黒木あるじの伝奇ホラー&ミステリー『春のたましい 神祓いの記』

黒木あるじの伝奇ホラー&ミステリー『春のたましい 神祓いの記』

 諸星大二郎で始まって水木しげるかと思ったら星野之宣で終わるよ。

 黒木あるじ『春のたましい 神祓いの記』(光文社)をネタばらしなしに説明しようとすると地味に難しい部分がいくつかあるので、そういう風に説明することにしている。

 これだけで、何それ、おもしろそう、と思ってくれた人はもう本屋に走っていると思う。なんだそりゃ、ちゃんと説明しろ、と文句を言いかけているあなたのために以下は書くことにする。

 本書は、主に実話怪談を活動分野としてきた作者が初めて取り組んだ本格的なミステリー作品である。五話と、それぞれに付随する断章で構成された短編集で、共通のシリーズキャラクターが登場する。小説はこれ以前にも著作があり、プロレスラーを主人公にした『掃除屋 プロレス始末伝』(集英社文庫)に始まる三部作は話題になった。ミステリーを書く人という印象はまったくなかったので、最初の収録作である「春と殺し屋と七不思議」が『小説宝石』に掲載されたときは結構驚いたものである。

「春と殺し屋と七不思議」の舞台は出羽原村という架空の場所だ。鉄道が廃線になってしまってひさしい過疎の村である。そこに一人の女性がやってくることから話は始まる。来訪者を見つけたヨッチンは〈ぼく〉に、あれは殺し屋だと囁く。バスを降りるときに「処分しなきゃ」と呟くのを聞いたというのだ。村の安全を守るという名目の下、〈ぼく〉とヨッチンは彼女の尾行を始める。

 この女性は確かに、殺し屋と言わればそうかもしれないと思うような外見をしている。「コートもズボンも靴も手袋もすべて黒ずくめ。風になびく長い髪や手にしている大きな鞄まで、なにもかもが黒い」、ほら殺し屋みたいだ。あと諸星大二郎『妖怪ハンター』(集英社文庫)の稗田礼二郎っぽくもあるぞ。

 彼女は〈ぼく〉たちがタヌキと呼んでいる村長を訪ね、自己紹介をする。九重十一と書いて「ここのえとい」と読むのだそうだ。文化庁の外郭団体だが一般には存在を秘されている祭祀保安協会の職員で、出羽原村にはある任務を帯びていた。ちょうど新型コロナウイルス流行の真っただ中に発表された短篇なのだが、感染予防のため中断したままの村の祭事を復活してもらうためにやってきたのだという。祭りを再開しないといろいろまずいことが起きるとタヌキは脅される。そしてこのあと、〈ぼく〉たちの母校を訪れた九重はそこでさまざまな怪異が起きているのを確認する。このへんが賑やかで水木しげる『ゲゲゲの鬼太郎』パート。あるいは『学校の怪談』でもいいが、毎回ちゃんとお化けが出るのがいい。妖怪小説なのである。

 この九重は怪異が起きている理由をきちんと説明する主人公だ。「春と殺し屋と七不思議」では単独行動なのだが、第二話の「われはうみのこ」からは後輩の八多岬という若手が同行する。この話も祭りを中断したために大変なことが起きている、と九重が言いにくる話で、舞台となった卯巳町では無数の魚が死んで海岸に打ち上げられるという変事が確かに生じているのである。九重によれば、これは町に伝わるアザハギをきちんと祀らなかったために起きたのだという。アザハギの祭事は人形を船に入れて流すという〈寄り神〉のものに近いのだが、九重はこれを秋田のナマハゲや石川のアマメハギのような来訪神ではないかという仮説を開陳する。「はるか昔に卯巳ではじまった神事が海沿いの集落へ伝播し、農村の発展にしたがって名前の由来を変化させた」のだと。物語の中盤から後半では、民俗学や神話学の知識を総動員した仮説展開が行われる。このへんは星野之宣〈宗像教授シリーズ〉(潮文庫他)である。最近復刊が始まった故・北森鴻の〈蓮丈那智フィールドファイル〉(角川文庫)っぽくもある。ちなみに北森は〈宗像教授シリーズ〉の大ファンだった。

 つまり奇妙な出来事が起き、個性的な化け物が登場する展開となり、大胆な仮説による謎解きが行われて終わるという構成なのだ。ほら、諸星・水木・星野である。なのだが、実はミステリー的に言えば先がある。ここまでは言っていい部分なのだが、踏み込むと途端にネタばらしになってしまうから厄介だ。なので、以降はちょっと曖昧な説明になる。

 まず、物語の始まりで読者が見ているものは、だいたい正しくない部分を含んでいると思ったほうがいい。そこからすでに仕掛けが始まっているからである。叙述の仕掛けといえば〈信用ならない語り手〉がすぐに思いつくが、それも使っていると言っておこう。ただし、どこでどういう風に使っているかは秘密である。さらに言えば、使い方にも非常に芸がある。五話でそれぞれ違うことをやっていて、読み味が毎回異なるという美点が本書にはある。

 第三話「あそべやあそべ、ゆきわらし」は雪深い集落の祭祀を九重が復活させに来るという話である。民俗学や怪談が好きな人が読むと、この話はアレじゃないか、とすぐ思うはずだ。うん、四文字。だが、ミステリーファンが読むと別の四文字を連想すると思う。作者はさまざまな角度から物語を検討しており、平面的には作っていない。必ず何かと何かの組み合わせが行われているので、立体的な構造になるのである。それでいてキャラクターの魅力を追求することも忘れていない。第四話「わたしはふしだら」は八多の話、最終話である表題作は九重自身の事件である。この手数の多さにはちょっと感心してしまう。

 伝奇ホラーとミステリーの謎解きが合体した作品、ということになると思う。その説明だと取りこぼしてしまう魅力について少し詳しく書いてみた。とにかく読んでみたほうがいい。黒木あるじがこんなにミステリーを書くのが上手いなんて知らなかった、なんでもっと早く書かなかったんだ、と大いに文句を言いたい。他に何ができるのだろうか。けちけちしないで手札を晒すべきだ。全国のミステリーとホラーファンを代表して申し上げるものである。

(杉江松恋)

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