『インフィニティ・プール』ブランドン・クローネンバーグ監督インタビュー 「“ホラー”は名状しがたい感情を健全に掘り下げられるジャンル」
カルト的な人気を持つブランドン・クローネンバーグ監督の新たなスリラー映画『インフィニティ・プール』が4月5日より公開。セレブリティに感染したウイルスの売買が行われる世界を描いた『アンチヴァイラル』、人格を乗っ取って“遠隔殺人”を行う暗殺者を描いた『ポゼッサー』に続いて、第三作目となる本作では、クローンを身代わりに死刑にすることで犯した罪が許されるという、リゾート地の奇妙なルールを体験する主人公が描かれる。
デビュー当初、鬼才デヴィッド・クローネンバーグの息子という属性が注目されたブランドンだが、そのDNAは感じさせつつも着実に“ブランドン・クローネンバーグ”の作風を確立し、自身のファンを獲得。今作の日本公開を報じた際も、ファンの反応は熱狂的だった。
インタビューに応じてくれたブランドンに日本のファンのリアクションを伝えると、「いやぁ、全部幻想ですよ(笑)。自分では人気を実感することはあまりないんです」と照れ臭そうに笑った。「日本でそういう反応があるのは驚きだし、とても光栄で感謝に堪えません。何年もかけて作った一本の映画が、“時間を割いて観る価値があるもの”と誰かに感じてもらえるのは喜ばしいことです」とあくまで謙虚だ。
オンラインでインタビューに答えるブランドン・クローネンバーグ監督。笑顔がチャーミング!
毎作品、あらすじを読むだけで彼の作品だと分かりそうなほど、唯一無二の強烈な世界観を構築しているブランドン。このインパクトは描きたいものを描く上で自然と生まれるものだろうか、それとも意図的なものなのだろうか。
「そう言ってもらえるのは嬉しいですね。計算してできることではないと思いますよ。特に自分で脚本を手掛けている監督たちはそうだと思うんですが、何かひとつのアイデアに取り憑かれて、そこからすべてが始まるんです。僕は自分の思いついたアイデアを全部書き溜めていて、ある時にその内のひとつが自分の頭の骨の中に入り込んでしまって取り出すことができないような感覚に陥ってしまう。そのアイデアに集中していくと、また次から次へとアイデアが湧いてきて、世界観が構築されていく、という感じなんですよね」
“クローンの死刑”というアイデア
今作の舞台となるのは、“リ・トルカ島”なるリゾート地。ここでは過失であっても人を殺せば死刑になるが、外国人向けの救済法として、多額の費用を払えばクローンを身代わりに死刑にできる“クローン手続き法”が存在した。何も知らずこの地を訪れた作家のジェームズ(アレクサンダー・スカルスガルド)は、現地で交通事故を起こし、この法に頼ることになる。
しかし、クローンの死刑は本人が必ず見なければならないという義務がある。クローンが処刑されるのを、まったく同じ顔をした“本人”が見守る――このショッキングなシーンは、10年ほど前に小説として執筆したものだという。
「たまに自分でも小説が書けるような気になって書き始めるんですが、だいたい完成しないんですよね。これはそのなかのひとつで、2014年頃にこのシーンだけを書いたんです。アイデンティティや“ひとりの人間として存在する”というのはどういうことなのかについて模索しているときでした。当時友人がこの小説をマンガ化して『The Gates of Misery』という本にしてくれたんですが、自分でもなにか形にしたかった。このキャラクターたちを、その地の司法のシステムによって罰せられるはずのことが罰せられないという状況に置いて、映画にしてみようと思ったのです」
クローンは単なる肉体のコピーではなく、本人と同じ記憶を有しており、罪悪感と恐怖に苛まれながら処刑される。必死で命乞いをするクローンのジェームズとそれを見つめるジェームズ本人とが交互に映し出されると、ジェームズ自身がどこに属して存在しているのかが、曖昧になってくる。
「正義というものについてよく考えるのですが、正義に対して私たち人間はすごくエモーショナルなリアクションをしますよね。罪を犯した人がいる時、その罪に見合う罰を受けるべきだと社会が求める、そういう世界に私たちは生きています。では、“罪を負う”というのはどういうことなのか。その罪を犯した人間と瓜二つの、罪の記憶と罪悪感とを持ち合わせている人間(=クローン)がいる場合、どちらを罰しても同じなのか。クローンを罰することによって果たして社会は満足するのだろうか、と考えた。罪悪感と個人のアイデンティティというものの関わりに興味を持って、今回の作品ができていったんです」
