目を背けられない元戦闘工作員の日々〜濱田轟天/瀬下猛『平和の国の島崎へ』
30年前、国際テロ組織「LEL(経済解放同盟)」が、羽田発パリ行きの飛行機をハイジャックした。中東の空港へ同機を強制着陸させた彼らは、乗員乗客をすべて連れ去り、監禁。その中で生き残った者は、組織により徹底的な洗脳と訓練を与えられ、戦闘工作員としての活動を担った。当時9歳だった島崎真悟は、その時拉致された被害者の一人であり、成長後はLELの優秀な一員でもあった。
ショッキングなシーンから始まる物語は、30年後の世界と地続きだ。LELを脱けて祖国へ戻った島崎は、日本政府の監視下に置かれながらも、共に逃げてきた仲間と新たな日々を模索する。日本人でありながら片言の日本語しか話せず、文字もうまく書くことができない島崎。そんな彼に絡む輩がいる一方、温かく受け入れ、導く人々も存在する。絵を描くことが好きな島崎は、ある日、仲間から紹介された「マンガ家のセンセイ」を訪ねた。センセイに自分の絵を褒められた島崎は、照れながら笑みをこぼす。
島崎が時折見せる笑顔やしぐさは人間臭く、どこか幼くも見えてかわいらしい。その上、周囲の人間に対する思考や気遣いは、彼が巻き込まれた不条理や暴力を感じさせないほどまっとうだ。だからこそ表紙に描かれた無表情のように、戦闘力を発揮した時に見せる顔とのギャップが、より際立って見える。
一話読み切りの形で進む本作は、週刊誌の『モーニング』で連載されている。主人公はもちろん島崎だが、実は彼だけの物語ではない。たとえば3話と4話では、50年前の政治闘争でLELから武器供与を受けた女性の戦いと人生が、5話や6話では、島崎と共にLELで過ごした仲間のその後が描かれる。今の彼や彼女がどれだけ穏やかに見えようとも、変わってしまったものは確かにそこにある。「戦場から遠く離れても傷は元に戻らない」──作中のその言葉は、何度も重くのしかかる。
さて後日、ひったくりに遭い、締切間際の原稿をなくしたセンセイのために、島崎はその能力を発揮する。自らを監視する者たちの手を借りて、窃盗犯の居場所を割り出した島崎は、圧倒的な力で犯人たちをねじ伏せた。組織のためでなく、自分の意思で他人のために力を使う彼は、正義の味方にも見える。そのありように、彼のこれからの幸せがあると感じた直後、モノローグは島崎の過酷な今後を告げてくる。その容赦のなさに呆然としながら、先の展開が気になって仕方がなくなった。
フィクションだけれど生々しく、リアルの出来事もそこかしこに顔を出す。怖いけれど読まずにはおられない、目を背けられない一作。島崎の「カウントダウン」の日々を、どうか共に過ごしてほしい。
(田中香織)
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