死ぬも生きるも地獄、氷の惑星での二人一役サバイバル
アシュトンは2015年にデビューしたアメリカSF界の俊英。本書が日本初紹介となる。すでにワーナー・ブラザースが「Mickey17」のタイトルで映画化を進めているという鳴り物入りだ。
氷の惑星ニヴルヘイムでのコロニー建設は、挫折の連続だった。
主人公のミッキー・バーンズは言う。「この八年で、俺は六回死んだ。二週間で三回、死んだともある。死ぬことにも、もう慣れたと思うだろ?」
生体複製と記憶転写により、人間は何度でも甦ることができるのだ。ただし、この技術の濫用は禁止されており、危険な任務に就く者にのみに適応される。それは特権というよりも、おぞましい役回りなのだ。それが証拠にミッキーは「使い捨て人間(エクスペンダブル)」と呼ばれている。もちろん、何度死んだとしても慣れるなんてことはない。
物語開幕の時点で、ミッキーはすでに七体目だ。しかも、いままさに死に直面している。探査中にクレバスに落ちたのだ。基地の仲間たちはミッキーを救助しようとはしない。状況は困難だし、どうせ使い捨て人間だ。八体目に代替わりさせればそれですむ。
しかし、ミッキー本人も驚いたことに、不思議な経緯で彼は生き延びてしまう。なんとか基地へ帰還したところ、なんと、八体目のミッキーが部屋にいるではないか。
食糧事情が危機的なこの場所で、同じ人間が二体いることは許されない。下手をすれば、どちらかひとりはリサイクル装置に放りこまれてしまう(たとえ人体であっても貴重な資源なのだ)。かくして、ミッキー7とミッキー8は二人一役の生活をつづけることになる。
基地の連中から疑われないように振る舞うために神経を使うわ、割り当てのカロリーをふたりで分けあうので腹は減るわ、ニヴルヘイム現住の狂暴なムカデが攻撃してくるわ、司令官のマーシャルは性格最悪だわ、前途多難だ。
まあ、端から見るぶんにはいくぶん滑稽なシチュエーションでもあり、ミッキーの捨て鉢なユーモアまじりの語り口と相まって、あまり深刻にならずに読み進められる。また、現在進行形のストーリーのあいまに、人類が外惑星へ入植を余儀なくされるに至った歴史や、抑圧的な未来社会の構造も語られ、それがSFとしての背景を大きく膨らませる。
生きるにせよ死ぬにせよ、明るい材料がひとつもないミッキーの明日はどっちだ!?
(牧眞司)
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