面会を終えて、そう会見で語った。今回のインタビュー中、この言葉について問いただすと、こんな答えが返ってきた。

「1時間もあれば、そりゃ野田さんから失言の一つでも引き出しますよ。でも、当初与えられた持ち時間は20分です。日常的に会議をしている人ならわかると思いますが、20分なんて一人がしゃべって時間を引き延ばせばすぐに終わってしまいます。だから、首相の発言で時間をとられるよりも、こちらでイニシアティブを取って要求を述べ、最後に首相が『ご説明しました』で終わらせない方式をとるのが、最も効果的だろうと考えたのです。そうしてある種、決裂を演出したのです」

・特集「どうする?原発」
http://ch.nicovideo.jp/channel/genpatsu

 8月22日、野田首相は官邸に、首都圏反原発連合を招き入れた。首都圏反原発連合は3月から毎週金曜に、首相官邸前での反原発デモを主導してきた。昨年から各所で行われてきた反原発デモが合流して、結成されたこの連合の設立の呼びかけ人の一人が、ミサオ・レッドウルフさんだ。

■ 「運動のニューウェーブのような」立ち位置

 ミサオさんが、反原発運動に身を投じたのは、2007年のことだ。それ以前は、デザイナーとして活躍していた。一時期は米国永住も考えていたというが、たまたま日本に意識が向き、日本史への独自の興味から原発に関心を抱いた。そんな矢先に、知人から青森県六ケ所村の再処理工場建設反対運動に誘われた。

「当時、反原発運動をしていたのは、年配の方ばかりでした。そこで私たちは下の世代の若い人達が実際に来れるようなデモにしたのでした。そのときには日比谷野音の集会でライブも行なって、集会とデモに2000人の人がきました。これは当時としては、大きな数字でした」

 ミサオさんいわく、「運動のニューウェーブのような」立ち位置だったという。彼女が名付け親となり、7ロゴをデザインしたグループ「NO NUKES MORE HEARTS」は、その後も500~1000人ほどの集客力のデモを続けてきた。「左翼」的な考えの人も多かったが、「基本的には原発問題のみのシングルイシュー(※ 抗議活動を一つの問題に絞ること)で取り組んでいる人」が集まってきていたと語る。

■ 「一般の人が参加できるデモにしたいのです」

 状況が変わったのは、3.11以降のことだ。昨年2011年から東京の各所で反原発デモが盛り上がり、複数のデモが同じ日に開かれることもあった。そんな状況でミサオさんが運動を合流させることを呼びかけ、首都圏反原発連合が結成されたのが昨年の9月。今年3月末から始まった首相官邸前デモは、当初はTwitter上で呼びかけて2000人ほどが集まってくる程度の規模だったが、大飯原発の再稼働を機に人が増え始める。それをしんぶん赤旗や東京新聞が取り上げて、金曜の官邸に集まる人の数は一気に膨れ上がった。

 しかし、反原発のシングルイシューでまとめ上げるまでには、多くの苦労があったようだ。原発とは直接関係のない話題の「のぼり旗」を上げた参加者に、何度も説明に行ったこともあった。

「こうした手法を批判する人たちもいます。しかし、今回のデモに人が来ているのは、そもそも『反原発』という、多くの人が問題だと思う”最大公約数的な”イシューだからです。そこに憲法九条の問題などを混ぜてしまっては、今までデモなどに参加したことのなかったような一般の人には届きません」

 ミサオさんは、「普通の人が来られる雰囲気にすることで参加者が増える」と語り、「反原発と反権力を一緒に行うようなことはしない」と言う。だから、警察ともやり取りして、安全を確保する。それは「社会的なマナーを守っているだけ」だ。事実、今回のデモに参加した人たちからは、普段こうしたデモで見かけない一般の人が来ていることに驚きの声が上がっている。

 だが、一方でデモの現場では、過激な活動で知られる団体のビラも配られている。その事実についてはどう考えているのだろうか。

「誤解されたくないのですが、私たちはそういう人たちを思想的に排除したいわけではありません。ただ、一般の人が参加できるデモにしたいのです。

 中には(運動に成功して)舞い上がってると批判する人もいますが、みんなシビアに考えていますよ。ただ原発を止めたいという人の集まりなんですよ。そういう誹謗中傷に傷ついているメンバーもいます」

 「ただ原発を止めたいという一心」で運動をやっている、というのが彼女の言葉である。しかし、運動を続けていくために、いつの間にか様々な社会問題が結びつけられていく社会運動は多い。例えば薬害エイズ問題に抗議行動をしていたはずが、いつの間にか別の社会運動に参加していた、というように。今はそうでないとしても、やがては「マルチイシュー」(※ 複数の論点で抗議活動を行うこと)の旧来型の政治的運動へと誘導されていく可能性はないのだろうか。

「その可能性は全くありませんし、シングルイシューで運動を続けていくことも可能だと思っています。単に私たちは原発を止めたいだけです」

■ 寝たきりの人が「私をだしに使わないで」と言っていた

 一方で多くの人が気になるのは、このデモがあくまでも抗議行動であり、原発即時停止を訴える彼女たちが、何ら代案を出していないように見えることではないだろうか。例えば、彼女自身は何かエネルギー政策について、意見を持っていたりはするのだろうか。