ジェームズ自身の心境も興味深い。作家とはいえ本を一冊出したきりスランプ中のジェームズは、裕福な妻の財産に頼って生活している。そんななかで取り返しのつかない失敗をし、“クローンの死刑”に至るのだ。“自分の死を見る”というのはおぞましいシチュエーションに思えるが、ジェームズはカタルシスを感じているかのように見える。
「観客のみなさんに自由に解釈してほしいので自分の意見はあまり深くは話せないけれど、間違いなくそこにはカタルシスがあると思います。ジェームズには自己破滅のきらいがある。実は、どんな物書きもちょっと自己破滅的なところがあるというジョークでもあります(笑)。でも破滅的な人間でなくとも、自分の死を見るというスリルは、その人自身に変容を起こし得るんじゃないかなと思うんです」
才能あるクリエイターたちとの協働
“変容”したジェームズは、クローン手続き法を濫用して犯罪行為に興じるセレブリティたち(ミア・ゴスほか)の仲間入りをする。彼らが罪を犯すときに身につけるのは、島の民芸品である“エキの仮面”。思わず目を奪われるこの仮面のデザインを手掛けたのは、映画『武器人間』を監督し、様々な作品にアーティストとして携わるオランダの異才リチャード・ラーフォーストだ。
「ファンタジア国際映画祭で彼とご一緒したことがあって。『武器人間』がすごく好きだったんです。低予算であれだけのものを作り上げているというのが素晴らしいですよね。
仮面はこの作品の象徴になるだろうと思っていました。それをコンセプトアーティストがなんとなく作るのではなく、しっかりとしたアーティストに集中してデザインしてもらいたかった。そこでリチャードが適任だったんです。仮面が使われる文脈は伝えていたけれど、彼のイマジネーションを制限したくなかったので、デザインについてあれこれリクエストはしませんでした。彼がPhotoshopでテクスチャを貼り付けたラフを見せてくれたのですが、やはり彼で間違いないなと思いましたね。そこからディスカッションを重ねて作り込んでいきました」
ブランドンのビジョンを具現化するチームメンバーとして、カリム・ハッセンの存在も忘れてはいけない。全作において撮影監督を務めてきた彼は、自身の監督作『大脳分裂』で観る者に衝撃を与えたクリエイターでもある。
「トロントにある制作会社のロンバスメディアで、新しい映画作家を起用して作品を撮らせようという企画があったんです。その第一弾がジェイソン・アイズナーの『ホーボー・ウィズ・ショットガン』、第三弾が僕の『アンチヴァイラル』でした。そのときプロデューサーを務めたロブ・コッテリルが、「色んな撮影監督がいるけれど、彼が一番いいと思うよ」と紹介してくれたのが、『ホーボー~』で撮影を担当していたカリムだったんです。最初はとりあえず会ってみよう、くらいの気持ちでしたが、次第に“彼しかいない”と思うようになりました。それ以来カリムは、ロブとともに僕のチームのコアとして活躍してくれています」
“ホラー映画”というパレットでの創作
一見ホラーに見える作品であっても自身の作品を“ホラー”と呼ばない監督もいるし、むしろ“ホラー”というジャンルを誇りとして掲げている監督もいる。これまで哲学的なSFホラーを手掛けてきたブランドンだが、彼はどちらのタイプだろうか。
「僕は自分の作品はホラーに分類されると思っていますよ。題材として“恐怖”に惹かれているわけではないけれどね。ホラーのなかでも、ゴースト・ストーリーのようなメインストリームの怖さはないだろうし、どちらかというと嫌悪感や名状しがたい感情を描いていると思います。ホラージャンルというのは、そういったなかなか普通の世界では模索することができない感情を、安全な場所から前向きな形で掘り下げることができるもの。そういう意味ではとても健康的なジャンルだと思うんですよね。
ホラー映画というパレットで創作をするのは、自分にとってすごく健全で満足のいくことなんです。コロナ禍のころ、ホラー映画が好きな人のほうがストレス耐性があってうまくコロナ禍をやりすごしているという記事を読んだんです。なんだかそれも納得がいきませんか?(笑)」
『インフィニティ・プール』
4月5日(金)新宿ピカデリー、池袋HUMAXシネマズ、ヒューマントラストシネマ渋谷他全国順次公開
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