戦禍の中の警察捜査小説〜ジェイムズ・ケストレル『真珠湾の冬』

戦禍の中の警察捜査小説〜ジェイムズ・ケストレル『真珠湾の冬』

 小説には時間を主題にする作品と距離が問題となるものがある。

 ジェイムズ・ケストレル『真珠湾の冬』(ハヤカワ・ミステリ)は後者だ。どうしようもなく遠い、間を埋めることが難しい場所。それがこの小説では描かれる。

 とはいえ時間も見逃せない要素なのである。物語の起点が1941年11月26日のハワイ準州(当時)のホノルルになっているからだ。刑事のジョセフ(ジョー)・マグレディは陸軍を退役してホノルル警察に就職した男だ。自身で殺人事件の捜査を手がけたことはまだない。勤務を終えて酒場で一杯やろうとしていたマグレディは上司のビーマー警部に呼び出される。重大な事件が起きたので、すぐに現場に向かってくれというのである。谷の奥にある納屋で彼が見たものは、梁から逆さ吊りにされ、内臓を引きずり出されて絶命した男の死体だった。その近辺でマグレディは不審人物に遭遇するが、先に発砲してきたために射ち殺してしまう。現場からはさらに、縛めを受けた日本人女性の死体が発見された。

 射殺された男は犯行現場を焼き払って証拠を隠滅するために戻ってきたのだった。マグレディの見立てでは、男には共犯がいる。納屋で見つかった二人の死者のうち、男性のほうはヘンリー・K・ウィラードであることが判明した。海軍大将のキンメル提督の甥である。

ビーマー警部の命によってベテラン刑事のフレッド・ボールと組むことになったマグレディは、ジョン・スミスなる偽名を使う男の存在をつきとめる。ジョン・スミスはすでにホノルルを発っていた。行先はイギリス領の香港である。キンメル提督の支援により、マグレディはすぐさまジョン・スミスを追って出国することができた。香港の現地時間12月7日午後12時半、ホノルルの12月6日夕方で第一部「ナイフと傷痕」は終わる。地元に残してきた恋人、モリー・ラドクリフのことを思いながら、マグレディは飛行艇を降りる準備を続ける。

 この日付を見て、はっとする読者は多いはずだ。1941年12月7日の朝、オアフ島真珠湾は日本軍による奇襲を受け、太平洋艦隊が大打撃を被った。いわゆる真珠湾攻撃である。同時に日本は連合国する進攻を開始する。マグレディが入国した香港もまた、真珠湾と同時刻に日本軍からの攻撃を受けていたのだった。第二部「着剣」ではその模様が描かれる。戦争という巨大なものに呑み込まれたマグレディがどのような運命を辿るかについては、ここでは触れないようにしよう。本作は2022年のアメリカ探偵作家クラブ賞(エドガー賞)最優秀長篇賞に輝いた。壮大な規模で描かれる物語であり、受賞して然るべき巨編である。

 マグレディと愛する人がいるホノルルとの間には巨大な太平洋が横たわる。彼の苦しみを生み出すのはこの距離だ。香港到着早々、事件に巻き込まれたマグレディは自由を奪われる。外の世界と自分との間を隔てるのは扉一枚だが、それを行き来できないために彼の背後には死の影が迫ることになるのである。詳しくは書かないが第三部において彼を縛るものもやはり距離だ。動けない。動けば死が訪れるという状態で彼は時を過ごすしかなくなるのである。そうした形で暴力によって自由を奪われた個人が本書の中では描かれる。その最たるものが戦争であることは言うまでもない。マグレディは幾重にも戦争の暴力による被害を受けるのである。

 この先彼はどうなってしまうのか、と固唾をのみながらページをめくったほうが絶対におもしろくなる小説なので、裏表紙のあらすじには目を通さないことをお薦めする。第二部以降の展開が明かされているからだ。吉野仁による解説はその点に触れていないので読んでも大丈夫である。作品の肝について詳細に述べられた大変に良い解説だ。そこで初めて知ったが、作者のジェイムズ・ケストレルは、過去にジョナサン・ムーア名義で六作も長篇を発表しているのだという。新人のデビュー作にしてはあまりにもこなれた書きぶり、と思ったがそれなら納得だ。弁護士としても活動中の作家であるという。

 第二次世界大戦を扱った作品だと、やはり敵としての日本がどう描かれるかが気になるところだ。これもネタばらしになってしまうので詳細は省くが、ケストレルの筆致は非常にフェアだということだけは書いておきたい。主人公たちは戦争という状況に巻き込まれてしまうので、恐怖に満ちた視線で敵である日本兵を描く必要がある。だが、後段になってやはりその鬼のような日本兵にも家族があり、人間としての心があったということが判るという仕掛けになっているのだ。同じことはマグレディの描き方にも言える。作者は彼を単なる犠牲者にはしておかず、手を汚させるのである。つまり日本兵と同じ立場にさせる。ここが小説の仕掛けで、戦争がいかに人間の運命を狂わせるか、本来なら無垢なままでいられた者をそうではない立場へと追い込むものか、が描かれる。「リメンバー・パールハーバー」と声高に叫ぶような小説ではないのである。

 殺人犯を追う警察捜査小説であり、同時に戦争を描いた歴史小説でもある。これは要らないかな、と思ったのはマグレディのロマンスで、やや書きすぎではないか、と第一部を読んだ時点では思ったのだが、第二部以降を読むと、恋愛の要素があるからこそその後の出来事において悲劇性が際立つのである。読者の感情を自在に操る書きぶりで、娯楽大作として文句なしに楽しむことができる。一年の終わりに出たが、2022年を代表する一冊となった。冒険小説を愛するすべての読者にお薦めする。どうぞお楽しみいただきたい。

(杉江松恋)

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