古びた温泉街の空き家に個性ある店が続々オープン。立役者は住職の妻、よそ者と地元をつなぐ 島根県温泉津(ゆのつ)

古い温泉街に、個性ある新しい店が続々と。再生の鍵は、よそ者と地元の信頼をつなぐ役割

日本には、古きよき温泉街が各地に残っている。場所によっては古い建物が増え、まちが寂れる要因になっている一方で、若い人たちが古い建物に価値を見出し、新しい息を吹き入れるまちもある。今、まさににぎわいを取り戻しているのが、島根県の日本海に面する温泉まち、温泉津(ゆのつ)。いま小さな灯りがぽつぽつ灯り始めたところだが、これから点と点がつながればより大きなうねりになっていくだろう。4軒のゲストハウスと「旅するキッチン」を営む近江雅子さんに話を聞いた。

小さな温泉街で起きていること

名前からして、温泉のまちだ。温泉津と書いて「ゆのつ」。津とは港のこと。島根県の日本海に面し、「元湯」「薬師湯」という歴史ある、源泉掛け流しの温泉が二つある。端から端まで歩いても30分とかからない、こぢんまりした温泉街の細い街並みには、格子の民家や白壁の土蔵など趣ある建物が連なり、その多くが温泉旅館や海鮮問屋だった建物で、空き家も多い。

車で20分ほどの石見銀山とともに世界遺産の一部で、重要伝統的建築にもなっている温泉津の街並み(写真撮影/RIVERBANKS)

車で20分ほどの石見銀山とともに世界遺産の一部で、重要伝統的建築にもなっている温泉津の街並み(写真撮影/RIVERBANKS)

正式には大田市温泉津町温泉津。町全体で人口は1000人弱ほどの規模だ。

そこへ、2016年以降、新しい店が次々に生まれている。ゲストハウス、コインランドリー、キッチン、サウナ、バー。
始まりは「湯るり」という一軒のゲストハウスだった。元湯、薬師湯まで歩いて5分とかからない古民家の宿である。

ゲストハウス「湯るり」 (写真撮影/筆者)

ゲストハウス「湯るり」 (写真撮影/筆者)

この宿を始めたのが、近江雅子さん。10年前に家族で温泉津へ移住してきた。肩にかからない位置でぱつっと髪を切りそろえた、てきぱき仕事をこなす女性。でもほどよく気の抜けたところもあって、笑顔が魅力的な人だ。隣の江津出身で、結婚して東京に住んでいたが、夫がお寺の住職で、温泉津のお寺を継がないかと話があったのだった。

近江雅子さん(写真撮影/RIVERBANKS)

近江雅子さん(写真撮影/RIVERBANKS)

「東京に住んで長かったですし、子どもも向こうの生活に慣れていたので初めは反対しました。でもいざここへ来てみると、なんていいところだろうって。もともと古い家が好きなので、街並みや路地裏など宝物のように見えて。歩いているだけで漁師さんが魚をくれたり農家さんが野菜をくれたり、田舎らしいコミュニケーションも残っていて」

そんな温泉津の魅力は、一泊二日の旅行ではわかりにくい。そう感じた雅子さんは、お寺の仕事をしながら、中長期滞在できる宿を始める。

まちをくまなく楽しむ、旅のスタイル

第1号のゲストハウスが「湯るり」だった。温泉宿といえば、食事もお風呂も付いて、宿のなかですべてが完結するのが従来のスタイルだろう。だが、雅子さんが目指したのは、お客さんがまち全体を楽しむ旅。2~3泊以上の滞在になれば、食事に出たり、スーパーで買い物をして調理をしたり、漁師さんから直接魚を買ったりと、いろんなところで町との接点が生まれる。

徒歩で無理なく歩ける小さなまち、温泉津にはぴったりのスタイルだった。

たとえば湯るりに宿泊すると、宿には食べるところがないため、地元の飲食店や近くの旅館で食事することになる。予約すればご近所のお母さんがつくってくれたお弁当が届いたり。温泉では常連さんが熱いお湯への入り方を教えてくれる。

「アルベルゴ・ディフーゾ(※)といってよいかわかりませんが、まち全体を宿に見立てて“暮らすような旅”をしてもらえたらいいなと考えました。そのためには一棟貸しもあった方がいいし、飲食や、コインランドリーの機能も必要だよねと、どんどん増えていったんです」(雅子さん)

(※)アルベルゴ・ディフーゾ:イタリア語で「分散したホテル」の意味。1970年代に、廃村の危機に陥った村の復興を進める過程で生まれた手法で、空き家をリノベーションして、受付、飲食、宿泊などの機能を町中に分散させ、エリア全体を楽しんでもらう旅を提供する。

