夢見られるシェルター、シェルターが紡ぐ夢〜ヘルベルト・ローゼンドルファー『廃墟建築家』
新しくはじまった意欲的な企画《オーストリア綺想小説コレクション》の第一巻。巨大地下シェルターのなかで、いくつもの不思議な挿話が語られる。
主要舞台となる地下シェルターのありさまからして異様だ。アルミニウムの幕で覆われた葉巻型ドームで、最頂点からひとすじの糸が吊りさがっている。その糸はエレベーターなのだ。エレベーターの先には、宙に浮くかっこうで滴(しずく)型の施設が建造されている。そこにシェルターの全住人(軍人を除いて一万人もの人間)が生活している。シェルターは敵から攻撃を受けているのだが、用いられる兵器も尋常ではなく、《負の物質》とかそういうものなのだ。それに対して、シェルター側は心霊術で応戦している。
『廃墟建築家』が発表されたのは1969年。東西冷戦のまっただなかで、ジャンルSFでもシェルターにこもって敵の攻撃をしのぐというシチュエーションはよく扱われていた。しかし、この作品はそういう現実と地続きのフィクションとは舞台設定も違えば、雰囲気も大きく異なる。
たとえば、このシェルターに連れてこられた語り手は、シェルターの設計者である廃墟建築家から「《時間》はもう毀(こわ)れてしまった」と宣言される。シェルターにおける時間の流れは外の世界とは一致するとは限らず、シェルター内の時間さえ個人あるいは場合によって変動し、そこに基準系というようなものはないのだ。作中では「位相偏差」という説明がされている。
シェルターのなかで語られるのは、龍退治や変身譚、歴史ロマンス、クリスマスソングで人が死ぬ都市伝説めいた話、などなど雑多である。作中で『サラゴサ手稿』(枠物語形式の綺譚としてあまりにも有名)への言及があるのは、さもありなんといったところだ。ただし、語られるエピソードのなかには元から結末のないもの、あるいは中断されてそのままになってしまうものもあれば、枠のなかに収まらずに語り手の現実にまでハミ出しているようなものまである。
そもそも、枠組となる物語にも不確かなところが多い。語り手は、列車のなかで追っ手を巻こうとしている謎の男と出会い、そこから偶然の玉突きが連鎖するように、場所を移動し、通りすがりの人物に導かれ、気がつくとシェルターに来ていた。どこかで夢のなかに入りこんだとしてもわからない。考えてみると、時間の流れが一様でないのも、夢のなかでなら当たり前のことだろう。
もちろん、これは目覚めればすべて解決するような、なまやさしい物語ではない。夢特有の歪んだロジックを、文章技巧や小説構造によって、ありありと体現している。
(牧眞司)
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