【「本屋大賞2022」候補作紹介】『残月記』――月をモチーフにした異世界で数奇な運命に翻弄される人々を描いた小説集
BOOKSTANDがお届けする「本屋大賞2022」ノミネート全10作の紹介。今回取り上げるのは、小田雅久仁(おだ・まさくに)著『残月記』です。
******
「月」が持つ、神秘的で不確実で、どこか冷たいイメージ。それをモチーフに、著者のあふれ出る想像力を駆使して描き出した小説集が『残月記』です。
収録されているのは全3編。そのなかから表題作「残月記」の一部をご紹介します。
舞台は、独裁国家となった近未来の日本。この世界では、満月期になると肉体的にも精神的にもひどく高揚する感染症「月昂」が流行しており、発症者は人里離れた療養所へと強制収容されてしまいます。幼いころにこの病で母親を亡くしている宇野冬芽も、27歳のときに発症。治安当局に拘束されてしまいます。
身長181センチ、体重90キロ以上という恵まれた体躯を持ち、剣道の有段者でもある冬芽は、政府が内々に開催している剣闘行事への出場を打診されます。それは独裁政党の上級党員たちとその家族の娯楽のために全国の療養所から選ばれた月昂者(月昂に感染した人)たちのみで繰り広げられる闘技会でした。
月昂者たちが剣闘士になることを受け入れるのは、彼らにもそれなりのメリットがあるからです。剣闘士には月昂での致死率を下げる薬が支給されるとともに、一試合勝つたびに月昂者の女性のなかから選ばれた「勲婦」を抱くことができるのです。
試合を重ねるうちに、やがて冬芽の心には「引退のノルマである30戦を勝ち抜き、なじみとなった勲婦・ルカと条件のよい療養所で暮らす」という夢が芽生えるように――。
架空の物語でありながら、どこかに実在するのではないかと思わせる壮大な世界観に圧倒されます。世の中を震撼させる感染症、全体主義へと扇動するカリスマ指導者、感染者を隔離するというマイノリティへの排除反応……。「もしかしたらこんな未来が待っているかも」と思わず身震いしてしまうほど、リアルな恐ろしさがあります。
だからこそ、そんな過酷な世界で、同じ病を持つ者として次第に絆を深める冬芽とルカの関係には心があたたまります。読者はページをめくりながら、どうかこのふたりには幸せになってほしいと願わずにはいられないでしょう。
ほかの二作も秀逸です。「そして月がふりかえる」は、仕事も結婚生活も順風満帆な35歳の大学准教授・大槻高志が主人公。ある日、家族で訪れたファミリーレストランで、満月が裏返るという気味の悪い光景を目にしたときから、日常が一変してしまいます。
「月景石」は30代の女性・澄香が主人公。叔母の形見である、月夜の風景が描かれているように見える石を枕の下に入れて眠ったところ、気づくと月世界にある「表月連邦」の護送トラックの中にいて――。
SF、ミステリー、恋愛、ダークファンタジーなど、さまざまな要素を取り入れ、圧倒的筆力で読者を各世界へと引き込みます。同書を読んだあとは、主人公たちと同じように「月」の見方が変わるかもしれません。この稀有な読書体験をみなさんもぜひ味わってみてください。
[文・鷺ノ宮やよい]
- ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
- 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。