映画『旅と日々』堤真一&三宅唱監督インタビュー「“おかしみ”は、俳優と一緒に作り上げなきゃ出ないナマモノだと思う」
『ケイコ 目を澄ませて』『夜明けのすべて』など作品を発表するごとに国内映画賞を席巻し、本作で第78回ロカルノ国際映画祭インターナショナル・コンペティション部門にて最高賞である金豹賞&ヤング審査員賞特別賞をW受賞した、日本映画界を代表する存在である三宅唱監督最新作『旅と日々』(原作:つげ義春 『海辺の叙景』『ほんやら洞のべんさん』)が11月7日(金)より公開中です。
【あらすじ】強い日差しが注ぎ込む夏の海。ビーチが似合わない夏男が、影のある女・渚に出会う。何を語るでもなく、なんとなく散策するふたり。翌日、また浜辺で会う。台風が近づき大雨が降りしきる中、ふたりは海で泳ぐのだった……。
つげ義春の漫画を原作に映画の脚本を書いた李。「私には才能がないな、と思いました」と話す。冬、李はひょんなことから訪れた雪荒ぶ旅先の山奥でおんぼろ宿に迷い込む。雪の重みで今にも落ちてしまいそうな屋根。やる気の感じられない宿主、べん造。暖房もない、まともな食事も出ない、布団も自分で敷く始末。ある夜、べん造は李を夜の雪の原へと連れ出すのだった……。
本作で、べん造を演じた堤真一さんと三宅唱監督にお話を伺いました。
――本作とても楽しく拝見いたしました。つげ義春作品との出会いはどの様なものだったのでしょうか。
三宅:大学時代に先輩に勧められて読みました。その頃に山下敦弘監督の『リアリズムの宿』(2004)という映画もあり、よりハマりました。ずっと本棚にはあって、読み返すたびに全然印象が違ったりするんですよね。ただ、自分が映画化するとは全く思っていなかったので、今回の企画があって改めて読んでいなかったつげ義春作品も読んで。その中で『海辺の叙景』『ほんやら洞のべんさん』の2作品が特別に好きだなと思い、その2つの作品で描かれている夏と冬を1本の映画で観れたら面白いんじゃないかとスタートしました。
――堤さんはつげ義春作品は読んでいたりしたのでしょうか?
堤:無かったのですが、本作のお話いただいて読みました。本作の原作もそうですが、『つげ義春さん旅日記』を読んで、この人本当に不思議な人だなと感じました。陰の中に陽を感じるというか、若い独身の頃に旅に行ったエピソードで、「女にモテた」みたいな話もしていますし、暗いイメージがあるけど、めちゃめちゃ根っこが明るいんだな、捉え方がものすごくポジティブだなと思いました。
そして、情景が浮かぶ描写が凄いなと思って。単なる日記なのですが、地図を見てしまうんですよね。そのくらいディティールが素晴らしい。
『旅と日々』の脚本を読んだ時も「奇妙な話だな」と感じたんです。でも同時に、僕はこういう話をやらなきゃいけないと思って。お話をいただいた時は驚きましたが、絶対やるべきだ、やらせていただきたいと即答しました。
――“奇妙な所”に一番惹かれたのでしょうか?
堤:特別な物事が起きない中で、普通の生活が描かれていて、そんな作品に出たいと思いました。完成した作品を観た時も、小津安二郎作品の様な雰囲気も感じるし、前半が夏の明るい世界の中の“陰”で、後半は冬の暗い世界で陰に見えるのだけど、“陽”の部分がポンっとある。この対極の様に感じられるバランスが凄いなと思いました。
三宅:撮影終わってから初めて会うので(※取材時)、感想が聞けて嬉しいです。べん造の役ってキャスティングが凄く難しく、最初は全く思い浮かばなかったんです。マンガだと年齢も不詳なので、年齢設定すら悩んでいて。ある時、会議で堤さんというアイデアが出た時に、直感的に「どんな映画になるか観てみたい」ととても思いました。そしてその直感が本当に正解だったなと思います。いや、正解と言うのも失礼なのですが…。
堤:いや、ありがたいですよ、本当に。
三宅:一緒にお仕事させていただいて、とても楽しかったです。
――堤さんは、このべん造というキャラクターについてどうとらえましたか?
堤:要は何やっても上手くいかない人というか、側から見ると「根本的にお前に問題があんだよ」って突っ込みたくなるけど、この人ってこのままでいてほしいと思うような部分もあって。
監督と一番最初にお会いしたのは、僕が福岡で舞台をやっている所をわざわざ見に来てくださった時なのですが、「べん造は山形弁ですが、なんちゃって山形弁で大丈夫ですよね?僕関西人だし」と言ったら、「ガチでお願いします」とおっしゃられて。そこから、方言指導のテープを急いで準備していただいて、早く早くって急かして(笑)。僕は映像の仕事の場合、3日前ぐらいからシーンを覚えていくことがほとんどなんです。大体3日前からというのが僕の中にはあって。言葉というものは長時間稽古するから覚えられるものではなくて、寝ないと染みてこない感覚があるんですね。
でも今回ばかりは、撮影に入る前から全部セリフを覚えました。方言テープをずーっと聴きながら。
三宅:庄内弁は山形弁の中でも独特ですが、方言指導の佐久間さんが力強くサポートしてくれました。つげさんの著作の中でも、「旅先で方言を聞くことにすごく面白みを感じている」というようなことが書かれて部分があって。僕もその面白さを撮りたいと思っていたので、堤さんの本気のトライに感謝しています。
――撮影中に、堤さんだからこそ撮れた、と監督が唸ったシーンはどんな所ですか?
