心を撃ち抜かれる短編集〜川野芽生『無垢なる花たちのためのユートピア』

心を撃ち抜かれる短編集〜川野芽生『無垢なる花たちのためのユートピア』

 新たな知識を獲得したり、それまで行ったことのない経験をしたりすることは、しばしば”汚れる”と表現されてきた。けれど、ほんとうは知識や経験そのものが”汚れ”であるわけではない。それらによって、純粋さを失い計算高く行動するようになることこそが”汚れ”なのではないだろうか。

 本書は、第1歌集『Lilith』(書肆侃侃房)により第65回現代歌人協会賞を受賞された川野芽生さんの初の小説集。私は詩や短歌といったものに明るくなく、「歌人の方なら、言葉選びが美しかったりするのかな?」程度の雑な認識で読み始めた。が、表題作に衝撃を受け、最後に置かれた「卒業の終わり」で完全に心を撃ち抜かれた。

 収録された6編は、リアルな質感を持ちながらも幻想的であり、残酷なのに優しさをたたえていた。主役の若者たちは、”汚れ”とは無縁の高潔な人物である。いずれも素晴らしい作品ばかりだが、やはり「卒業の終わり」について触れたい。主人公の雲雀草は、女の子だけの学園で暮らしていた。彼女たちは生まれたときから寮で暮らしており、〈雪〉〈月〉〈花〉のそれぞれの部で6年間ずつ過ごした後、18歳で卒業する。雲雀草は子どもの頃成長が遅めで、いじめられがちだった。しかし、〈月〉部3年のときに「友達にならない?」と声をかけてくれたのが雨椿。優しくて運動神経抜群、成績も優秀な雨椿と一緒にいることで、周囲の女子たちも雲雀草を受け入れるように。

 しかし、ふたりの関係は少しずつ変化していく。〈花〉部に上がってからの雲雀草は成長著しく、学業でも優秀な生徒となった。一方で、雨椿はもはや特に秀でた存在ではなくなっていた。こういった逆転現象は、現実においてもいくらでも発生するもので、他人事ながら胸が痛む。それでも雲雀草と雨椿は、実情から目を背けて親友としてふるまい続けた。しかし、雲雀草がほんとうに心をひかれていたのは、ともに図書館の常連であった月魚だったのだった…。

 女学園を卒業した女の子たちが放り込まれた世界がどのようなものだったかは、ぜひお読みになって確かめていただきたい。現実社会では例えば、合格者の男女比が偏らないように入試で点数を操作されたり、優秀さや有能さよりも容姿の美しさや従順さを評価されたりといったことが、しばしば女子にだけ適用されることがある。これらはごく一部の事例であり、実際には枚挙に暇がないほどの男女間の不平等が存在している。しかし雲雀草たちが生きているのは、現実がまだマシだかもしれないと思えるほどのはるかに怖ろしい世界なのだ。

 収録作品はみな、手放しのハッピーエンドとはいえない。しかし、絶望の中にも希望があるとはどういうことか、我々読者は知るだろう。特に「卒業の終わり」については、女性たちはもちろん、ぜひとも多くの男性読者に読んでいただきたい。もしこの作品を読んで何も感じないとしたら、フジノや他の男性キャラクターたちに対して何の違和感も覚えないとしたら、その男性は猛省しなければならない。男性たちが既得権益を当然のこととして受け入れている(あるいは、そうしているという意識すらない)社会では、男性以外は常に忍従を強いられることになる。しかし、相手を尊重しようという心が人々に備わっていなければ結果的に男性たちも真に幸福にはなれないということに、すべての人々が気づくべきだ。性別だけでなく、人種や職業や障害の有無などによる差別は、相手の立場に立って物事を考える意識が養われてこそ解消され得るものだから。

 この先の人生であれこれ迷うことがあったとしてもこの本に立ち返って考えてみよう、と思える作品に出会えたことに勇気づけられている。『Lilith』も読んでみたくなった。

(松井ゆかり)

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