30年ぶりの街と若き日の思い出〜神田茜『下北沢であの日の君と待ち合わせ』
この本を読みながらしばらくの間は、あなたはいたたまれない思いをするに違いない。ずっと堅実にやってきた人は登場人物たちの計画性が足りないことに眉をひそめるだろうし、若気の至りで無鉄砲にやってきた人は彼らに自分の人生を重ねて頬が赤らむだろうから。
本書の主人公は、下北沢で青春時代を過ごした円崎理夏(理夏は昭和42年生まれだそうだから、私とまさに同学年だ)。物語の冒頭で、理夏は30年ぶりに下北沢を訪れている。きっかけは、19歳の頃バイトをしていたパン店「アンゼリカ」が閉店することになったと、かつて同じアパートに住んでいた秋子から知らされたこと。秋子もまた「アンゼリカ」で働いていて、理夏とはバイト仲間でもあった。閉店当日の店の前で、再会を果たした理夏と秋子。「あのとき気まずく別れた」と書かれているけれども、彼女たちの間に何があったのか。変わってしまったものと変わらないものが混在する街並みを目にして、理夏の胸に思い出の数々が去来する…。
30年前、理夏は19歳。新宿にある服飾系の専門学校に通うため北海道から上京してきたのだが、後期分の寮費を使い込んでしまって寮を出ざるを得なくなった。下北沢駅で小田急線を降り、駅の近くの不動産屋で紹介された「コーポ服部」の二号室に住むことに。「風呂なし、トイレ共同、階下に大家が住む、女性限定三部屋」の物件に即日入居した理夏がまず顔を合わせたのは、一号室の秋子。「長い黒髪をひとつに結んだ美形」である秋子は、理夏よりひとつ年上で山梨県出身。役者を目指して三軒茶屋の劇団に所属しているという。次にやって来たのは、理夏の前に二号室に住んでいたちはる(現役の住人ではない)。理夏と同じく北海道生まれで、奥尻島の出身。東京に出てきて3年になるというちはるは、この近所の洋服のお直し店に勤めている。もうひとり、三号室の住人である尾村にはその日対面がかなわなかった。大家曰く、「部屋で仕事をしてるけど、いつもしずかでいるのかいないのかわからない」人物だそう。後日やっとあいさつできた尾村は、「小柄で華奢な、黒髪が肩くらいまで」の女子で、やはり理夏たちと同年代だった。
秋子とちはるはとにかく距離が近く、人見知りぎみの理夏も初対面からまんまとペースに乗せられてしまった。自室にはカギをかけないよう言い渡されたのは部屋主が留守でも自由に行き来できるようにという理由からで、ちはるも連日仕事帰りに寄っていったりする。金欠で早急にバイトを見つけたい理夏だが、なかなか決まらない。ほんとうはアパレル関係、それが無理なら洋服関係なら何でもいいと枠を広げてみても、それでも難しい。お金が必要なのは、家賃などの固定費はもちろんのこと、借金もあるからだ。新宿で若い男に映画の割引券を売りつけられたのは序の口で(その割引券、使える映画館はごくわずか、しかも上映されているのは子ども向け映画ばかり。さらに使用期限は1か月)、同じく新宿で占い師に唆されて7万円の印鑑5本を買ってしまったのが痛かった。いろいろあって、理夏は最終的には秋子のバイト先の「アンゼリカ」で働くことに。
真面目だけが取り柄だった私のような人間からみると、理夏の生き方は危なっかしいことこの上ない。それは秋子やちはるにもいえることで、人間関係をはじめとして読んでいてハラハラさせられる場面が多々ある。時にはけんかしたりもしながら楽しく毎日を送っていた彼女たちだったが、その関係は少しずつ綻び始め…。
30年後、理夏と秋子はそれぞれが歩んできた道のりについて語り合う。ちはるとの思い出についても。尾村から届いた手紙によって明かされた真実についても。若くて無鉄砲で、最終的にはなんとかなると信じていた彼女たちはもういない。大人になった理夏と秋子の現在、特に理夏の境遇には胸に迫るものがある。人は若さから遠ざかるにつれて、重圧を抱えるようになるといえよう。例えば、家族の問題だったり、仕事の責任だったり。それでも、家族がいてくれるのはやはり幸せであるし、大きな仕事を任されれば励みにもなる、と思いたい。思い込みで突っ走っていた若き日の自分と、さまざまな角度から物事を見ることの重要性を知ったいまの自分は同じ人間だ。昔の自分がいたから、現在の自分がある。たとえ、人生のある時期にはぎくしゃくしたり疎遠になったりすることがあったとしても、理夏たちのように再び笑い合ったり悩みを打ち明けられるようになれるのであれば、歳をとるのも悪くない。
下北沢は、東京・世田谷にある繁華街。音楽や演劇などに関心のある人々がたむろし、おしゃれな店が建ち並ぶ街だ。街自体が強力な魅力を放っていて人々を引きつける土地というものがまれに存在するけれど、下北沢はその最たるもののひとつといっていいだろう。「アンゼリカ」は実在したパン屋さん。あとがきによれば、オーナーの方への取材や著者の友人かつ当時の「アンゼリカ」のスタッフで本書のイラストを手がけられた菅沼麻美さんの協力を得て、この物語を書かれたそう。著者の神田茜さんは、小説家としてのデビュー間もない頃は「女性の講談師が小説を執筆!」という注目のされ方だったと記憶している。とはいえ、執筆の方もすでに10年以上に及ぶ実績をお持ちで、もはや講談師の副業的なイメージは払拭されているのではないだろうか。軽妙な語り口は、小説と講談のどちらにも共通するものなのかなと思う。
(松井ゆかり)
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