三宅:「全部」なのですが、特に “おかしみ”が出た所だと思います。べん造のセリフで「おかしみだけじゃなくて悲しみがあればいいんだ」というものがありますけれど、悲しみはこの映画では比較的出やすいかな、と思っていたんですね。おかしみは、俳優と一緒に作り上げなきゃ出ない、ナマモノだと思うんです。本当にやってみないと分からない。脚本に書いていても、現場が上手くいかなければ大滑りしますし、映画館の空気も大事ですし。
本作では、堤さん1人のシーンもそうですし、(シム・)ウンギョンとの2人のやり取りの中でも、おかしみがどんどん出ていって。
撮影中、一度リテイクをお願いしたんです。李がべん造の宿に訪れて、宿の囲炉裏に座って喋るシーンを撮影の中盤でまるごと撮り直して。その時に、より良いものを一緒に作らせてもらったなという実感がありました。
リテイクをお願いする前は緊張しました。さあ帰って休もうかという手前でお2人を呼び止めて「実は、色々考え直したのですが、冒頭のシーンの僕の演出は間違えていました。もう一回やらせてください」とお話したら、2人も「お、どういうこと?何やろうか?」って前のめりで乗ってくださって。そのシーンの撮影の時に堤さんが感じていたことも話してくださって、3人で次どうすればいいか、一緒に話せたんです。
堤:そのシーン、撮り終わった時にすごく楽しかったんですよ。お互いにたくさん喋るシーンで、本当に楽しくて。僕が楽しかったの、出ちゃったんだなと思ったし、そこで2人が初めて出会っているのに、お互いを理解しすぎている感じに見えてしまっているなとも思って。リテイクでは監督が「自分のことを話しすぎて、理解してもらおうという気持ちが強すぎると、もう謎でもなんでもなくなってしまうから、自分の説明はぶつ切りでぶっきらぼうに」と言ってくださって、それはそれでまた楽しかったですけどね。
結局、もの作りってこういうことだなと思いました。僕が若い時は監督って大先輩・大先生で、答えは台本だという世界だったので、「自分はこう思った」と言うことはあまり無かったのですが、本当にこの『旅と日々』はチームでもの作りをしているから、自分も役者としての役割を果たすのはもちろん、自分ももの作りに参加しなきゃと感じました。この感覚は、もしかしたら初めてぐらいかもしれないです。
――素晴らしいお話をありがとうございます!冬景色もとても美しかったですね。ただ、皆さまは寒かったと思います…。
堤:寒かったです。一応室内なんですけれど、古い日本家屋なので外より寒い。でも撮影の後半の3月ぐらいになってくると、やはり暖かい日もあって、雪解けがすごく早かったですね。全面真っ白だったのに、歩いたらもうべっちゃべちゃになっていて。撮影の後半では雪がドロドロの状態でやらなくてはいけないね、と話していた次の日に雪がたくさん降ってあの様な景色のシーンが残りました。
三宅:撮影自体3、4週ほどやっていますので天気も少しずつ変化していって。春の汚い雪で撮ることになると思ったら、綺麗に降ってくれて。あれは凄かったですね。晴れの予報だと思ったら吹雪いてくれたり、求めている天気になってくれたこともありました。
堤:監督はもともと、どちらかというと作為的なものより偶然を大切にしていると感じていて、芝居に対してもそうなのだと思うのですが、驚きました。
三宅:天気に関しては一生懸命何かをしても難しいですから、色々考えはするんですけど、最後は賭けですね。
――本作は第78回ロカルノ国際映画祭で金豹賞(グランプリ)&ヤング審査員賞特別賞をW受賞していますね。おめでとうございます!
三宅:ロカルノ国際映画祭は自分が20代の時に初めて行った国際映画祭でもあり、10代の頃から良い映画祭だと知っていたので、そういう場所にもう一度行けたことも嬉しかったです。受賞したことは驚きでしたし、まず嬉しかったです。作品に与えられた賞ということが嬉しくて、スタッフ、俳優、ロケ地の色々な人が関わっている映画なので、作品として認められたことが一番嬉しいです。
2800人の会場での上映だったのですが、この映画が2800人の集中をロック出来るかどうか、不安だったんですね。ただ上映がはじまるとものすごい集中力で、真剣に観てくださって、そのこと自体が幸せでした。
取材メディアの方たちから「ニュークラシック」とか「クラシカルニュー」といった表現の感想を耳にしたのも驚きでしたし、また他の質問からも、自分が思っている以上に生と創作の物語として深く受け止めてくれたのだなとも感じました。
――今日は貴重なお話をありがとうございました。
撮影:たむらとも
(C)2025「旅と日々」製作委員会
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