コロナ禍での文学の力『デカメロン・プロジェクト パンデミックから生まれた29の物語』
コロナを書くか書かないか、作家にとってはこの1~2年で大きな関心事となったに違いない。どちらをチョイスするのも自由だ。小説にしても、ほんとうのことを書かなければいけないというものではない。ただ、文中に表れる表れないにかかわらず、書く側の意識がまったく影響を受けずにいられるとは思えない。私たちはすでに”コロナ禍で生きる時代の人々”となってしまったのだから。
本書の巻頭に掲げられているのは、「ニューヨーク・タイムズ・マガジン」のケイトリン・ローパーによる序文、次にリヴガ・ガルチェンによる「はじめに──命を救う物語たち」。人類が初めて知るウィルスに対して文学に何ができるかと考え、作家や出版に携わる人々たちが続々とアクションを起こした様子について、ローパーは記している。ガルチェンは本書の原型となった企画を提案した人物であり、「はじめに」はボッカッチョによる『デカメロン』がどのような作品であるか、現代の我々がこの作品から何を学べるかといったことについて綴られた内容だ。
感染が広がり始めてからしばらくの混乱状態の中で、文章の持つ力を信じて企画を形にした彼らの行動力には頭が下がる。寄稿された一編一編は短いものだが、コロナというものに対してこんなにさまざまなアプローチがあるのかと驚かされる。正面からコロナを取り上げたもの、SF的なもの、エッセイのように読めるもの…。テイストは違えど、どの作品も心を揺さぶる内容だった。
コロナ禍の生活は確かにこれまでとは違ったものになった。しかし一方で、日常は変わらず続いているともいえる。例えばリズ・ムーアの「臨床記録」は、発熱した子どもを心配する両親の心情を書いた作品だ。これまでであれば、コロナに感染する可能性を心配する必要はなかったであろう。しかしながら、発熱の原因は何か、どのタイミングで病院へ連れて行くか、上の子がいる場合その子はどうするか…といった尽きることのない気がかりは、親であれば病気の種類に関係なく抱くものでもある。コロナは非日常でありながら、日常の延長線に存在するものでもあることを改めて認識させられた。
コロナが人々に分断をもたらしたことは、ある意味では真実である。自粛必要派と経済活動優先派、ワクチン派と反ワクチン派、未知のウイルス警戒派とコロナは風邪派…。さまざまな局面で対立が発生したことは否めない。しかしながら、”コロナの危険が早く去ればいい”ということに対しては、ほとんどの人間の意見が一致するのではないだろうか。推奨する方法は違えど、みな概ね同じ方向を向いていることは希望といえよう。トミー・オレンジの「チーム」は、こう締めくくられている。「このあたらしい世界がチームになって、直接に影響を受けていない人たちはみんな、見守りながら待って、置かれた場所でじっとして、マラソンのようで、つながらないように離れて暮らして、だけどチームが完走するには、そうするしかないのだろう。きみたち人間、どうしようもない者たちの長い長いレース」と。
最も印象的だった作品は、イーユン・リーの「木蓮の樹の下には」。わずか4ページという短い小説だが、余分な言葉を費やすことなく書かれていて、ダイレクトに心に響いてくる。私はきっとこの先ずっとこの作品を覚えているだろうと思った。50歳になったら読み返すために親友ふたりと一緒に木蓮の樹の下に埋めた手紙のことを、クリッシーは忘れてしまっていた。でも、私はこの小説のことをたぶん忘れない。
ボッカッチョによる『デカメロン』が14世紀に書かれた「ペストが猛威を振るうフィレンツェから避難してきた男女の一団が互いに語って聞かせる入れ子状の物語集」であるとは、本書を読んで初めてきちんと認識したことだ。現代のように医療は進んでおらず、衛生観念も発達していなかった時代も、人間はなんとか乗り切ってきた。であれば、今回も最終的にはサヴァイヴできるだろうと、個人的にその点は楽観している。なんといっても、私たちには文学がある。国籍も人種も主義主張も越えて、文学は人々の心をつなぐものとなり得る。ひとり家に閉じこもっているときでも、心の支えを共有できていると感じられれば、つらさはどれだけ軽減されるだろう。本書においても、自分と同じような人々が悩み、苦しみ、それでも希望を探して日々をやり過ごしている(悩みや苦しみの濃淡の違いはあれど)。この本を開けば、閉塞感から少しだけ解放されるかもしれない。
本書の作家たちはいずれも実力派の作家で、さまざまな作風の作品を読みくらべるのもおもしろいと思う。クレスト・ブックスのファンの方とかなら見逃せない作家の名前がずらりと並んでいる。さらにもうひとつ、読者が海外作品を楽しめるのは翻訳家の方々のおかげなわけだが、本書のメンバーはすごい(私は柴田元幸さんや藤井光さん目当てで手に取ったのだけれど、他にもそうそうたる顔ぶれが揃っている)。これだけたくさんの作家が集結したことはもちろん、これまた多くの翻訳家が協力してくださったことによって日本語で読むことが可能になったのだと考えると、この本もまたチームによってできたものだと思う。私たちは、ひとりひとりだけど、ひとりじゃないのだ。
(松井ゆかり)
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