「それは当然、運営者は個々人が考えていますよ。ただ、それを語るのは今のところ私たちの役目ではないというだけです。(私自身は)原発を止めたら、一時的に火力や天然ガスで代替して、徐々に自然エネルギーへと移行していく・・・それしかないと思っています。それはみんなわかっていることじゃないですか?また、地域分散型の発電にしていくのも大事です。その際、電力会社を一度は国が買い取ることも必要かもしれませんね」

 しかし、首都圏反原発連合の主張は、かなりの急進派であるように見える。

「ええ、何しろ原発の即時停止を言っていますから。首相の前でも、『私たちは急進派です』と名乗ったくらいです」

 以前、ニコニコニュースで社会学者の開沼博さんにインタビューをした際に(参考:福島に届かぬ”原発反対”の声 社会学者・開沼博さん<「どうする?原発」インタビュー第5回>)、東京の反原発デモへの盛り上がりに対して、「大飯原発の労働者が職を失う不安を訴えていた」「寝たきりの家族を持つ人が、停電への不安を抱いていた」という話が出た。その話を、ミサオさんにぶつけてみた。

「そういう声は私にも届いています。まず、原発労働者の失業については、当然助成は必要だと思います。これは国の起こした問題で、国が悪いのですから。私は国との面会の時にも、『政策を決めればいいのです』と伝えました。今ある仕組みの中でどうこうしようと考えるからいけないのです。これはお金の問題なのですから、柔軟に対応できるでしょう。

 それに、私は逆に寝たきりで反原発の立場の人が、、『私をだしに使わないでほしい』と言っているのを聞いたことがありますよ。また、今年の夏に大飯原発を止めなくてもよかったことは、データを見ればわかります」

■ 「デモ自体には、世論の底上げ以上の機能はないと思います」

 ミサオさんの話を聞いていると、首都圏反原発連合が社会に対するインパクトを計算しながら、いかに”普通の人々”を巻き込んでいくかを考えている姿が伝わってくる。ミサオさんは、デモの果たす機能をどう考えているのだろうか。

「デモ自体には、世論の底上げ以上の機能はないと思います。それ自体が法律を変えるわけではないですから。でも、それはロビイ活動だって同じことです。しかし、デモの規模が巨大化していくことで、議員が耳を傾けた事実があります。デモは大規模になれば当局への圧力になり、また世論を盛り上げ、様々な脱原発の取り組みを後押しすることができるのです」

 しかし、首相官邸前の反原発デモは、今回の首相との会見をもって一つのピークを迎えたようにも見える。ミサオさんにそう聞いてみると、「人数が減っていることは心配していない」との声が返ってきた。「一時期のピークの方が異常で、続けていくことが大事」と言う。だが、デモのような行動よりも、より直接的な、例えば、それこそロビイ活動や原発推進派議員の落選運動などに、運動を展開していくことは考えていないのだろうか。

「そもそも、私たちはデモが最善の手法であると言ったことは一度もありません。デモが大きくなってきて、『代替案を出せ』『デモ以外の手法があるのではないか』と言う人たちが出てきました。もちろん、抗議の仕方には色々なやり方があっていいし、またあるべきです。私たちはこれまでデモをやってきたから、やっているだけです。

 ただ、逆にロビイ活動だけやっていても辛いと思いますよ。デモという形で、世論を盛り上げることで議員たちが興味をもつこともあります。また、デモの現場に行く事で、ロビイ活動に興味を持つきっかけになることもあると思います。それに、私たちは有給の専従活動家ではないです。だから、全てはできません。週1でデモを行なって、4ヶ月に1回大きなイベントをするだけで、もう手一杯です。あれこれ中途半端に手を出すよりも、取り組みの主軸としてデモに特化し、やりとげようとしているのです」

 インタビュー中、ミサオさんは何度も「デモなんて早く辞めたい」と繰り返していた。多くの人が自分の生活を犠牲にしながらデモ活動を続けているという。それは、ミサオさん自身も、同じである。

「私たちはデモなんて一刻も早く辞めたいんですよ。いろいろな人が自分の生活を犠牲にしながらやっています。だから、シャープに効果的な手法を考えます。私たちは、運動すること事態を目的化するのではなく、社会的良識や常識の部分で運動をやっているのです」

■ ミサオ・レッドウルフ
広島市生まれ。イラストレーターとして、ファッション関係の仕事などを手掛ける。2000年代後半に「NO NUKES MORE HEARTS」を起ち上げ、反原発運動を開始。2011年には首都圏反原発連合の結成を呼びかけ、翌年から毎週金曜に首相官邸前デモを行う。同年8月には、連合代表の一人として首相と面会して、話題を呼んだ。

◇関連サイト
・特集「どうする?原発」
http://ch.nicovideo.jp/channel/genpatsu

(中西洋介)

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