9人の作家による9人のサイボーグの物語~石ノ森章太郎原作『サイボーグ009トリビュート』
石ノ森章太郎『サイボーグ009』は1964年に連載開始。のちに単行本化、アニメ化された。ちりばめられたSFガジェットの数々、シリアスなテーマ、そしてキャラクターたちの魅力は、多くの少年少女を惹きつけた。その後も続篇やメディア化、リメイクなど長期間にわたって展開されつづけている。
本書は、『サイボーグ009』誕生六十周年を記念して企画された書き下ろしアンソロジー。九人の作家が原作の設定を活かしつつ、それぞれの解釈で、平和を願うサイボーグたちの新しい物語を手がけている。
巻頭を飾るのは、辻真先「平和の戦士は死なず」。最初のテレビアニメ版において脚本陣の主柱だった辻真先が、自らが担当した最終回を小説としてリメイクしている。いまだに名場面として語りつがれている、009(島村ジョー/加速装置を備えた主人公)と002(ジェット・リンク/飛行能力を有する)が宇宙から地球へダイビングするエピソードだ。最初に観たとき(あるいは原作漫画に接したとき)の昂奮がまざまざと甦ってくる。
斜線堂有紀「アプローズ、アプローズ」も、009と002の大気圏ダイブを扱い、流れ星になったふたりがなぜ無事に帰還できたかの謎をめぐり、SF的(そしてオリジナルの『009』の設定に沿った)解釈を提示する。
高野史緒「孤独な耳」は、ソ連崩壊前のレニングラードで開催される国際バレエ・コンクールに参加する003(フランソワーズ・アルヌール/きわめて鋭敏な視聴覚能力を有する)と、ロシアを故郷とする001(イワン・ウイスキー/赤ん坊の姿をした天才にして超能力者)の物語。003の特異な能力ゆえの孤独が描かれる。彼女が001とよく行動をともにするのは、赤ん坊の世話をするのは女性だというステレオタイプゆえではなく、デリケートな事情があるという理解は、高野史緒ならではの着眼点だ。
池澤春菜「アルテミス・コーリング」も、003の超感覚を題材にした一篇。バレエの公演で来日していた彼女は、不思議な少女と知りあいになる。石ノ森章太郎の柔らかな絵柄が浮かんでくるファンタスティックで哀切な展開。この作品でも003と001の関係への言及があるが、そこで003が背負うものは高野作品と好対照をなす。
斧田小夜「食火炭」は、006(張々湖/口から強力な炎を吐く)が主人公。彼が経営する中華料理店に、サイボーグになる前の知りあいがやってきて騒動を起こす。さらっと線を引いたスケッチのような一篇で、このアンソロジーの軽いアクセントになっている。
酉島伝法「八つの部屋」は、ゼロゼロナンバーサイボーグたちが、ブラック・ゴーストの手でまさに改造されつつある時期の物語。視点人物は002だが、まだそのナンバーを得たわけではなく、じつは飛行サイボーグ候補は複数存在していて、非人間的な人体実験が繰りかえされているのだ。飛行サイボーグばかりではなく、ほかの能力についても同様の候補者ふるい落としがおこなわれているようだが、収容施設の非常に限られた視野のなかで、おぼろげにしかわからない。その環境はナチスの狂気にも似ているが、被験者たちにとってはそれが日常となってしまっている。こうした暗澹とした状況を扱うと、酉島伝法の筆は冴えに冴える。このアンソロジーの白眉と言うべき一篇。
長谷敏司「wash」は、酉島作品とは逆に時代が流れに流れて、ゼロゼロナンバーサイボーグたちは老境を迎えている。身体を改造しているため健康面や運動面での支障はないが、戦闘のスタイルとそれを支えるテクノロジーがかつてのものと大きく違っている。この物語の主人公は004(アルベルト・ハインリヒ/全身が武器庫のような存在)だ。古いドイツの街を訪れていた彼は、そこで過去からの亡霊と遭遇する。正義のサイボーグたちにとっての最初の脅威だったブラック・ゴーストと、その後の「地下帝国ヨミ編」に登場する爬虫類種族ザッタンとが意外なかたちでつながって、この物語で複雑なミステリーを形成する。007(グレート・ブリテン/細胞レベルからの変身能力を駆使できる)が、004の相棒として名バイプレーヤーぶりを披露。005(ジェロニモ・ジュニア/主力戦車に対抗する強靱さと怪力を誇る)も、クライマックスで大活躍する。長谷敏司らしい読者サービスに満ちた快作。
藤井太洋「海はどこにでも」では、火星探査の先遣隊が地球への帰還方途を失い、それを救難するために火星往還船サンタマリア二世号が急遽出発することになる。その計画に、ブラックゴースト出身の科学者が絡んでいらしいとの情報を得た001は、008(ピュンマ/水中活動に特化した能力を有する)を派遣する。宇宙と深海は環境的に通じるところが多く、008の冷静な判断力も捜査にうってつけだ。008の潜入後、軌道ステーション上で出発を待つサンタマリア二世号に思わぬ事故が発生した。閉鎖された船内は、航宙士、技師、一時契約労働者(008もこの身分で潜入している)、それぞれの利害が対立し、デリケートなバランスで動揺することになる。そこには圧倒的な正解はないのだが、一触即発の事態は避けなければならない。果たして最適解はあるのか? そして008は制限のある立場において、その最適解を実行できるのか? 群集心理や政治のモデルを、SFならではのシチュエーションで展開した作品。これは藤井太洋にしか書けない。
この巻を締めくくるのは、円城塔「クーブラ・カーン」。ここでサイボーグたちが対峙するのは、なんとギルモア博士である。といっても生身の博士ではなく、ギルモアの意識に基づいたシステムだ。巨大ネットワークに分散化したギルモアは、もはや一貫した精神ではなく、対話の相手にすらなりえない。円城塔流の哲学問答が繰りひろげられる。ここにあるのは、素朴な正義や人類の保護という物語がとうに失効したあとの、冷たい風が吹きわたる光景だ。
(牧眞司)
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