2016年の「湯るり」に始まり、ここ5~6年の間に一棟貸しの「HÏSOM(ヒソム)」「燈 Tomoru」、2021年にはコインランドリーと飲食店を併設したゲストハウス「WATOWA」と4つの宿泊施設をオープンさせた。

WATOWAの外観。奥がキッチン。そのさらに奥の建物がゲストハウスになっている。1階がドミトリーで2階は個室(写真撮影/筆者)

WATOWAの外観。奥がキッチン。そのさらに奥の建物がゲストハウスになっている。1階がドミトリーで2階は個室(写真撮影/筆者)

WATOWAキッチンの入り口。手前がコインランドリーになっている(写真提供/WATOWA)

WATOWAキッチンの入り口。手前がコインランドリーになっている(写真提供/WATOWA)

実際にこうした旅のスタイルによって、お客さんが少しずつまちを回遊するようになった。地元の人の目にも若い人の姿が増え、明らかにまちが活気づいていった。

温泉街でも世界の味が楽しめる「旅するキッチン」

なかでも、WATOWAの1階にできたキッチンは、近隣の市町に住む人たちにも評判で、小さな活気を生んだ。そのしくみが面白い。数週間ごとにと料理人も料理も変わるシェアキッチンである。

「まちには飲食店が少ないので飲食の機能が必要でした。でも平日の集客がまだそこまで多くないので、自社でレストランを運営するのはハードルが高い。そこで料理人に身一つで来てもらってこちらで環境を整えるスタイルなら、お互いにリスクが少ないと考えたんです」(雅子さん)

WATOWAキッチンに、最初に立ったシェフ第1号は中東料理をふるまう越出水月(こしでみづき)さんだった。

「シェフの水月さんもすっかり温泉津を気に入ってくれて、地元の漁師さんの船に乗せてもらってイカを釣ってきたり、畑から野菜を買ってきたり。このあたりでは中東料理なんて食べたこともないって人がほとんどで、新聞にも大々的に取り上げていただいて、地元の人たちも食べに来てくれました」(雅子さん)

(写真提供/WATOWA)

(写真提供/WATOWA)

その後、アジア料理、スパイス料理、フィンランド料理……と、コロナ禍で思うように都市で営業できないシェフが各地から訪れた。なかには新宿で有名なカレー屋「CHIKYU MASALA」を営むブランドディレクターのエディさんも。100種を超えるテキーラを提供するメキシコ料理店として知られる、深沢(東京都世田谷区)の「深沢バル」は温泉津に第2号店を開く予定にもなっている。

「温泉津に来れば世界の料理が味わえる」という楽しさから、旅行者だけでなく、近隣の市町からも若い人を中心に集う場所になっている。私もこれまでに三度、このキッチンで食事させてもらったのだけれど、どの料理も素晴らしく美味しかった。エディさんのカレーも、食堂アメイルのアジ料理も。

ある日のランチで提供された、食堂アメイルのアジのカレー(写真撮影/RIVERBANKS)

ある日のランチで提供された、食堂アメイルのアジのカレー(写真撮影/RIVERBANKS)

交通の便がいいとはいえないこのまちに、途切れることなくシェフが訪れるのはなぜなのか。一つには寝泊まりできる家や車など暮らしの環境が、雅子さんの配慮で用意されていること。滞在できる一軒家は一日1000円程度、車も保険料さえ負担してもらえたら安く貸している。

そしてもう一つは、ほかのシェアキッチンに比べて、経済面でも良心的であること。マージンは売上の15%と、一般的な額の約半分。いずれも雅子さんのシェフを歓迎する意思の表れだ。

「食堂アメイル」の二人は、今年3月初めてこのキッチンで営業をして、すぐまた6月に再び訪れたという。

「初めて来たとき、いいところだなぁと思ったんです。また来たいなって。地元の人たちがみんなすごくよくしてくれて」(Lynneさん)

「何より新鮮な魚介が安く手に入ります。その日に獲れた魚が道の駅にも売ってあるし」(Kaiseiさん)

WATOWAのシェアキッチンで期間限定で営業する「食堂アメイル」の二人(写真撮影/RIVERBANKS)

WATOWAのシェアキッチンで期間限定で営業する「食堂アメイル」の二人(写真撮影/RIVERBANKS)

二人はキッチンでの営業を終えた今も、温泉津に長期滞在したいと、雅子さんが用意した部屋に暮らしている。この後9月、12月にもキッチンでの営業予定が決まっている。

「田舎ではとにかく働き手が少ないので、ここに居てくれるって人の気持ちはそれだけでとても貴重」と雅子さん。外から訪れた人たちが手軽に住みやすい環境を用意できるかどうか。それがその後のまちの雰囲気を大きく変えていく。

(写真撮影/RIVERBANKS)

(写真撮影/RIVERBANKS)

