なぜ女性漫画家の自画像は本人に似ていないのか?
中村うさぎさんのエッセイはとても“エロ深い”んです。身近な話題ばかりで、あまりに面白いため、スラスラ読めてしまうのですが、読めば読むほど味が出る、まるで噛めば噛むほど味が出るスルメのような文章です。
この『愛という病』(新潮社/刊)も他のエッセイと同じくエロ深いことには変わりないのですが、残念ながら(?)エロ要素は比較的少なめであり、深いな〜と思わせるエッセイになっています。
日常の様々なできごとをジェンダーという観点で鋭く分析する中村さん。その奇抜な切り口の1つが“ナルシシズム”です。
中村さんは漫画家の自画像に着目し、男女に大きな違いがあるといっています。それは、男性漫画家の自画像は本人に似ていることが多いのに対し、女性漫画家の自画像は本人に全く似ていないという点です。
男性漫画家の例として手塚治虫や赤塚不二夫、弘兼憲史さんがあげられていますが、たしかに自画像は本人にそっくりだと納得できます。
では女性漫画家の自画像はどうでしょうか。
中村さんは女性漫画家の自画像を「豚」「オカッパ頭のヒナ鳥」「ヨダレカケをした幼児」などと酷評します。美人なのに、なぜか自画像では「チビ・デブ・ブス」になってしまうのです。なぜ男女でこんなにも違うのでしょうか。
中村さんは、描く技術の問題ではなく、本人の自意識の問題だと指摘しています。男性漫画家は鏡や写真で見たとおりの自分をそのまま描き写しますが、女性漫画家は「自分が自分をどう思っているか」を描くのです。
では、例えば本当に自分を「豚」だと思って描いているのかというと、そうではありません。中村さんは、これは自虐であり、「私は自分を『豚』だと思っていますよ」という自意識を読者にアピールしていると述べています。
謙遜のように見えて、実は「ナルシシズムの封印」だと中村さんは鋭く指摘しています。リアルに自画像を描いて、本人よりもちょっと可愛く見えたりすると、「なによこの女、うぬぼれちゃって」と同性の読者から嫌われます。だから、女性漫画家たちはブスに描くことで、必死にナルシシズムを封印しようとします。こうして似ても似つかぬ自家像ができあがるのです。
中村さんの言っていることはもっともです。でも、もっと深くスルメを味わうために、筆者はナルシシズムをさらに深読みしてみました。すると、面白いことが見えてきました。それは、「ナルシシズムの封印」をすればするほど、逆にナルシシズムが見えてしまうという構造です。
もし女性漫画家が自分を本気でブスだと思っているのなら、自分そっくりの自画像を描いても、できあがった自画像はブスなはずなので、何も問題はありません。けれどもそれができず、本人に全く似ていない自画像を描いてしまうということは、そっくりに描くと可愛くなってしまうと自分で認めているからなのです。
自画像をブスに描いている人に限って、実は心の奥底で(私って可愛いから、そっくりに描くと嫌味になっちゃうのよねぇ)なんて思っているのかもしれません。こんなことを考えている筆者の性格の悪さがバレてしまいました……。
でもこの本を読むと、世の中の人(もちろん筆者も含めて)みんなナルシシストだ、と思ってしまいます。「私は自分のことを本気でブスだと思っているから、ナルシシストじゃないもん」と思った人、この本を読んだ後でも同じことが言えるでしょうか?
(ライター/ゆうり忍)
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