信用と信用をつなぐ、空き家を紹介する入り口に

雅子さんが、古い家を改修して4軒のゲストハウスを立ち上げたり、Iターン者に家を紹介するのを見た地元の人たちは、次第に「近江さんなら何とかしてくれるのでは」と空き家の相談をもちかけるようになっていく。

都会なら、それほど次々に家を改修するのにどれだけお金が必要だろうと考えてしまうが、温泉津では、古い家にそれほど高い値段がつくわけではない。解体するのに数百万円かかることを考えると、多少安くても売ってしまいたい家主も少なくない。

「連絡をもらうとまず見に行くんです。もちろん私は不動産屋でも何でもないんですけど。屋根がしっかりしているかとか、ここを改修したらいい感じになりそうと頭に入れておいて、IターンやUターンなど、家を探している人が現れた時に紹介します」

(写真撮影/RIVERBANKS)

(写真撮影/RIVERBANKS)

湯るりやHÏSOMに宿泊したのがきっかけで、その後も何度か温泉津を訪れ、移住する人たちが現れた。まちの勢いを敏感に察知し、温泉津でお店を始めたいという人も出始めている。その都度、雅子さんが地元の人たちとの間に入って、空き家を紹介する。

「温泉津に来て家を買いたいなんて、地元の人たちからしたらストレンジャー。普通ならよそから来た人に、いきなり家は売らない。信用できないからです。それは地域を守るための慣習でもあるんですね。でも私が間に立つことで、何かあったら近江さんに言えばいいのねって。少し気持ちが楽になるんじゃないかと思うんです。

私たちも最初はよそ者ですが、お寺の信用を借りている部分が大きい。皆さん『西念寺さん(お寺の名前)の知り合いなら』といって家を見せてくれます。今までにお寺が築いてきた信用の上でやらせてもらっています」

それにしても、観光で訪れた人が、移住したいと思うようになるなんて、ごく稀なことだと思っていた。でも温泉津で起きていることを見ていると、雅子さんの「住みたいならいつでも紹介しますよ」という声掛けが、温泉津を気に入った人たちの気持ちを後押ししている。

今年夏にオープンしたサウナ&スナック「時津風」。兵庫に拠点を置くデザイナーの小林新也さんが運営している。

今年夏にオープンしたサウナ&スナック「時津風」。兵庫に拠点を置くデザイナーの小林新也さんが運営している。

「観光から移住」の導線をつなぐ

すべてが順調に進んできたわけではなかった。日祖(ひそ)という集落で、ゲストハウスを始めようとしたときには、地元の人たちから大反対を受けた。これまで静かだった集落に騒音やゴミの問題が出てくるのではと危惧されたのだ。その時、雅子さんは丁寧に説明会を繰り返し、草刈りを手伝い、住民との関係性を築いていったという。

そしてある時、こう言ったそうだ。「ここはすごくいい所だから、来てくれた人の中に住みたいって言ってくれる人が現れたらいいですね」
このひと言が周りの気持ちを変えた。そう、地元のある漁師さんが教えてくれた。

「私がこうして中長期滞在型の宿を進めるのは、観光の延長上に移住をみているからです。まちの良さがわかって、何度も足を運んでくれるようになると、住んでみたいと思ってくれる方が現れるんじゃないかって」(雅子さん)

(写真撮影/RIVERBANKS)

(写真撮影/RIVERBANKS)

この夏には、温泉津の温泉街のほうに新しくバー兼宿「赭Soho」もオープンした。オーナーは東京の銀座でもバーを経営する人で、一年間温泉津に住んで古民家を改修して開業。自らがこの場所を気に入ったことに加えて、今の温泉津の勢いに商売としても採算の見込みがあるとふんだそうだ。何より雅子さんのような頼れる人がいるのが大きかった、と話していた。

地方にはただでさえプレイヤーが少ない。だからこそ雅子さんのような、人材を地元の人につなぐ役割が不可欠。

「田舎では、よそ者が入りづらい暗黙の域があって、事業を始める、家を買うなどの信用問題に関わることには特にシビア。なので間に立つ人間が必要だなと思うんです。

私もこの人なら大丈夫って言う手前、若い人たちにはとくに、地域に入ってしっかりやってほしいことはちゃんと伝えます。都会の常識は田舎の非常識だったりもするから。ゴミはちゃんとしようとか、自治会には必ず入って草刈りは一緒にやろうとか」

最近、温泉津に住みたいという若手が増えてきたため、長期滞在できるレジデンスをつくろうと計画している。

本気で受け入れてもらえるかどうか?を若い人たちは敏感にかぎわけるのかもしれない。
「まちづくり」とは大仰な言葉だと思ってきたけれど、今まさに温泉津では新しい飲食店ができ、バーができ、レジデンスができて……文字通り、まちがつくられていっている。

(写真撮影/RIVERBANKS)

(写真撮影/RIVERBANKS)

●取材協力
WATOWA

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